馬場正博さん@realwavebabaの「ま、世の中何でも杓子定規ばかりではいきませんな。」

赤ん坊を抱えた妊婦とか本当につらそうな人にグリーン車の人が席をそっと譲ってあげるような「小さな親切(大きなお世話じゃないよ」まで否定することはないと思う。 by 馬場正博
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馬場正博 @realwavebaba

元IT屋で元ビジネスコンサルタント。 外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行う。今は医療機関関連のIT化や業務改善のコンサルティングが中心。色んなことを言いますが、頭の中身は「中小零細企業」のオッサンと思っていただくのが、一番相応しいと思っています。

馬場正博 @realwavebaba

グリーン車に子供や年寄り乗せてやれよ、というTwが大炎上したらしいけど、これが急病や産気づいた妊婦なら事情は違うと思う。「自己責任」と言っても事態は改善しないので、取りあえずはグリーン車で横にして医者を探す。ま、世の中何でも杓子定規ばかりではいきませんな。

2014-01-04 09:31:29
馬場正博 @realwavebaba

素晴らしい。 @kexplosive N700系は多目的個室を装備するなどの万が一に備えた準備もしてる

2014-01-04 09:53:28
馬場正博 @realwavebaba

「火事の影響で滅茶混みの新幹線のグリーン車に子供や年寄りを乗せたら」と書いて炎上の話。私も意見としては全然賛成できないが、赤ん坊を抱えた妊婦とか本当につらそうな人にグリーン車の人が席をそっと譲ってあげるような「小さな親切(大きなお世話じゃないよ」まで否定することはないと思う。

2014-01-04 15:08:29
馬場正博 @realwavebaba

つまり「弱者を助けるべき」というのが権利意識や強制になるのは抵抗が大きいのですね。それに「貧富の差の縮小は社会の安定と発展につながる」という経済的合理性もこの話にはない。乙武氏の車椅子事件もそうだけど、弱者を正義の看板にするのにうんざりしてきているのですね。

2014-01-04 15:13:11
馬場正博 @realwavebaba

私はリベラリストですから弱者保護には基本的に賛成。ただし金持ちからふんだくるだけふんだくろうというのには反対。金持ちを苛めても貧乏人が楽になるわけではない。逆に貧乏人を放置しても金持ちにとって良い社会ができるというものでもない。今の米は後者に陥ろうとしている。

2014-01-04 15:17:22

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「寛容というのはけっこうな贅沢だということに尽きる。」 これだってようするに「正義の鉄槌」なのだ。 たしかにこの話には「じゃあどうだったらいちばん望ましかったのか」が欠けている。 by 渡邊芳之 29688 pv 78 16 users 10

まとめ お菓子っ子さんsweets_streetの 「他人が何かをできない理由を意識の低さに還元してしまうのは、できないこと.. 「他人を思いやれ」と言う人は多いですが、自分が好感を抱く相手や共感できることを主張する相手の気持ちを思いやるのは簡単なんですよね。言われなくても自然とできます。しかし、不快に感じる相手や共感できない相手の気持ちを思いやるのは難しいですね。意識しても感情が邪魔をします by お菓子っ子 23903 pv 235 27 users 124

まとめ 為末大さん@daijapanの「【帰りの会式批判法】について ”私のせいじゃありません” いざという時、そう言う為に.. ”彼らは自由だと思っていた”という本がある。善良な普通の村人がどうやってナチスドイツのユダヤ人迫害に関わっていったかという話。彼らが一様に言うのは”僕のせいじゃない”という言葉。今も私達は世間という空気に流されて生きている。 by 為末大 8535 pv 75 5 users 9

まとめ 小田嶋隆さん@tako_ashiの「グリーン車の乗客は「一人分の座席」ではなくて「貧乏人と隔離された空間に入場する権.. 例の、「事故で難儀している子供やお年寄りをグリーン車に入れてあげて」をめぐる炎上騒動が明るみに出したのは、グリーン券の隠された意味が「貧乏人と別の空間で過ごす権利」であったことだと思う。 by 小田嶋隆 21568 pv 91 19 users 10

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「ざまあみろ」でしかない主張が社会正義とか遵法意識の皮をかぶっているんだ。」 読んだら批判できなくなるから読まずに批判するのである。 「やらずに批判」「会わずに批判」「買わずに批判」「飲まずに批判」などもすべて同じ。批判対象に自己関与しないことが重要。 by 渡邊芳之 7512 pv 32 9 users 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「正義感に高揚した顔の恐ろしさというのが20世紀の歴史。」 ロシア革命の映像にも、ナチのイベントの映像にも、戦争直前の日本にも、1960年の日本にも、カンボジア革命にも、ユーゴ内戦にも、ここ最近のデモにも、われわれが共通して見るのは正義に高揚した美しい顔だよね。 by 渡邊芳之 3678 pv 10 2 users 2

まとめ 伊東乾先生itokensteinの「『「義憤」というのは恥ずかしいものだ』」 何か問題の当事者が憤慨したりするのは人間として当然だけれど、義憤というのは当事者でもないのに判ったような気持ちになってあれこれ軽薄な反応をする事で人間として浅はかである、 2915 pv 7 1

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の正義に合うデモは「正当な政治的主張」で,自分の正義に合わないデモは「社会の迷惑」.. 「自分の正義」を持っている限り必ず「ダブスタ」になります。自分が正義を持つこと自体を捨てない限り他人の正義は批判できない。 by 渡邊芳之 15280 pv 75 2 users 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「偽善」は「行為そのものの効果は善であるもの」を言うと思います。 「自分の主張が正しい.. 反原発派を「反原発のために被害者を利用した」と批判したのと同じ人が,「原発がないと困る」ということを言うためには平気で「被害者を利用」するのはちょっと気になる。by 渡邊芳之 2803 pv 7

まとめ 佐々木俊尚さんsasakitoshinaoの「ルールや法律に過度に頼るのではなく、その場その場のコミュニケーションに.. 異様なまでに過度なルールを強いる人たちがたくさん現れている(あるいは可視化されている)のをただ非難しかえしていても何もはじまらないので、その状況を踏まえた上で自分が何ができるかを考えないと。非難の応酬からは何も生まれない。 by 佐々木俊尚 15139 pv 84 4 users 2