茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1138回「そしてみんな散らばり、地道な作業を始めた」

脳科学者・茂木健一郎さんの1月9日の連続ツイート。 本日は、このところ、思っていること。
コラム そじ 茂木健一郎
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茂木健一郎 @kenichiromogi
連続ツイート第1137回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、このところ、思っていること。
茂木健一郎 @kenichiromogi
そじ(1)インターネットが普及し、ブロードバンドが日常になって、ちょうど民主党が2009年の政権交代をしたあと、ソーシャルメディアや動画サイトが熱かった時期があった。ニコ生の討論番組が時代の雰囲気をつくり、ツイッター上に、「ツイッター改革派」とでもいうべき論客たちがそろった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
そじ(2)そして、自民党が政権に返り咲き、安倍政権が支持率を保ち、長期政権を視座に入れている2014年の初め、かつてツイッターやニコ生界隈にあった「熱気」のようなものはすっかり落ち着いている気がする。そして、新聞やテレビのような、「恐竜」と言われていたメディアが、あんがいしぶとい
茂木健一郎 @kenichiromogi
そじ(3)ニコ生があれば、地上波テレビなんていらないよ、くらいの勢いだった頃、NHKのクローズアップ現代が、ニコ生とのリレー企画を立てたり、短命で終わったけれども、「革命テレビ」というソーシャルメディアごりごりの番組が出来たりした。あの頃の「幻」はなんだったのだろう。
茂木健一郎 @kenichiromogi
そじ(4)「事件は現場で起きている」という。結局、メディアは、価値を捏造できない、ということだと思う。ニコ生や、ユースト、ツイキャスト、メルマガ、ツイッターなどの新しいメディアが登場したとき、それをうまく使いこなす「ダダ漏れ」なスターたちが現れた。しかし、その多くは、
茂木健一郎 @kenichiromogi
そじ(5)メディア自体の好奇心価値(curiosity value)による、一時的なスパイク現象に過ぎなかった。結局、コンテンツの価値は、どれくらいの情熱、工夫、才能、思い、工数が投入されたかによって決まる。ユーストやニコ生をつかうこと自体が、内容の充実を保証するわけではない。
茂木健一郎 @kenichiromogi
そじ(6)昨年、「半沢直樹」や「あまちゃん」などの、地上波テレビ発のコンテンツが話題を呼び、時代の雰囲気をつくったのも、結局、これらのコンテンツが情熱、知恵、手間をかけたものであったから。ユーストやニコ生が、その場で思いつきのやっつけ仕事では、対抗できるはずがない。
茂木健一郎 @kenichiromogi
そじ(7)もちろん、新しいメディアの登場によって、メディアのロングテールが広がったことは歓迎すべきこと。現に、私もツイッターを使い続けている。しかし、情報の流通チャンネルの新しさ自体が内容の充実を保証するわけではないことは、MOOCのような学習環境でも同じことだろう。
茂木健一郎 @kenichiromogi
そじ(8)もちろん、新しいメディアでも、例えば津田大介さんや東浩紀さんのチェルノブイリや、福島に関する情報など、手間と情熱と工夫を投入したコンテンツは、受け手に届く。それは、新しいメディアだからではなく、それだけの手間や工数をかけたということの自然な結果であろう。
茂木健一郎 @kenichiromogi
そじ(9)新しいメディア自体が価値を創造し、そこで目立つ人がスターになるという「勘違い」はおそらく終わった。志ある人はそれぞれの現場に帰り、地道な作業を始めているという気がする。事件は現場で起こっている。熱い現場があれば、新旧どんなメディアも、やがてそれを伝えるだろう。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、連続ツイート1137回「そしてみんな散らばり、地道な作業を始めた」でした。

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