- kamayan1192
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「当時の私はまだ三〇歳になるかならないか、海のものとも山のものとも知れないような若い研究者が、覚束ない英語で書いた日本軍の捕虜処遇の歴史的背景についての未完の論文を、たいがいの人が、良い論文ですね、有意義な研究ですよ、これからも頑張ってください、といって励ましてくれました。」①
2014-01-09 15:44:39「 アメリカ、カナダ、ニュージーランドの元捕虜団体の人びとも、熱心に資料や情報を提供してくれました。いずれの場合も、団体のリーダー格の人びとや、団体を支持する研究者たちが、もっぱら手紙のやりとりを通じて、懇切に対応してくれました。」②
2014-01-09 15:45:37「私の論稿を「手ぬるい(too soft)」と叱咤した人もいました。ニュージーランドの元捕虜団体の人でした。当時、私は、自分の博士予備論文の一部を英訳して、自分のこの問題へのスタンスを先方に伝えていたのですが、その方は、もっと厳しい姿勢が必要だといってきました。」③
2014-01-09 15:46:18「英語論文は未完成なもので、議論も確かに十分ではなかったのですが、こういう反応はニュージーランドからしか来ませんでした。自分の議論が、未熟ではあっても、『手ぬるい』とは思わなかったので、私は、」④
2014-01-09 15:47:27「『そちらに資料があるなら提供してください』と返事をしました。すると、『日本軍の捕虜虐待を示す資料はアメリカでもオーストラリアでもどこの資料館にも数え切れないほどたくさんある、自分で調べろ』と、ニュージーランドの元捕虜団体のリーダーからいわれてしまいました。」⑤
2014-01-09 15:48:50「もっともな話です。とはいえ、オランダのストークさんや、アメリカの元捕虜団体の会長ジーマンさんの、とびきりに親切で優しい対応に浸っていた私は、正直いって、ちょっとむっときました。」⑥
2014-01-09 15:49:31「でも、もちろん、研究者が自分で資料を収集するのは当たり前の話ですし、実際、捕虜処遇の『実態』を知りたければ、極東国際軍事裁判(東京裁判)の速記録でも元捕虜の手記でも読めば一通りはわかるのです。」⑦
2014-01-09 15:50:19「それから20年くらいが過ぎて、私はある海外のジャーナリストから、『このニュージーランドの元捕虜団体は、いわゆるニュージーランド人ではなく、戦後ニュージーランドに帰化した旧オランダ東インドの人びとによって組織されているのだ』という手紙をもらいました。」⑧
2014-01-09 15:52:50「『むろん、彼らも「ニュージーランド人」であることは違いないが、正確な歴史的背景を知っておいてほしい』と。詳細は、そのジャーナリスト自身が書くと言っていましたので、ここではふれないことにします。」⑨
2014-01-09 15:55:54以上、『ポピーと桜』の入稿段階でまるまる削った、1章分の原稿の一部です。日英間にテーマを集中させようということで、ばっさり削除した文章の一部です。⑩おわり
2014-01-09 15:59:53いろいろあったなあ(//.//) いけない、いけない、いまやらないといけない校正作業に戻ろう。
2014-01-09 16:01:24