烏賀陽弘道(@hirougaya)氏は語る;「死は生の一部でしかない」
- Eric_Ridel
- 1649
- 0
- 2
- 1
2)同じ日本でも、京都や奈良、天理市は「非物質主義」的な側面があります。なぜなら、寺社や墓(天皇陵など)が街の至るところを占領している。
2010-10-21 15:10:414)こうした死者の領域があちこちにある街で育ったので、私は犬の散歩に行っても「死」を考えるという習慣が身に付きました。 http://ugaya.com/column/column_4.html これは1998年に書き下ろした文章です。
2010-10-21 15:14:0311)「死」を見えなくすると「生」もとらえにくくなります。「死」は「生」の対立概念ではなく、「生」の終点、延長点としてあるからです。
2010-10-21 15:21:1813)なぜなら、いくら否定しても、私たちは自分がいつか必ず死ぬことを無意識に知っていて、それを本能的に恐れているから。それはフロイトはじめ碩学がさんざん指摘しているとおりです。
2010-10-21 15:25:0814)「人間は死と無知と不幸をいやすことができなかったので、幸福になるために、それらについて考えないことにした」(パスカル)
2010-10-21 15:25:4217)「老い」に抵抗するための人々がいかにお金を使うか、驚くべきものがあります。「アンチエイジング」=「反老化」という言葉など、自らが語っています。高齢者のエクササイズ熱、高年齢登山などはそのひとつでしょう。
2010-10-21 15:31:0218)つまり人々は無意識に「死」の恐怖に突き動かされ、それを回避しようと必死でその手前(いま始められること)に励んでいると考えると理解しやすいですね。
2010-10-21 15:32:3620)自然な成長を否定すると、摂食障害の原因になることが精神分析学や臨床心理学では言われています。もちろんぜんぶ連続していると思いますが、膨大な量になるので今回は触れるだけにします。
2010-10-21 15:34:5121)「生の実感」を失うことが生の確認へとつながり、それはリストカットにまでつながると言われていますが、これもまた別の機会に。拙著「Jポップの心象風景」に詳しく書いていますので、それもどうぞ。
2010-10-21 15:36:3622)「死」は実体験したとたんに戻ってこれなくなりますから(笑)、体験的に理解するのは難しい。そうなると「死」は人間にとって最大の抽象的概念、精神世界での概念にならざるをえません。つまり自分の「死」を物質や具体、具象では語れない。
2010-10-21 15:39:15