茂木健一郎氏 @kenichiromogi 第1140回【年を経て、この世のものではなくなる】連続ツイート

2014.1/11 茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【年を経て、この世のものではなくなる】連続ツイート …大理石のギリシャ、ローマ彫刻も、平安時代の木彫も、かつては彩色されていたものが、やがて年を経て素材そのものの色になっていった時、かえってその存在としての本質が見えてくるように思うのは、面白いことだと思う。実際、復元や修復でも、再び彩色しようとすることは東西まずない…
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第1140回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日思ったこと。

2014-01-11 07:29:35
茂木健一郎 @kenichiromogi

とこ(1)昨日、サントリー美術館の「飛天の美」にやっと行くことができた。http://t.co/gYsimlCfyO 平等院鳳凰堂の平成修理が完成したのを記念した展覧会。午前中だったが、会場にはすでに多くの人たちがいらした。

2014-01-11 07:31:55
茂木健一郎 @kenichiromogi

とこ(2)「飛天」は、インドで生まれた、仏のまわりを飛んで賛美する人たち。平等院鳳凰堂の飛天たちは、さまざまな楽器をもって周囲を飛んでいる。いわば、「オーケストラ」でもあり、その浮遊感、極楽につうじる感覚が、多くの人の心を惹きつけるのであろう。

2014-01-11 07:34:27
茂木健一郎 @kenichiromogi

とこ(3)会場にたくさん人がいるのは、美術鑑賞としては必ずしも条件がよくないが、考えが変わったのは、以前、根津美術館に「那智瀧図」を見にいった時だった。前に、二人の年配の女性がずっといて、関係ないことをずっと喋っている。めいわくな人たちだなあ、と正直感じた。

2014-01-11 07:35:56
茂木健一郎 @kenichiromogi

とこ(4)ところが、5分くらい前にいただろうか、最後に、二人とも、那智瀧図の方に手を合わせて、おがんでから、歩いていった。それで、離れがたかったのだと思った。那智瀧図は、流れ落ちる瀧の中に、やがて仏様のすがたが見えてくるという。それが見えるまでの心の時間が、人によって違う。

2014-01-11 07:37:38
茂木健一郎 @kenichiromogi

とこ(5)今回の「飛天」もそうだけれども、一般に、仏教美術には、美しいという以上の精神性が、人々を惹きつけるところがあるのだと思う。だから、会場に来る人の熱気の出所が普通の展覧会と違う。生きる上で苦しいことがいろいろあった時代に、「極楽浄土」を再現しようとしたその企図は、

2014-01-11 07:39:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

とこ(6)時を超えて、神や仏、信仰ということが日常の空間の中からすっかり消えた現代においても、人々を惹きつけるのだろう。ところで、最後の部屋にある「飛天」のすばらしい造型をみていて、あることを思った。入り口に復元されていたように、これらの飛天たちはかつては極彩色だったらしい。

2014-01-11 07:40:54
茂木健一郎 @kenichiromogi

とこ(7)彩色されていたものが、時間を経て、素材そのものの色に還っていくという現象は、古代ギリシャ、ローマでもあり、パンテノン神殿の彫像たちは、かつては極彩色だったという。今では、白い大理石の肌が、その美を象徴するものと思われるが、かつてはそうではなかった。

2014-01-11 07:42:07
茂木健一郎 @kenichiromogi

とこ(8)大理石のギリシャ、ローマ彫刻も、平安時代の木彫も、かつては彩色されていたものが、やがて年を経て素材そのものの色になっていった時、かえってその存在としての本質が見えてくるように思うのは、面白いことだと思う。実際、復元や修復でも、再び彩色しようとすることは東西まずない。

2014-01-11 07:43:28
茂木健一郎 @kenichiromogi

とこ(9)人間にも、彩色のようなものがあって、「今、ここ」の浮き沈みにとらわれていると、かえってその本質が見えないということがあるのだろう。アインシュタインやモーツァルトなど、私たちが今思い浮かべる偉人は、月日を経て極彩色の消えたギリシャ彫刻、平等院の飛天のようなものかもしれぬ。

2014-01-11 07:44:49
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第1140回「年を経て、この世のものではなくなる」でした。

2014-01-11 07:45:54