職場の客用トイレ(小)がつまっていた。紙くずで。ありえへん。ほんま、ありえへん。掃除してきましたワ。仕事といえば仕事ですが、本来の仕事がなおざりになってしまう。糞、このどチンピラがッ!
2010-10-21 21:19:45……って、壁にパンチをしても問題は解決しないし、ツイッターで「ガッデム」って吠えても収まらないので、まじめに吠えさせていただきます。
2010-10-21 21:20:01倫理とは人間の在り方であり、人間関係の在り方を同時に意味する言葉です。人間の在り方は、人間関係の在り方を規定し、その逆もしかりなのです。存在としては代換え・還元が不可能な唯一性を持った存在が人間だけれども、同じような他者が存在する。だから倫理が要請されるわけですし。
2010-10-21 21:20:18それを政治分野のコトバでテクニカルにスライドさせれば「公共」(空間)の問題になるでしょう。自宅で用を足したときに粗相があれば自分で始末しなければならない。外で用を足したときに粗相があれば自分で始末する必要はないけれども、限りなく粗相をしないように「賢慮する」必要はあるでしょう。
2010-10-21 21:20:37さて始末の問題はさておきますが、外で用を足すということは、自分一人がそこで用を足すということを意味しないのは論を待たない。複数の人間が使うわけだからよけいに慎重にならなければならない。ここがひとつの公共なわけでしょう。
2010-10-21 21:20:52そのヘンをはき違えた連中が、ホントもう多くて困ってしまう。市民社会の成立と科学革命、そして産業革命は、すべての人間を国王の地位に据えることに成功した。しかしながら利便性としてという意味にすぎない。かつては国王が占有していたそれが解放されただけだから。
2010-10-21 21:21:10そこを、もう、勘違いしないでほしい。別段、実生活で必要とされる以上の倫理を要求しているわけではありませんが、ほんと、なにというか、、、アタマを抱えます。
2010-10-21 21:21:24だから、(自室の中までは問いませんが・しかし自室においても公共は成立するけれども)一歩、外にでたら、複数の人間と一緒に生活していることを忘れないでほしい。
2010-10-21 21:21:37「お客様は神様」と客商売ではいいますが、王様や神様は自分一人ではないんです。ほかの神様に迷惑をかけるようでは困るんですよ。だからくどいけれども現代文明批判の古典といえる『大衆の反逆』でオルテガは、そうした在り方を「慢心しきったお坊ちゃん」と指摘しましたが、
2010-10-21 21:21:54そんでもうひとつ。あえて公共という表現を使いましたが、そうした状況を見る復古論者があおるからあえてつかったのです。「今の社会は、ぐだぐだのげれげれの自己中ばかりじゃないか。だから昔のような強烈な空気の圧縮・権威的空間の方がましなんだ、悔い改めよ」ってね。
2010-10-21 21:22:36それも困るんじゃ。特に本朝においては、何度も繰り返しましたが、公共の議論が始まると、すべて一元的に国民国家に集約され、排他的に限定されてしまうからです。
2010-10-21 21:22:49しかし、倫理というコトバの二重の契機にみるように、公共とは、国民国家という空間世界だけに限定されるものではありません。だからこそ、たとえば一歩外へでた瞬間に、そこからいろんなレベルの公共空間が立ち上がることを自覚しなければならないんです。
2010-10-21 21:23:10「慢心しきったお坊ちゃん」のままでいると、知らない間に、公共が「滅私奉公」を強制する国民国家に限定されたカタチで招来され、必要以上に拘束されてしまうということを覚悟しなければならない。
2010-10-21 21:23:24しかし、あれだろうなあ。結局は「おれは何もしらなかった、無辜の市民なんだ。だまされた」とかぬけぬけと後になってからいうんでしょうなあ。
2010-10-21 21:23:41