現在行われている成人式の起源、意義

今年新成人として成人式に参加したが、そもそも論として、現行の成人式とは何なのだろうかということについての議論。
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ithasymo @ithasymo

成人式は戦後間もなく蕨市で始まった「青年式」が発端らしいが、そのときは1946年11月26日。現在のように、国が成人の日を1月に定めたのはどのような経緯なのだろうか?

2014-01-12 23:56:09
ithasymo @ithasymo

↓1946年11月22日だった。

2014-01-12 23:56:55
ithasymo @ithasymo

さてさて成人式は終わった。

2014-01-13 12:37:04
ithasymo @ithasymo

ステージと来場者の温度差が激しい式だった。

2014-01-13 12:37:49
ithasymo @ithasymo

成人式は百歩譲って市長のスピーチは別にして、無理にイベントにしなくても歓談の場所と時間を提供すればよいように思える。

2014-01-13 16:39:52
ithasymo @ithasymo

@Hekmatya 成人式という儀式について伺いたいことがあります。昨日成人の日ということで、成人式が各地で行われましたが、特に現代行われる成人式の意義や起源について個人的には知りたいところがあります。例えばWIKIPEDIAの「成人式」は1946年の起源となっております。(続く

2014-01-14 17:00:16
ithasymo @ithasymo

@Hekmatya その後、国が国民祝日で成人の日を定め成人式も広まったというように書かれてます。この限りでは比較的新しい儀式だと思います。しかし、感覚的には歴史の重みがある儀式というように思われている節があるように思われます。(つまり、あまり権威がないように感じてしまいます。)

2014-01-14 17:05:31
ithasymo @ithasymo

@Hekmatya 何か情報か、関連しそうな書籍やサイトをご存じでしたらご教授を承りたいと思います。

2014-01-14 17:07:04
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo 「現在行われる成人式の意義や起源」ですね? 了解です。では何回かに分けて概要を述べます。

2014-01-14 18:33:06
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo 便宜上、現在のようなかたちの「成年儀礼」を「成人式」、それ以前に行われていたものを「成年式」と区分しておきます。まず、明治29(1896)年に施行された民法でも、成年は「満20歳」でした。ただし、国ないし自治体主催で祝典が開催されていた記録は見当たりません。

2014-01-14 19:06:54
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo 他方、より範囲を狭めた共同体、いわゆる集落等の身近な社会単位では、ある年齢に達した男女に対して「成年式」を行っていた記録があります。「ある年齢」は、民法が定めた満20歳よりも早く、また「式」は、成年になったことを祝うというよりも、その若者が社会成員になる(続)

2014-01-14 19:22:09
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo 社会成員(その集落等の)になることを、さまざまな儀式を通じてを本人に自覚させ、かつ、そういった儀式を通じて、彼らを受け入れる共同体の成員に周知するとことを目的としていたようです。そして、ここでいう「社会成員」は、その社会の存立基盤を支える2つの役割(続)

2014-01-14 19:28:37
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo 例えば農村であれば、農作業を一通りこなして村落の生産性に寄与できるか、という生業(職業)的な役割と、配偶者を得て所帯を形成しつつ子を産み育てるという、その村落の次代成員を供給する役割を担えるか、という点が重視されていたようです(続)。

2014-01-14 19:39:27
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo だから当時の「成年」は、共同体においては、民法が定めていた「満20歳」よりも早く、かつ、年齢幅があったようです。近代は男女とも小学校のみが義務教育でしたので、現在の中学生にあたる思春期・第二次性徴期あたりが、事実上の「成年」期になっていました。

2014-01-14 19:47:16
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo つまりここには、地域差・年齢差を認めることができるわけですね。確かに法は満20歳を「成年」としていたけれども、それに基づいて一律に「成年式」が行われていたのではなく、その村落の共同体成員としてふさわしいか否か、という現実的な判断もありました(続)

2014-01-14 19:54:04
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo 他方、近代は、工業化と都市化が進んでいった時代でした。地域社会で営まれていた大家族から、都市に移住した若者による核家族への変化ですね。こうして「サラリーマン世帯」というものが生まれてきます。つまり、子が親の生業を、必ずしも継がなくていい家庭の誕生です(続)

2014-01-14 20:01:35
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo 都市化は、第3次産業の雇用増大を生みました。こうして女性の社会進出が促されます。先ほど戦前の義務教育は小学校のみと書きましたが、地域の中核都市部では、男子の中学校に相当する、女子の「高等女学校」への進学率が高まっていきます(続)。

2014-01-14 20:09:43
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo そうした都市部で、いわゆる伝統的な「成年式」が催されていた記録は、今のところ見つけられていません。旧学制下、男女の高学歴化が進み始めた都市部では、親の職業を必ずしも継がなくていいという意味で、旧来の成人要件たる生業(職業)役割が免除され(続)

2014-01-14 20:20:46
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo 共同体の成員(子供)を社会に供給するという意味での、家族的役割がクローズアップされることになりました。ここに、男子のみが「兵役」義務を負うという当時的な状況を考え合わせると、しばしば語られるように、家格に関係なく「お見合い」で結婚したものの、夫は戦地に(続)

2014-01-14 20:29:44
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo という状況が生まれ始め、戦時中には「結婚相談所」が都市部に設けられた記録があります。終戦前の都市部で、旧来の成年式が催されなかったらしい理由の一つには、成年男子には兵役という通過儀礼が用意されつつ、女子にはそれがなかったということが考えられるかもしれません(続

2014-01-14 20:38:03
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo そして戦後の昭和23年に「成人の日」が制定されます。その意義は「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」。西暦でいえば1948年のこと。敗戦後3年、壊滅的な被害を受けた都市部で復興が進み始めていた時期です(続)。

2014-01-14 20:51:49
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo つまり、戦前の成年式が「地域社会」への成員を迎えるという意義を持っていたなら、戦後になって行われるようになった成人式は、内地で心身ともに傷ついた若者たち、つまり「復興」の担い手に向けたエール、という社会要請の文脈から考察が可能ですね(続)

2014-01-14 21:01:28
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo 成年式・成人式といった儀礼は、まず、それを要請する社会のあり方と深く関わるという視点で考察していくと、手がかりが見えてくると思います。また例えば今日的意義も、今日という社会状況と、そこに生きる若者との関係性に留意しつつ(続)

2014-01-14 21:13:02
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ithasymo 地域差・年齢差を排除した「20歳」という基準に落ち着かなければならなかった当時的な意味を考えると、今日的な一律年齢の成人式のあり方にも、何か言いたくなってきますよね。ぼくも、これを機会にじっくり考えてみたいと思います(了)

2014-01-14 21:18:25
ithasymo @ithasymo

@Hekmatya わかりやすい解説ありがとうございます。今年成人式を体験し、1)大きなホールで一か所に集め、市長のスピーチや実行委員会が行うイベント(新成人の中から何か叫びたいことを叫んだり、感謝の言葉をステージ上で言ったり…)程度で成人としての自覚が来場者に植えつけられたか?

2014-01-14 21:24:26