「絶対絵画」は存在するか

絶対絵画ー絵画における絶対音楽に相当するもの、すなわち絵画のための絵画ーははたして存在するのであろうか。深夜の若干名による考察。
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増田部昇一(Shoichi Masutabe) @masturbeate

絵画における、絶対音楽のようなものってあるのだろうか?つまり、何か標題を絵画を通して表そうとするのではなく、純粋に絵画のための絵画というもの。

2014-01-17 01:34:14
山上オクラ @N_OKRA

人類の歴史上、「絵画」は洞窟壁画ぐらいまで遡れるのだろう。あれは動物を描いたり具象的なもんと同じく、模様とか抽象的なものもあったよな

2014-01-17 01:39:54
山上オクラ @N_OKRA

(絵画解釈について)通常、絵画は表象の一種として捉えられるだろう。この時、前提となっているモデルは絵画の外側に広がる世界と、それを写したものとしての絵画というモデルだと思う

2014-01-17 01:41:58
増田部昇一(Shoichi Masutabe) @masturbeate

たとえば、コンピュータによるランダム操作やThrow Paintのような偶然性による手法によって描かれた絵は、絶対絵画と呼んでも良いのかもしれない。

2014-01-17 01:43:41
山上オクラ @N_OKRA

動物壁画についてもそうだ。実際あの手のの絵画には、一見してよく分からんものがたくさん描かれている。(だからオカルト系の話にもつながる。宇宙人を描いただとか)。つまりここでの解釈は、絵画という表象が、なにを表象しているのかという、世界の中で対応するペア探しである

2014-01-17 01:44:32
山上オクラ @N_OKRA

つまり、モノとコピーの関係である。モノがあって、それを指し示す絵画がある。そして世界に対象となるマテリアルな物が見つからない場合はたいてい、「作家の心理的表現」「心象」だとか精神的なモノの表象というように扱われる

2014-01-17 01:49:09
増田部昇一(Shoichi Masutabe) @masturbeate

クラシック音楽の場合は交響曲第〜番というように、標題がつけらず、作品名をあらわす便宜的な名称のみがつけられているものが多い。しかし絵画の場合は標題がつけられているものが多く、それはどのように理解すべきなのかと疑問に思うのである。もちろん絵画でも、作品〜みたいなやつもあるけれど。

2014-01-17 01:49:38
山上オクラ @N_OKRA

マテリアルなモノの表象、精神的なモノの表象、どちらも前提としているのは絵画とは何かを「写す」何かであるということだろう。つまり原則的に絵画は「〜の」絵画という形態をとる。先のRTで言う純粋絵画とはこの形を取らないものと考えられる

2014-01-17 01:52:12
増田部昇一(Shoichi Masutabe) @masturbeate

@N_OKRA 偶然性の絵画については、どうでしょうか? これはその原則からは語れないものの一つであるように思われます。

2014-01-17 01:56:55
増田部昇一(Shoichi Masutabe) @masturbeate

交響曲第○番××調、みたいな作品名に慣れている身からすると、絵画を初めとする多くの視覚芸術作品に標題がつけられているということはすこし奇妙に感じられたりもするのだ。逆に、後者に慣れている人は、前者を不気味がったりもするのかもしれない。

2014-01-17 01:52:46
山上オクラ @N_OKRA

思考実験① 僕の好きな絵でバーネットニューマンの「アンナの光」という作品がある。真っ赤なキャンパスに一本だけ白いラインが入ったシンプルな作品だ。これが母親だか恋人だか忘れたが、彼女に感じる心象うんぬんと解釈する。この時は世界=コピーモデルが前提となっている

2014-01-17 01:59:06
増田部昇一(Shoichi Masutabe) @masturbeate

そもそも、絶対音楽が存在するっていうのもけっこう怪しいところではあるのだがな。根底にはなんらかの実際的なイメージが流れていたりするし。しかしここで問題になるのは、十二音技法や、偶然性の音楽はどう理解したら良いのか、という点。

2014-01-17 02:01:25
山上オクラ @N_OKRA

仮にペンキをこぼして同じ作品ができてしまったとする。つまりこれは偶然。何も意図せずたまたま出来たものであるとする。この時は何も写そうとしたわけでもないので「〜の絵画」という表現は使えない

2014-01-17 02:01:47
増田部昇一(Shoichi Masutabe) @masturbeate

この話、個人的にはかなり面白いと思う。オクラさんが興味を示してくれたようで嬉しくおもう。

2014-01-17 02:02:46
山上オクラ @N_OKRA

物質的には全く同じものだとしても、この二つは異なる何かとして扱われる。おそらく鍵となるのは結局、見る人の「姿勢」による。

2014-01-17 02:04:22
増田部昇一(Shoichi Masutabe) @masturbeate

@N_OKRA 成る程。これはなかなか本質をついた答えのような気がします

2014-01-17 02:09:51
増田部昇一(Shoichi Masutabe) @masturbeate

往々にして「○○のための純粋な○○」というのはけっこう怪しいものであったりすると思う。芸術であれ、学問であれ。実在なしにそれらが存在するとするのは、おこがましいというか、空虚なゲームというか、そんな空気を感じる。

2014-01-17 02:06:20
山上オクラ @N_OKRA

あー、結局絵画に限った話ではなくなるとこまで来てしまったが、これは「冷蔵庫の音は未知の言語か?」と同じ話に行き着いた。結局、生き方や姿勢の問題なのかね。

2014-01-17 02:07:33
山上オクラ @N_OKRA

つまり絵画についてごちゃごちゃ言うのは一種の翻訳の話であったということかな。今漠然と考えてるのは洞窟壁画とかの意味不明な抽象物に対し、呪術的世界観の表現やら、シャーマンがトリップしてみたモノの表象だとか、ごちゃごちゃごちゃ言うこと自体が正しいのかということ

2014-01-17 02:10:40
山上オクラ @N_OKRA

つまりこの思考実験から何か有意義なことが言えるとすれば、絵画を翻訳するという試み自体の妥当性を問えることかな

2014-01-17 02:14:07
山上オクラ @N_OKRA

そして、ヒトの外側に世界があって、絵画や言葉はそれを写し取るものという、強力であまりにシンプルすぎる僕らの世界観自体を疑ってみる必要がある。果たして本当にそうなのか。どこかに切り込める余地がありそうだな

2014-01-17 02:16:19
山上オクラ @N_OKRA

(反論スケッチ)世界_私_絵画という考え方は、私と絵画という二者を世界から独立したような形で扱っている?しかし実際はそうじゃない?

2014-01-17 02:19:41