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Abraxas_Aeon
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有限(肉体)に無限(神)が宿ると受肉の凄さ、神の前の「謙り」、つまり自己放棄も大切なポイントであることは承知しておりますが、今生きている私にとって大切なのはそこじゃないんですな。後、古典は読んでなくて、さーせんw
2010-10-22 10:18:07
このアカウントで本名を出すことが益々困難になるが、この際、正直に言ってしまおう。私は、処女懐胎、受肉、復活などをそのまま受け入れず、「判断保留」あるいはメタファーとして「解釈」しても、キリスト教の信仰は成立すると考えているのです。
2010-10-22 10:37:57
私の考えは異端かも知れません。ってゆーか異端なのですが、イエスの説いたのはむしろそういう態度だろと(暫定的に)結論しているのです。イエスの物語が後の人、例えばパウロの創作物であったとしても同じです。
2010-10-22 10:42:25
ボコミール派は自分たちの二元論・グノーシス主義的見解を述べるにあたって、自分たちこそが福音書に約束されたキリスト教を説いているのだと説く。彼らは、正教の神学者や聖職者がイエスと使徒の説いた福音書のキリスト教から逸脱していて、自分たちだけがその忠実な信徒だと教える。
2010-10-22 21:35:45
「我々こそは真のキリスト教徒だ」と説くボゴミール派は、その教えについて、新約聖書にのみ基づくべしとする。このへんは別にボゴミール派だけがそう主張したわけではなく、パウロ派だとか、ロシアのストリゴーリニク派とかもそう主張していたので、とりたてて新しいものというわけではない。
2010-10-22 21:41:57
ボゴミール派は福音書のキリストの復活を信念としていた。彼らは新約聖書によく通じていて、説教する際には必ずといっていいほど新約聖書のテクストを用いていた。四福音書、パウロ書簡、使徒行伝、ヨハネ黙示録。原文などみないでどのような句も空で引用して聖書の奥義を極めたと誇る者もいたという。
2010-10-22 21:49:55
自分たちの教えに特有な精神的、グノーシス的傾向を含んでいるという理由から、ボゴミール派がよく好むテクストがやはり『ヨハネ福音書』。この書では、人間の存在と生活の非物質的、精神的な側面がよりはっきりと称揚され、キリストは神人としてではなく、ただロゴスとしてあらわされている。
2010-10-22 21:57:20
ボゴミール派にとって『ヨハネ福音書』のヨハネの姿勢は自分たちのそれに近しいのだそうだ。この書は彼らが宗教共同体で儀式や叙階を行なう際に必携の書だったとか。そしてこの同じヨハネを『ヨハネ黙示録』の著者としても崇敬する。彼らは黙示録から彼らの終末論信仰の基礎と霊感を汲み取ったという。
2010-10-22 22:05:26
しかし福音書を重んじるとはいえ、そのテクストがボゴミール派の観点に都合の良い解釈をほとんど許さないような場合には、自分たちの都合の良いように言葉を変えるという強硬な手段に訴えることもあった。ヨハネ福音書の冒頭「すべての人を照らすまことの光」→「善き人を照らすまことの光」とか。
2010-10-22 22:15:59
「全ての」と言わずに「善き」と変えるのは、ボゴミール派信徒だけが真のキリスト教徒(つまり善き人)であるということをそこに暗示させるためであったという。
2010-10-22 22:21:19
ボゴミール派では神の「独り子の」という言葉を、神の「別の息子の」という言葉に置き換える。なぜなら神の子は二人おり、そのうちの一人に、この世の宇宙を創成する原因となった「サタナエル」という存在がいるからだ。
2010-10-22 22:25:41
ちと出かけなければならないので、もし読んでくださっている方がいたら申し訳ありません、この話の続きはまた今度ということでw。簡単に補足しておきますと、ボゴミール派のテクストには、新約正典の他に色々と言われている『トマス福音書』に重きが置かれているところがあったりします。
2010-10-22 22:36:27
『トマス福音書』は異端の書と言われながら出回るのを止めることが出来なかったほどに持て囃された書。文庫版で全訳(荒井献訳『トマスによる福音書』)が出ています。しかし解釈については大田さんが叩きまくってたなぁ・・・。
2010-10-22 22:43:45
お勧め本、みんな高い本ばかりだなあ・・・(って私がリストしたボゴミール派とかの本も高いけど)。文庫クセジュとかでも良書は多いと思いますが・・・。
2010-10-23 02:02:48
ボゴミール派の旧約に対する態度は敵対的である。後期になるといくらか寛容になって、預言書とかはテクストとして使われるのも出てくるらしいが、モーセとか十戒とか侮蔑してます。新約>旧約だから「知識の開示」とかモチーフは似ていたとしても、ニーチェと逆だとも思える。
2010-10-23 02:15:24
「教育は贈与である(つまり教える側の持ち出し)」、そして「研究も贈与である(他者から受け取ったのだから、返さなければならない)」。 この二点が常識となっている共同体はそう簡単には滅びない(ほぼパクリだww)。このことを分かってくださる方が大勢いらっしゃるはず。文科省の中にだって。
2010-10-23 04:50:46
おお、このレスを見逃しておりました。メチャメチャ興味深いです。これまで宗教学では、酒というと断酒自助会の話ばかりだった気が。。。 RT @diogenes_cask グノーシスが洗礼に蒸留酒を使っていた話など超興味深いですし
2010-10-23 05:08:00
レスありがとうございます。 RT @cochounoyume なるほど RT @pettazzoniano 「教育は贈与である(つまり教える側の持ち出し)」、そして「研究も贈与である(他者から受け取ったのだから、返さなければならない)」。 この二点が常識となっている共同体はそう簡
2010-10-23 05:12:01
@pettazzoniano 携帯の電源落ちちゃって返事が出来ませんでした(汗。少なくとも私はその「共同体」を、言わずと知れた「戦い」の名を持つ男などによって知らされました(笑)。
2010-10-23 12:32:42
モースはデュルケームの甥であり、「デュルケーム学派」の一員であるとされています。しかし、宗教に関する研究を先に始めたのはモースです。デュルケームはモースの影響のもとで『宗教的生の基礎形態』を書きました。
2010-10-23 12:57:51