美術批評家が、なぜ村上隆については「口を噤んでしまう」のか?

美術家水野亮さんによる美術手帖11月号村上隆特集読了後のツイートをまとめました。 参考 MIZUNO RYO'S DRAWING HELL 水野亮のドローイング地獄http://bit.ly/9Fhjik 美術家福居伸宏さんのブログ Übungsplatz〔練習場〕2010-10-23 水野亮さんのツイッター(ツイログ)より〔美術手帖11月号の村上隆さん特集を起点に〕 http://3.ly/SadN 美術犬 (I.N.U.) http://bijutsuken.cocolog-nifty.com/ 続きを読む
現代アート 評論 美術 芸術 村上隆 批評 美術手帖 現代美術 アート
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水野 亮(3) @drawinghell
村上隆特集の美術手帖11月号を図書館で見た。いやぁ~ヒジョーに良くできてるねぇ~と感心する。ヒジョーーーーーに良くできたカイカイキキの公式企業パンフレットだw
水野 亮(3) @drawinghell
「ヒジョーに良くできた公式企業パンフを美術手帖誌上で実現してしまうこと」がそのまま村上隆の芸術を構成する一つになってしまうところが村上隆というアーティストの厄介なところなのだが、それにしても外側からの視点で村上の芸術を相対化させる論考が一本も載ってないのはやはり「異常」だ。
水野 亮(3) @drawinghell
「外部」からの論考を載せないことが企画を受け入れる条件だったのか、それとも単に書く人材がいなかったのか・・・。そーいえば先日見に行った美術犬主催の「批評!!」シンポジウムでも村上隆について美術批評が「誰も敢えて触れない(触れられない)」現状が話題の一つに上っていた。
水野 亮(3) @drawinghell
なぜ「現代アート」を論じる専門家であるはずの美術批評家が、世の中的にはまず文句なくもっとも有名な「現代アート」である村上隆については「口を噤んでしまう」のか? 少し長くなるかもしれないが俺的に(好き勝手な)考察をしてみる。
水野 亮(3) @drawinghell
以前にも少し書いたが、俺は村上隆のやっていることは煎じ詰めれば「デュシャンの便器」と変わらないと思っている。つまりマガイモノ(便器)を本物(芸術)に見せかけることで「芸術」自体の成り立ちの「マガイモノさ」を露わにするという構造批評を内在化させたメタ的な作品なのだ。
水野 亮(3) @drawinghell
村上隆が作品のモチーフに徹底してB級キッチュなイメージを用いるのも、その反面作品の商品的な「仕上がり」は徹底して高品質に作り込むのも全てそのため(つまりマガイモノ(便器)を本物(芸術)に見せかけるため)だと考えれば非常に理解しやすい。
水野 亮(3) @drawinghell
デュシャンはサインを入れて展覧会に出品するだけで便器を「芸術」へと変換させることができたが、それから一世紀近く経った現代においてそれは遥かに複雑化している。村上隆が文脈からなにからなにまでその構造ごと自力で全部仕立て上げなければならないのはその為である。
水野 亮(3) @drawinghell
村上隆がことあるごとに(今回のBTの表紙を見れば分かるように)「芸術」を連呼し強調するのは、それがホントは「芸術」でないからである。でもそのことによって「本当の芸術」も実は「マガイモノ(便器)」であるということが露わになるその構造が、おそらく批評を困難にさせるのだろう。
水野 亮(3) @drawinghell
だから村上隆の作品に対して「正面から向き合い」美学的な観点から難癖をつけてみても、それは「便器」に対してアレコレ言ってるのと同じで、傍から見るとマヌケでしかない。つまり村上隆の作品を「芸術」として扱った瞬間から、既に評者は村上の手中にいるのである。
水野 亮(3) @drawinghell
同じく村上隆の「言っていること(たとえば「スーパフラット」とか)」をアレコレ論難するのも、既にその時点で村上の術中に嵌っていることになる。それは「便器」を粉飾する要素の一つにすぎず、それを受け入れた時点で既に「便器」を評しているのと同じ態を晒してしまうからだ。
水野 亮(3) @drawinghell
かと言って「便器」であることを指摘し「芸術じゃない!」と批判することも不可能だ。なぜならそれは「芸術」そのものを否定することにも繋がるから。「王様は裸だ!」と叫んだ瞬間、実はみんな裸だと気付くような、村上の作品は(あるいは「現代アート」は)そーゆー構造になっている。
水野 亮(3) @drawinghell
村上隆がことあるごとに「実践」と「成功」を強調するのは当然である。村上の芸術自体は「実践」と「成功」によってのみ成立するのだから。作品や所論について少々論難されても、「成功」を主張すれば簡単に論破できる。「詐称」は成功していれば、その手段の矛盾や不備など何の問題にもならないのだ。
水野 亮(3) @drawinghell
そして批評が「見て見ぬふり」をしてるうちに、村上隆の「成功」はどんどん「完成」に近付きつつある。先の「批評!!」シンポジウムでも、そろそろ批評の側が村上隆に対して応えなければいけないんじゃないかといった話が出ていたが、果たしてそれは本当に為されるのだろうか?
水野 亮(3) @drawinghell
もし為されるのだとすれば、それは今ある「アート」そのものをリセットしてしまうようなものでない限り、有効たり得ないだろう。そして(ひょっとすると)村上隆がほんとうに待っているのは、それなのではないだろうか? 設えは全部俺が拵えたんだから、さぁいつでもリセットしてみろ、と。
Taisuke Shimanuki @nukisuke
そんな上から目線な内容がシンポで交わされていたんですか? RT @drawinghell (前略)先の「批評!!」シンポジウムでも、そろそろ批評の側が村上隆に対して応えなければいけないんじゃないかといった話が出ていたが、果たしてそれは本当に為されるのだろうか?
水野 亮(3) @drawinghell
個人的にはもうイーカゲンここらで一度「アート」をリセットして、根こそぎ全部ちゃらにしてしまってもいいんじゃないかと思っているのだが、奇しくも村上隆特集の今月号から美術手帖で連載の始まった椹木野衣の「後美術論」が「それ」になるのかどーかは・・・読んでないからワカラナイw
水野 亮(3) @drawinghell
@nukisuke 僕の書き方のせいかもしれないけど「上から目線」・・・って感じではなかったですね。どっちかというと「困ったなー」みたいな感じの方が印象強かったかもw
Taisuke Shimanuki @nukisuke
@drawinghell うーん、実際シンポ見ていないからなんとも言えないですけど、「困ったなー」でもやっぱり対岸の火事ってかんじですよね。そのスタンスであり続ける限り、批評は外に向かっていかないし、退屈だと思うんです。
水野 亮(3) @drawinghell
@nukisuke 「対岸の火事」でもなくなってきたから「困ってる」みたいでしたが。例えば現代アートについての本を出す条件として「村上隆についていいか悪いかハッキリとした評価を入れない限り出さない!」と出版社から言い渡されたとかw
Taisuke Shimanuki @nukisuke
@drawinghell 無理な要求を強いられて、了承できないならファックと言えばいいし、どうしても本を出したいなら唯々諾々と従って、別の戦略を練ったほうがいいと思います。いずれにせよ総じて批評側の強度と粘り強さが欠けていると思うんです。
水野 亮(3) @drawinghell
.@nukisuke いや、個別の対応がどうこうとか言うよりも、むしろこの話のキモは出版社からそんな要求が出るほど村上隆について批評の側が「口を噤んでいる」ということなんです。「強度と粘り強さ」以前に、じゃあいったい誰が書いているのか?、と。
水野 亮(3) @drawinghell
.@nukisuke 論考が一本も載ってない(外側からの視点が一切排除されている)今回の美術手帖の特集自体が充分スギルほど“変”なのに、それがあんまり“変”に思われないほど状況はイビツだということなのでしょう。
水野 亮(3) @drawinghell
.@nukisuke 「あんなの批評の対象じゃない」=「書かない」というのは正当な態度だけど、その「批評の対象じゃない」理由を書かないことにはもードーシヨーモナイよーな状況におそらく既になっている。批評だって当然読者あってのものだし、読者は「それ」こそが一番知りたいのだから。
水野 亮(3) @drawinghell
東京国立博物館「東大寺大仏」、残念ながら大仏本体は奈良から来てないが(当たり前だw)、相変わらず笑っちゃうほど良く出来た最近の東博の寺モノ展ではお馴染みのどこのアミューズメント施設かと思うような大規模展示は、エンターテイメント展覧会の最前線を突っ走っていて、やっぱり笑っちゃったw
水野 亮(3) @drawinghell
(東大寺大仏)もはやこれは「展覧会で仏像を見る」という体験とは別の位相へと移行しているような気さえする。仏閣から美術館・博物館へと仏像を「見る」場所は近代化とともに移動したが、それがこの大規模な「アミューズメント型展示」によって、さらに新たな次元に突入しつつあるのでは?と。
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コメント

豪徳寺鐡牙 @Cristoforou 2010年10月24日
…うち、村上隆とダミアン・ハーストは現代アート界きっての愛されないキャラだという持論を唱えてます。他のアーティストは「大好き!」っていう人をたいてい見たことあるんだけど、この二人の作品については評価してても「大好き!」っていう人を見たことがない。批評の対象になりにくいのはしつこく取り組みたくなる熱意をそそらないというとこもあるんじゃないかな?全くの素人考えですが。
横田寛之 Hiroyuki Yokota @gauchedavinci 2010年10月24日
RT @drawinghell: だから村上隆の作品に対して「正面から向き合い」美学的な観点から難癖をつけてみても、それは「便器」に対してアレコレ言ってるのと同じで、傍から見るとマヌケでしかない。つまり村上隆の作品を「芸術」として扱った瞬間から、既に評者は村上の手中にいるのである。
@Nr8_Seiken 2010年10月24日
なんか読んでて痒い。基本間違ったことは書かれていないが、扱ってる情報や視点が少なすぎる希ガス。
katou motomu @m0_cchan 2010年10月24日
外部の視点が足りないと今回の特集号について言っているけどじゃあ過去の(誰だっていいや)組まれた特集号で外部の視点ってあったのかよとツッコミを入れたい。 全体を通して書いている人の芯となる芸術に対する価値観が見えないから難癖を多少説得力のある形でつけているぐらいにしか見えないな。
小俣(加藤)小夜子 @sayokomatta 2010年10月24日
@drawinghell 博物館や美術館が採算を考えなくてはならなくなり、乃村工藝とか丹青社とか広告代理店とかが展示に参入するようになったことで、エンタメ化の流れは決定的に。科学博物館なども。観客として、展示物についての知識を得やすくなって良かった面と、わ学問的に難解な面があるということが隠されてしまったという残念な面と両方あります。
腹下しの助 @bitiguso 2010年10月30日
便器に「付加価値」を付けて高値で売りさばく達人、村上隆。ただの壺に「付加価値」を付けて高値で売りさばく達人、統一教会の人。そして王様に透明の服を売りつけた商人。虚構である「付加価値」が明らかになる瞬間は、子供の無邪気な一言だったりする。
シンボリタクジ @symbolix 2010年11月9日
自分はあまり何もしないで「村上隆」という存在にただ嫉妬しているんだ、というマイナス地点に居ることにまず自覚しないと、何も始まらない。そしてそれに気づけばこんなことを書く必要ない。
シンボリタクジ @symbolix 2010年11月9日
クールに括ってみるのも勝手だけれど、個人的にはまったく正直な話、村上隆氏の本物の作品を目の前にして、これがアートかどうか疑問を持つ、って人の気持ちの方がよく分からない。現代に生きる人にとっては、ピカソを目の前にしたときよりダイレクトな衝撃だと。ただのオタク文化の再利用だなんて事も、あの仕上がりと迫力を前にして全く思わない。ぜひ、一度だけでも本物を見て下さいネ。 あ、それから、ダミアン・ハーストと村上隆、ボクは大好きですよ!
腹下しの助 @bitiguso 2010年11月9日
商売的に成功している村上批判=「嫉妬」?ずいぶん短絡的だな、これじゃレッテル貼りじゃあないですか。いろいろ村上批判あるからさ、適当なの抜粋してきてそれに付いて「具体的に」嫉妬かどうか批判した方がいいと思うよ。「この部分が嫉妬に見えるってさ」。そうですよね、村上さん。
シンボリタクジ @symbolix 2010年11月9日
ゴメンね、bitigusoさん、ちゃんと応えたいけど、でも少しアナタのコミュニケーションはおかしい。直前に自分で村上隆の作品をカルト教団の壷と同等に語っておきながら、私に「具体的に示せ」と問いかけるのはすごくおかしい。どうでも答えろ、と言われたら「例えばbitigusoさんのコメントご覧下さい」ともちろん言います。それが嫉妬じゃなくて冷静な批判なんだと主張して、僕に拾えと言われても困るよ。それともアナタは自分の言っている(言った)ことがよく分からないんだ、ということ?(マジメに聞いてます。)
五代雄介 @Eric_Ridel 2010年11月10日
後半部の村上氏のツイートとそれへの反応はこちら; http://togetter.com/li/67640
□□□□ @3000m 2010年11月11日
まずBTはカイカイキキの広告の出稿止めないと。パブ記事にしか見えないからね
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