赤田さんの、愛の哲学の記事を読む。愛に理由はあるのか。http://www.at-akada.org/blog/2010/02/post-299.html
2010-02-17 11:30:00赤田さんのブログにあった「愛の哲学」を読んだあとに、精神的自由権について勉強した結果、「愛することを制約できるか」という問いを思い付いた
2010-02-17 15:16:13「感情説」を取るなら制約できないが、「関係説」を取るなら、公共の福祉の観点から制約されるのではないだろうか。
2010-02-17 15:17:19ストーカー規制法やDV禁止法あたりが、具体的な法令と言えそうだが、これらは「愛すること」よりは暴力や迷惑行為の禁止か。ならば、姦通あたりが問題になってくるのかなあ
2010-02-17 15:19:26@sakstyle 不適切な愛(適切な理由のない愛)というのは、不適切な感情(適切な理由のない感情)と同じようなものなので、恐怖症がそうであるように、非難されるわけではないが、不適切な風に見える、ということらしいです。
2010-02-17 15:35:13@at_akada なるほど、積極的によくないこととされる(非難される・禁止される)というよりは、適切な理由がないという消極的な感じなんですね。
2010-02-17 16:27:24適切な理由がないのであればなくなるのが普通だけど、まあでも、そういう感情を抱いちゃうこともあるよねって感じか(理由について誤解してるとか)。
2010-02-17 16:29:23ある感情がどういうものか(概念の定義)とその正当化、というのを区別できるってことか。/あと、感情と行為の関係も気になる。何の行為も起こさない感情はあるのかとか
2010-02-17 16:33:40さっき、定義と正当化が区別できるって書いたけどちょっと訂正。赤田さんも書いてある通り、原因と理由の区別。そして、定義というか概念分析の際には理由も考慮される。
2010-02-17 17:38:55例えば、後期ウィトの言語ゲームって、要するに概念分析に際しては後者(社会的規範)の考慮が必要って話。これは、哲学の自然化に抗するものなんだな
2010-02-17 17:45:53以前から、反自然化的な議論にも魅力は感じていたんだけど。あと、転向したというのも嘘w。当然だけど、ケースバイケースで考える
2010-02-17 17:51:29今まで、哲学は事実でなく規範に関わるのであって、その意味で固有の価値を持ってるっていう議論が、哲学を守ろうとしているだけのものに思えて好きではなかったのだが
2010-02-17 17:54:01概念分析する際に、自然化しきれない範囲を含むものもあるよなあ、というか。行為論とか心の哲学は自然化できなさそう。
2010-02-17 17:57:54以前後輩が、「感動という概念の自然化」とでもいうべき主張をしていて、自分は「哲学」の立場から反論していた。なぜ自分は、自然化の議論に反対してるんだろう、と内心で思いながら。
2010-02-17 18:03:56美的性質の実在論とか、あまりちゃんと知らないんだけど、しかし何となく納得いってない。実在と自然化は独立した議論だけども、なんかこうそこらへん
2010-02-17 18:09:39個人的に興味があるのは、美的性質全般ではなく、リアリティと称されるような性質だけど、それに関しては、作品に内在しているというよりは、鑑賞者との関係の中で生ずると考えているので
2010-02-17 18:21:24ただしこの考えは、ある作品がリアリティという性質を有しているか否かの判断が恣意的になりすぎるのでは、という批判がありうる
2010-02-17 18:27:06主観的になっちゃうのは確かだと思う。でも極端に恣意的にはならないと思ってる。ただそれは単なる希望。『フィクションの哲学』を再読して検討、とかしたいのだが、事情によりそれは当分できない
2010-02-17 18:31:08