自分の考えを少しまとめたみた(メモ)

備忘のため。普通の研究者ならこんなことしないでも忘れないんだろうけど、僕は研究者じゃないのでたまにこうやって整理しないと忘れてしまう。後悔する必要もないだろうけど、誰かの参考になるかも知れないので。
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n11個さん/永田希 4/17『積読こそが完全な読書術である』 @nnnnnnnnnnn

昨日、@anteros さんのお宅で音声詩の音源を聞かせていただきながら思ったのですが、いま一般に音楽と言われているものはライブと音源とに分断されつつひとつのものだと認識されている。ただし、音楽の分類はそれだけではない。

2010-10-24 13:20:46
n11個さん/永田希 4/17『積読こそが完全な読書術である』 @nnnnnnnnnnn

音源だけであれば、少し前まではレコード屋の棚の分け方としてのジャンルというものがあったけれど、音源とライブとの分断がなかった頃(楽譜のことはいったん保留しておく)、音楽は声楽と器楽とに分かれていた。それはつまり、詩と楽器演奏の分断だったと僕は(とりあえず)思っている。

2010-10-24 13:22:28
n11個さん/永田希 4/17『積読こそが完全な読書術である』 @nnnnnnnnnnn

@anteros さんが詳しい音声詩は、音源としては例えばレコード屋などでは「現代音楽」に含まれ、具体音楽の文脈に含められることが多いが、文脈としては詩の系列であり、声楽の類だと思う。(ただし身体を楽器として演奏する器楽的発想による「声楽」の伝統もあるので、難しいところではある)

2010-10-24 13:24:08
n11個さん/永田希 4/17『積読こそが完全な読書術である』 @nnnnnnnnnnn

アンリ・ショパンは、マイクと録音用のテープと録音機のエフェクト、フィードバックによるハウリングなどを使って、詩を拡張した。それは声・記号・歌・詩、それを発する人間の拡張でもあった。そこには文字、とりわけ書き文字の特権性が保留されている。

2010-10-24 13:26:36
n11個さん/永田希 4/17『積読こそが完全な読書術である』 @nnnnnnnnnnn

他方で、器楽の方には「交響詩」みたいなものがあって、そっちは声を使わずに「詩的なもの」を表現しようとする。この場合、さきほど保留した楽譜という、ある種の「書き文字」(この「ある種の」というのは問題だけど)はかなり特権的。

2010-10-24 13:27:55
n11個さん/永田希 4/17『積読こそが完全な読書術である』 @nnnnnnnnnnn

楽器や機械による身体の延長(あるいはその延長感覚と実際の身体感覚とのズレ)、楽器や機械といわゆる「メディア」一般との接合による、この延長やズレの増幅というのは、ここ10年くらいの僕のテーマです。

2010-10-24 13:30:23
n11個さん/永田希 4/17『積読こそが完全な読書術である』 @nnnnnnnnnnn

その関係で、佐藤さんがtwitterを現代詩だといったり、サイファで拡張器を使ったり、tomadくんがネットで音源を収集してバラまいてバラまいた結果を研究していることとか、非常に興味がある。

2010-10-24 13:31:43
n11個さん/永田希 4/17『積読こそが完全な読書術である』 @nnnnnnnnnnn

@soulflower_no1 さんに以前に読ませてもらったペーター・サンディの話とか、デリダやスティグレールの議論というのも、僕にとってはそのあたりの問題。宅録や小規模な聴衆に向けてのDJプレイ、ラジオ、あと何より、ポータブルオーディオによる日常生活へのBGMの付与とか。

2010-10-24 13:35:16

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