小牧長久手の戦いの逸話など・Road2に向けて

グレート家康公葵武将隊の今年の部隊が小牧長久手の合戦を題材としているということで、有名なものからあまり知られていない逸話などをぼちぼち紹介。
歴史 なりきり武将
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榊原小平太康政 @sakaki_koheita
なかなかまとまった時間がとれないので、今日からぼちぼち小牧長久手関係の逸話について。舞台までにどこまでやれるかわからんが。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
小牧長久手というと、兵部のところの赤備えのでびゅー戦といわれとるが、この時の話はいくつかある。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
兵部が大戦さを前にして泣いたとか。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
そもそも、その赤備えは左衛門尉殿とわしにつけられる予定だったが、左衛門尉殿が殿にすすめて兵部のところに全部行くことになった。武田の旧臣が中心だが、他にも遠州引佐周辺の国衆や、縁戚である松平周防殿関係の部隊など、内容は色々だった。数はおよそ三千。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
有名な逸話として、この時キレたわしが兵部と差し違えてやる覚悟だと左衛門尉殿につげたところ、聞き分けんなら妻子共々槍でつき殺すぞとさらにキレられた。というのがあるな。なおこの時「外様は外様につけるのが良い」というようなことを言われた。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
もっともその左衛門尉殿も、後に小牧山にて元武田の広瀬殿・三科殿・早川殿などに御下問あった時、兵部のところから殿の本体……旗本にうつしてはどうかと提案されたようだが、殿の返事は「子細あってのこと」と受けつけなかった。歴戦の武士を前線に出さないのは宝の持ち腐れではある。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
このお三方に対しての御下問というのは、羽柴軍の大軍についてだった。答えは、いくら数がいたところで勝負の道を知らねば頭数ばかりいても少数とかわらない。というものだった。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
実際、小牧長久手の初戦・羽黒の戦いでは、鬼武蔵殿のやりかたは下策だったと記録にある。この戦いは左衛門尉殿が大活躍されたんだけどな。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
そのあとの岡崎中入りまで含めて、森・池田・三好隊の行動は脇が甘い感じがある。中入りは作戦としては有効だったと思うが、そも隠密行動をしていない。それ自体が陽動というわけでもない。ちと中途半端だな。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
岩崎城の戦いは、素通りしようとしたところ岩崎の城兵が池田殿の馬を撃ち殺し、怒った池田殿が戦いを挑んだというが、この城を無視して通るのは位置的にも危険だと思う。岩崎城攻略は既定路線だった可能性もある。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
そういえばこの中入り作戦自体、逸話では森殿池田殿が言い出したことになっとるけど、実は羽柴殿の案じゃないかって話があるな。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
中入りがどちらの案だったとしても、こちらが相手の想定外の速度で動いたことが肝なわけで、あまり関係はないけどな。徳川が野戦に強いというのはそのころすでに言われておったと思うが、数を頼んだことで慢心が生まれたのだろう。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
やはり逸話だけ淡々と紹介するのは無理だな(己を振り返る
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
とりあえず本日はここまで。続きは明日以降に。

榊原小平太康政 @sakaki_koheita
小牧長久手の続きをしようか。若干反省したので、今日は徳川実紀を元に話しをしよう。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
徳川実紀は江戸幕府の公式編纂物で、成立は遅いがそれなりにまとまった量がある。内容の信頼度は低いものの、たいていの図書館にあるだろうし、今はネットでも読める。また現代語訳である家康公伝も出版されておる。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
殿のものは正式には東照宮御実紀という。また東照宮御実紀附録がある。以下若の分が台徳院殿御実紀と台徳院殿御実紀附録というように、それぞれの将軍ごとにまとめられておる。全部まとめての総称が、徳川実紀だ。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
実紀は幕府が資料を色々なところから提出させたりして集めたものを編纂したものだが、こういう話は時代が下るにつれて話に尾ひれがついていたり、登場人物がかわっていたりするので厳密にこの通りのことがあったとは言えない。が、全部が全部創作ではないし、読み物としても面白い。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
幕府の編纂物だから、殿の神格化が激しいきらいはあるがな。まぁそのへんは割り引いて見てくれ。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
岡崎中入り組を追って小牧を夜中に出陣した後、殿は小牧山より三十余町、勝川兜塚という所にて夜が明けた。岩崎城のほうに煙があがるのをごらんになって、哀れなり次郎助。今頃討ち死にしているであろう。とおっしゃった。次郎助は岩崎城主丹羽氏重殿のことだな。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
そしてここはなんというところかとお尋ねになられて、勝川兜塚というところだと聞くと、これはめでたい地名だとこの場所で甲冑をめされ、湯漬けを召し上がった。先行している先手の者で首を持って帰る者もいたので、それをご覧になった。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
兵部の隊の一部が前進しすぎていて隊列が乱れているのを殿がごらんになり、「井伊の部隊を止めよ。木俣はおらんのか。木俣清三郎に腹を切らせよ」とキレたというが、この隊列の乱れを起こしたのは兵部本人だな。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
兵部は山を越えて軍勢を押し出す、と言ったところ、配下の武田旧臣である広瀬殿などが反対。そこへ近藤秀用殿……これは井伊谷の井伊家の親戚衆のだが、兵部の兜をつかんで止め、馬の鼻先を反対の方向に向けたというがこれもあまり効かなかった。まぁこのへんは兵部本人に聞けばよかろう。
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