のんさんと白象さんの外傷をめぐる対話~歌はどこで生まれるのか

歌は言葉に先行する。それは身体の揺れや心音や血流といった音、リズムが徐々に音程をなしたハミングになる。そんな過程を考えさせられました。
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のん @NON9056

夢が願望充足だとするならば、それは誰の願望充足なんだろう?私の?あなたの?他者の?自我の?エスの?意識の?無意識の? 夢のドイツ語はtraumか。そこには死の陰影があるな。

2014-02-06 10:19:02
白象 @elephantcalli

頭の中に音楽が流れて消えないことがある。最近はかぐや姫の物語の主題歌が流れているので、時々予告編を見ながら音楽を流すのだけど、考えてみれば歌は始まりがあって終わりがある。物語があってその終わりと共に歌も消える。頭の中に流れ続けのは、覚えていない歌ばかりだなとふと思う。

2014-02-06 12:40:44
白象 @elephantcalli

歌を覚えている時に、浮かんできた音楽をずっと歌ってしまえば、あるいはその音楽が流されれば、頭の中にいつまでも音楽が流れることはないのかも知れないなと思う。そのように考えて、外傷性の記憶とは終わらない歌なのだな、と、物語性を剥奪された場面の集積なのだなと思う。

2014-02-06 12:42:51
白象 @elephantcalli

もしかしたらそれは終わりを告げる物語を求め、いつか消えていくメロディーを探す、亡霊であるのかも知れないなと思う。外傷的な記憶のもつ痛ましさに、それが主体に与える損傷に、人の目は向かいやすいけれども、終わらない歌を歌う亡霊に音楽を与えることを、喪の作業というのかも知れない。

2014-02-06 12:45:36
のん @NON9056

@elephantcalli 感銘を受けたのでコメントさせてください。私も「夢」を通して同じようなことを偶然考えていました。この「亡霊」とは何者なんでしょうね。

2014-02-06 15:31:01
白象 @elephantcalli

@NON9056 「夢」のツイート拝見していました。それほど深く考えられていませんが、考える者のない考えのように悼まれることのない喪であるような気がしています。それは力動的に無意識であるかも知れないし、コンテイナーを探しあぐねて彷徨うがゆえに無意識であるのかも知れません。

2014-02-06 16:35:30
のん @NON9056

@elephantcalli ご返信ありがとうございます。長くなりますが、喚起されたことを書いてもよろしいでしょうか。私は外傷の原基はウィニコットのいう「存在することの連続性」の断絶だと考えています。lmpingementですね。それが自己内に死滅したエリアをつくりだすと。

2014-02-06 16:49:34
のん @NON9056

@elephantcalli ウィニコットはimpingementの発生要素を他者(母の他者性)とエス(それ)にみていますが、私は外傷とは、断絶され、死滅した自己のエリアにそうした他者や「それ」が主体のペースを越えて棲まうことだと考えています。それが亡霊の正体ではないかと。

2014-02-06 16:55:32
のん @NON9056

@elephantcalli ですので、その亡霊がレクイエムを歌うことができれば、それらは「死滅」ではなく、「生きられた死」となり、主体のペースに取り込まれるものになるのではないかと。ここから「夢」(traum)に結びつけると、私は夢の主体は必ずしも、その夢見手にあるのではなく、

2014-02-06 17:05:18
のん @NON9056

@elephantcalli 他者が担う可能性も考えています。ですので、治療においては、患者の死滅したエリア内の「他者」に私たちがなり、そこで私たちが夢見ることができれば、それが白象さんのいう歌(レクイエム)を歌う亡霊になるのではないかと考えてみました。

2014-02-06 17:14:38
のん @NON9056

@elephantcalli 結論になりますが、外傷という事態にとりくむとき、私たちこそが死を生きる必要があるのではないかと。患者の中の亡霊に音楽を与えるという見方とともに、私たちこそが亡霊と化すことを許容し、なおかつ歌う(夢見る)必要がある、という視点はどうでしょうか。

2014-02-06 17:27:21
白象 @elephantcalli

@NON9056 興味深いです。ありがとうございます。存在の連続性に出来た断絶としての外傷は、おそらくそうなのでしょうね。ウィニコットが侵襲として取り上げ、それに対する適応として偽りの自己を論じたその場所に、「他者」が住まうのではないか、それが亡霊ではないかということですね。

2014-02-06 17:44:36
白象 @elephantcalli

@NON9056 夢見手は「他者」であるとはボラスも論じているところですし、私もそう思います。ただボラスはその他者性を自我に与えているところが大きく違うところだと思うのですが、のんさんの結論を逆にたどると、亡霊としての「他者」である母親やイドが歌を求めていることになりますね。

2014-02-06 17:48:37
白象 @elephantcalli

@NON9056 あるいは「他者」のいたところで私たちが歌うことをおっしゃっているのでしょうか。無意識はいつでもフロイトがIchといったところの主体としての私にとって他者であるだろうと思います。「それ」はイドと呼ばれるものかも知れないし、自我かも知れないし、母親かも知れません。

2014-02-06 17:50:48
白象 @elephantcalli

@NON9056 確かに外傷において、その断裂に「他者」が住まうことはあると思います。この時の亡霊は、あるいは夢見手は誰なのでしょうね。私はどちらかというと断裂を抱えた主体としての「私」ではないかと思っていましたが、のんさんの視点に刺激されてその状況全体かも知れないと思いました。

2014-02-06 17:53:08
白象 @elephantcalli

@NON9056 存在することの連続性に断裂が生じた時、それを外傷と呼ぶことはもちろんありうることだと思いますが、同時に、その視点こそが時間を止めたある場面描写となっていることをふと思いました。つまり、本来的には、連続性に断裂が生じることもまた物語なのではないかと思ったのです。

2014-02-06 17:56:17
白象 @elephantcalli

@NON9056 急激な侵襲が生じ、存在の連続性が途絶え、あるいは脅かされもすることは、けれどもその前史と後史とも呼ぶべきものを伴っていて、本当に断裂しているのはそこではないかと思いました。それは「私」か「他者」かではなく、その有り様の静止こそが外傷性の記憶であり夢ではないかと。

2014-02-06 18:01:50
白象 @elephantcalli

@NON9056 それはおっしゃるように生きられた死であると思います。死がそこに存在し続けています。この存在することの連続性の断絶(死)さえ含みこんで存在することが成り立つ時に外傷は癒されるのではないかと、そのために歌は歌われ、そこに向けて夢は見られるのではないかと思いました。

2014-02-06 18:11:03
白象 @elephantcalli

@NON9056 私たちは確かに心理療法において死を生きる必要があるのでしょうね。ただそれが歌を求める亡霊としての「他者」であるのか、私にはまだ新しい視点として考える作業が必要なようです。でも刺激されました。最後に、外傷に限らず私たちは他者を生きているという点には強く同意します。

2014-02-06 18:17:25
のん @NON9056

@elephantcalli 錯綜した私の考えを明瞭にしていただき、さらに新鮮な見解をもたらしていただいてありがとうございます。夜の仕事が始まるのでリコメントが中途で途切れるかもしれません。

2014-02-06 18:29:11
のん @NON9056

@elephantcalli ボラスは私も意識しているところだったのですが、私の理解では、断裂された空間、死滅したエリアで私たちが「歌う」という理解です。私の臨床経験上、(たとえばポストトラウマティックセラピーやEMDRのように)その死滅したエリアに「外」からの働きかけによって、

2014-02-06 18:33:18
のん @NON9056

@elephantcalli 「生」やセキュリティの感覚を付与することは、本質的には不可能だという感覚があり、結局、その死滅したエリアに棲む亡霊に私たちがなり(私たちが心的に死に)、けれども「歌う」ことができるかどうかが問われていると感じてきました。

2014-02-06 18:36:11
のん @NON9056

@elephantcalli 歌うこと(夢見ること)を求めているのは誰かという問いですが、それは断絶されていない患者の自己部分(連続性を保つ健康なパート)だと考えます。ただ、その健康的なパートは自分たちが歌うのではなく、その断絶され、死滅したエリア内に棲まう「他者」にこそ歌って

2014-02-06 18:41:14
のん @NON9056

@elephantcalli ほしいと願っているのではないかと考えています。亡霊自体は、それを願うことすらできないのではないかと。

2014-02-06 18:42:50
のん @NON9056

@elephantcalli けれども、健康的なパートは「死滅したエリア内に棲まう他者」にそれを歌わせることが自らの力ではできない。私は外傷体験とは、自らの病や死滅したエリアをどうすることもできないという「健康的なパート側」の無力感も大きな問題だと考えています。

2014-02-06 18:46:29
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