渡邊芳之先生ynabe39の「自分の子どもには辛くなったら学校はやめてよいと言っている。そのことにどんな弊害があるとしても、子どもを死なすよりはよい。」

自分は学ぶことで幸福になった、自分は学ぶことで騙されなくなった、でも他の人は違うかもしれない。そういうイマジネーションを生み出すのも知識の力です。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

私は自分の子どもには辛くなったら学校はやめてよいと言っている。そのことにどんな弊害があるとしても、子どもを死なすよりはよい。

2010-10-26 00:45:51
渡邊芳之 @ynabe39

学校に行くことは常にどんな条件下でも学校に行かないよりは子どものためになる、というのはいくらなんでも正しくない。でもそのように思っている人はいる。

2010-10-26 01:18:33
渡邊芳之 @ynabe39

自分は行かなかったが、行ったほうがよかっただろうなと言われる、というのが意外と人と学校との理想的な関係であるかもしれない。

2010-10-26 01:23:30
渡邊芳之 @ynabe39

学ばないより学ぶほうが無条件によい、というのも迷信だ。学んで損をする、不幸になることだっていくらでもある。

2010-10-26 01:26:53
渡邊芳之 @ynabe39

「学ぶ自由とともに学ばない自由を」というのは冗談や反語ではない。

2010-10-26 01:28:23
渡邊芳之 @ynabe39

学ぶことの恐ろしさを知らせることだって学問の大切な役割だ。

2010-10-26 01:33:49
渡邊芳之 @ynabe39

知識や学問は、それ自体では人を幸せにするものでも、不幸にするものでもありません。学問の価値や結果はそれぞれの個人の歴史や社会経済的な状況によって様々です。

2010-10-26 01:47:39
渡邊芳之 @ynabe39

私が前から言っている「大学進学率の上昇が若者世代だけでなく親世代にも貧困を産んでいる」「大学進学がかえって貧困を再生産している」というのもそういうことです。

2010-10-26 01:51:54
渡邊芳之 @ynabe39

もちろん学問には価値がありますが、価値のあるものが常に人を幸せにするわけではありません。

2010-10-26 01:53:09
渡邊芳之 @ynabe39

自分が学ぶことを価値づけるために他人の問題を持ち出すのは卑怯とまでは言わないが不適切だと思う。「私が学ぶことには価値があり、自分は学んで幸せになった、他人のことはわからない」でいいじゃないか。

2010-10-26 01:56:23
渡邊芳之 @ynabe39

そういうやつに限って、自分に都合のいいことばかり学んで「学んだ学んだ」という。そりゃあ自分に都合のいいことだけ学べば幸福な気分になるだろう。でも学問はもっと厳しいものだ。

2010-10-26 01:59:21
渡邊芳之 @ynabe39

自分は学ぶことで幸福になった、自分は学ぶことで騙されなくなった、でも他の人は違うかもしれない。そういうイマジネーションを生み出すのも知識の力です。

2010-10-26 02:07:03
渡邊芳之 @ynabe39

学べば必ず幸せになれる教。

2010-10-26 02:12:25
渡邊芳之 @ynabe39

「学生時代、勉強したことないでしょ」と言われて「そんなことない」と返せる人はまずいないねw

2010-10-26 02:42:55
渡邊芳之 @ynabe39

学んで得をした、幸福になった場合だけを「学び」という、というのもそれはそれで都合のいい話だ。

2010-10-26 02:45:07