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抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム | 石岡良治 http://tenplusone-db.inax.co.jp/backnumber/article/articleid/630/
2010-10-21 20:41:24抽象をめぐるカンディンスキーとヴォリンガーの対比はさらに掘り下げたい。フリードとスミッソンの係争点にも関わる。RT @syoh_yoshida: 抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム | 石岡良治 http://bit.ly/arvETl
2010-10-23 00:01:33勉強になります! RT @yishioka: 抽象をめぐるカンディンスキーとヴォリンガーの対比//フリードとスミッソンの係争点//RT @syoh_yoshida: 抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム | 石岡良治 http://bit.ly/arvETl
2010-10-23 00:59:43石岡さんの論文を読んでいてふと思ったが、ヴァーチャルハウスにおける決定の問題って、一般意志2.0におけるそれと相同的だなってこと。どれだけ計算したところで決定の問題は避けられないし、その隠蔽はむしろ悪質だな、きっと。
2010-10-23 01:09:51RT @yishioka 抽象をめぐるカンディンスキーとヴォリンガーの対比はさらに掘り下げたい。フリードとスミッソンの係争点にも関わる。RT @syoh_yoshida 抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム | 石岡良治 http://bit.ly/arvETl
2010-10-23 01:04:56当該号の『10+1』40号には、『襞』で参照されているベルナール・カッシュ『揺れる大地』の石岡さんによる抄訳も入ってるよ。RT @tyskmt 読んだー、あーいう『襞』の使い方のコンテクストがあることを知らなかった自分を恥じましたw
2010-10-23 01:18:53この論文はドゥルーズを出さない方がよかったと思う。「アレゴリー」と限定しているとはいえ、モナドと潜勢性を建築と結びつける着想は恣意的だ。抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム | 石岡良治 http://bit.ly/arvETl
2010-10-23 02:05:41@borujiaya 書き方が悪いため恣意にみえるかもしれませんが、ドゥルーズにはトニー・スミスの高速道路の経験をモナドと結びつける議論があり、トニー・スミスはそれを芸術の終わりとしたわけですがドゥルーズにとって建築的なフレーミングが芸術のはじまりであることを示そうとしました。
2010-10-23 02:21:46@borujiaya それともう一点。2の部分では、潜在的なものの現働化のみを強調するD解釈を批判しています。「身体における可能性の実在化(物質)と、モナドにおける潜在性の現働化(魂)という二つの過程」。トニー・スミスの経験は「魂」に関わるというのがDの主張です。
2010-10-23 02:45:57ちょっと休憩。le pli は出た当初からあまり好きな本ではなかった。MPを経たD単独の著作には少し肌理の粗さが目立つので。ライプニッツ論としては、差異と反復、スピノザと表現の問題の緻密さが際立っていると思う。しかし、襞は襞で、やはり魅力的な作品だなあ。
2010-10-23 11:38:00ただし、ライプニッツに主たる関心をもって読む人以外、いきなり実在的区別(スコラの実在論に則った概念で、形相的区別のこと)といわれてもとまどうのではないだろうか。
2010-10-23 11:48:34ホルスト・ブレーデカンプの『モナドの窓――ライプニッツの「自然と人工の劇場」』(原研二訳、産業図書、2010/06)には、付録として「思考遊び(Drôle des Pensée)」の翻訳がついているのだが、これがどえらい面白さ。
2010-06-20 22:24:06「ライプニッツの思考が少しの逸脱もしていないということは明らかだろう。それは、科学の地平をバーレスクや芝居がかったもの、遊戯的なものにまで切り開くという、今日ではむしろ苦労してでも再構成すべきコンセプトに身を委ねている謂いなのだ」(H.ブレーデカンプ『モナドの窓』、産業図書)
2010-06-20 22:20:18「彼〔ライプニッツ〕が知識欲を娯楽と賭博熱によって強化することにこだわるのは、カード遊びによって知を媒介し思考力を鍛えるべしと唱えた同時代人の実践法に従っているのである」(ブレーデカンプ『モナドの窓』、原研二訳、産業図書)
2010-06-22 00:21:43……『人間を罠にかけよ、人間の弱点に乗ぜよ、人間を救済するために人間を欺くのだ。人間を知恵へと導きたいのなら人間の狂疾を利用するに如くはない。これぞまさしくう、甘味剤に益なるを混ぜ、毒から薬を産む謂いである』」(ブレーデカンプ『モナドの窓』、原研二訳、産業図書)
2010-06-22 00:25:36どうしたら「万物の生きた印象と知識」を、よく表象できるか。それに触れた人にその知をよく手渡すことができるか。そうした関心から、「自然と人工の劇場」を構想したライプニッツの試行錯誤を、ブレーデカンプは跡づけている。
2010-06-22 00:43:29ここに見られるライプニッツの目論見は、シリアスゲーム論のような議論、あるいはそれに限らないゲーム制作にも、得難い補助線を引いてくれているように見える。人間の情念を前提として、遊びと知とが混在する場を設計し、人を「生産的好奇心」へといざなうというのだから。
2010-06-22 00:29:39同書に収められたライプニッツの「思考遊び」を読んでいると、ゲームや物語の世界を空想・創造してゆくときの心の動きに似たものを感じる。箱庭のような空間を想定し、さまざまなものや人を配置し、それぞれが一斉に動き出したらどうなるかと、脳裡で動かしてみるときのような。
2010-06-22 00:33:53そこには無数のif-then式の条件分岐もまた想定されている。そんなふうに、いくつかのルールを置いてみて、動かしてみるとき、その組み合わせ(アンサンブル)からなにが生じるかを眺めるのも、こうした構想の愉しみであろうとも思う。
2010-06-22 00:36:18