山本七平botまとめ/【セム族の臨在感の特徴】”もの”に感じるのは罪悪とする/一定の”ところ”に強烈な聖所意識/日本人のテレビ・西洋人の劇場
- yamamoto7hei
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①【セム族の臨在感の特徴/″もの″に感じるのは罪悪とする】セム族ーーといっても、わかりにくいと思いますが、一応これをアラブ人とユダヤ人と考えて下さい。 このセム族は、前記のような対象に臨在感を持つことは罪悪だという伝統があるんです。<『比較文化論の試み』
2014-02-11 17:39:11②これはいわゆる偶像否定という形で出てくるんですが、人間の手で作ったものは、人間自体が被造物なのだからその被造物による被造物に過ぎない、これを拝したり神と見たりする事は絶対許されざる瀆神行為で一様の反逆だとするのです。 そして偶像崇拝はある時代には死刑に相当する罪なのです。
2014-02-11 18:09:14③これが今でも一番強く残っているのは、イスラム教のワッハーブ派でしょう。 この派は、簡単にいいますと「原始イスラム教に帰れ」といった主張ではじまった一派です。 イスラム教会のピューリタンとでもいいますか。
2014-02-11 18:39:24④イスラムは元来、砂漠の宗教だったのですが沃地に入ってきますと、当然に沃地化され、その中心もメッカからダマスカスやバグダードヘ移ってしまいました。 この沃地化したイスラムを原初に帰そうと主張する派で、これが今ではサウディ・アラビアの宗教です。
2014-02-11 19:09:07⑤その為つい最近まではサウディ・アラビアという国は人形を輸入できない。…子供の為に人形を持って入ろうとすると、その人形の首を全部税関で切ってしまう。人形は偶像だから持って入っちやいかんという訳です。それ位きついんです。 一切そういうものに対して何らかの臨在感を持ってはならない。
2014-02-11 19:39:17⑥これが二千二百年くらい前からの断固たる伝統なもんですから、日本人がなにか神社とか、あるいは仏壇とか、仏像とかに感ずる臨在感、そういった意味の臨在感、というのは、セム族には一切ないんです。 従って骨に対してもないんですね。
2014-02-11 20:09:19⑦【一定の″ところ″に強烈な聖所意識】ところが一方で非常に不思議な事に、まあ不思議じゃないんでしょうけど一定の場所に対して非常に強い臨在感を持つ。これを聖所意識って言います。″聖所″というのは″聖なる場所″です。そういう場所に行くと、彼らはそこに何かが臨在していると感ずるんです。
2014-02-11 20:39:18⑧これがまあユダヤ人の場合は聖地意識ですが、イスラム教徒でも同じことなんです。 メッカヘの聖所意識というのがありましてイスラム教徒の礼拝はこの方向を拝する、 すなわち「方向」だけです。 またその生涯の希望というのは一生懸命貯金をしまして、巡礼船に乗ってメッカヘいくことです。
2014-02-11 21:09:08⑨大抵行ってかえるとゼロになってしまうんだそうで、これが経済発展の一番大きなマイナスになっていると言われるくらいなんです。 だが、この態度は、基本的にはユダヤ人も変りません。
2014-02-11 21:39:09⑩われわれからすると非常に奇妙にみえるんですが、一つの臨在感を求めて生涯働くことは、彼らの社会では別に不思議ではないんです。 ところがわれわれには、その感じは理解できない。
2014-02-11 22:09:12⑪しかし他人、他民族がそういう感じを持つのを、持ってはならないというわけにもいきませんし、それを非難する権利はだれにもないわけです。 たとえば、パレスチナ問題にしましても、これが出てくるんです。
2014-02-11 22:39:22⑫二千年間、パレスチナにユダヤ人がいなかったとは言えないんですけど、まあいなかったと仮定しても、この場合、歴史的年代は問題になってこないんです。 その土地に対して一種の臨在感すなわち聖所意識を持つか否か、 それだけの問題になってくるんです。
2014-02-11 23:09:11⑬それを持ってなけりや、初めっからだれもそんなところへいかない。 多くの人が指摘するように、経済的にはむしろ無価値といった土地で、石油も出なけりゃ水すら十分にないんですから。 ところが、聖所意識があるからそこへいく。 そこを占領する。 そういう形になってくるんです。
2014-02-11 23:39:12⑭これはある意味で、イスラム教徒がメッカヘ行くのと非常に似てるんです。 そして、個人にとっても民族にとっても、もっともむずかしい解決不可能な問題は、実は、こういう問題であって、経済問題ではありません。
2014-02-12 00:08:59⑮経済だけなら、 「ひき合うか、ひき合わないか」 が明確な判断の基準となりますから、いつかは必ず話し合いがつく。 しかしこの問題はそうはいかない。 もちろんわれわれだって、そうはいかないんです。
2014-02-12 00:39:13①【日本人のテレピ・西洋人の劇場】聖所といった、こういう形の″場所に対する臨在感″は日本人にはほとんどないんです。 日本国内では伊勢参りというのは昔からあったし、非常に古くはいわゆる仏陀生誕の地を求めて行ったという記録はないことはないんです。<『比較文化論の試み』
2014-02-12 01:08:58②しかしこれは例外でして、日本人というのは元来それをしないんです。 逆に一つのものを自分の家の中に引き入れるんです。 これは神棚と仏壇ですね。 そしてそれで臨在感を得る。 ですから、仏壇がなくなってテレビが出てきたと言いますけれども、この二つは非常に似ているんです。
2014-02-12 01:39:12③ある一つの対象に、ある小さい箱を通して臨在感を感ずるわけですから。 これはヨーロッパ人ですと、ちょっと現れ方が違いまして、こういう形ですと、臨在感を感じることができないんです。
2014-02-12 02:08:56④彼らはやっぱり、劇場へいくとか教会へいくとか、ー定の″場所″へいかないとそれが強く感じられない。 さらにイスラム教徒ですと、メッカのテレビ見たってだめなんて、実際にいかなければならないんです。 ここに大きなちがいが出てきます。
2014-02-12 02:39:09