理論の論理と実験の論理
先日理論物理学者の同僚と話した時、その同僚がある実験系の人に「理論なんて妄想ですよね」と言われ違和感を感じたと話していた。理論系に言わせれば、むしろ実験こそ曖昧で信用の出来ない、そういう意味においては妄想に近いものではないかと思っていたのに、逆のことを言われて驚いたと。
2014-02-17 02:12:07その同僚によれば、理論(数学で記述されるものを想定)においては、最初の仮定から最後の結論まで論理で固められており、そこには正しいか間違っているかの二択しかないと。それに比べると、実験はしばしば結果が対立することすらあり、理論と比較にならないという趣旨の主張であった。
2014-02-17 02:15:12私は実験のバックグラウンドなので、その主張に若干の違和感を感じた。確かに結論が食い違うことがあるが、実験においても論理がないわけでは決してない。むしろ暗黙に仮定している「論理」のステップがたくさんあり、その意味で実のところ実験も論理的な構築物なのだと私は思っている。
2014-02-17 02:19:23例えば成長因子の刺激でERKがリン酸化されることをWesternで見た、といった時に、「Western blottingという方法でタンパク質を観測できる」「p-ERK抗体が本当にp-ERKを認識している」「フィルムの"シミ"の濃さとタンパク質の濃度が相関する」などの仮定がある。
2014-02-17 02:19:55数学や理論物理の論文においても、私の目からみるとまずは仮定をおく(マテリアル)、様々な定理、計算を使って調べる(メソッド)、その結果の数式を得る(リザルト)、その数式を解釈する(ディスカッション)、と実験の論文とほとんど変わらないように見える。
2014-02-17 02:24:20数学と実験の違うところは、それらの論理のステップに若干の「曖昧さ」を許しているところであると。つまり、例えば演算や等号に確率を割り振っていき、ベイズ推定みたいなことをしているんだと思う。ただ、論理的な構築物である点については特に差はないはずで、偶然の産物ということは全くない。
2014-02-17 02:26:41きちんとした実験研究者はその若干の「曖昧さ」のある論理のステップがどこにあり、そこにおかれている仮定や適用範囲、限界をきちんと把握しているはずで、それができてないのはむしろ危険なんだと言ったら、いちおう同僚は納得してくれた(と思う)。
2014-02-17 02:29:38