東京にて-明治7年-
十二人を率いて如来堂の守備に出た一さんは、 そのまま城外で降伏を受け入れたあと、謹慎を強いられ、斗南へと移住する。
2014-02-18 20:58:46行方知れずになった一さんのその後を知ることはできず、 それでも再び会えると信じて、私は会津の方と共に未開拓の地へと身を移した。
2014-02-18 20:59:22土方さんや島田さん達が蝦夷へ渡ったことも、北に行く意味のひとつだった。 一さんと離れ、心の拠り所となっていたのは土方さんだったのだ。 少しでも近くに、と吸い寄せられるように。
2014-02-18 20:59:43斗南で甘やかされた人はいない。 皆、生きることに必死だった。 飢えや寒さを乗り越えられない人も多くいたし、人々の表情は暗かった。
2014-02-18 21:01:08一さんは名を変えていたし、私は会津藩に属しているわけではなかったから、 一さんが私を探し当ててくれたことは、思い出すだけで涙が滲む。
2014-02-18 21:01:32荒れ果てた雪村の家を補修し、そこで二人で生活を始めて半年。 斗南藩から上京して初めて迎えるお正月を、この家で過ごすものと思っていた年の瀬。
2014-02-18 21:02:02一さんはいつも頬を上気させて帰って来る。 それは、ここまで早歩きで……もしくは走って来るからなのだと知っているけれど、一さんはそう感じさせないように、決して肩で息をしない。
2014-02-18 21:02:37一さんは手土産にと、頂き物のおからを渡してくれた。 朝が早かったので、一さんの好きな豆腐屋さんが、出かける一さんを引き止めてくださったのだという。
2014-02-18 21:03:20一さんの機嫌が良いのは、これのせいではない。 私は早く理由を聞きたくてうずうずする。 でも自分からあれこれ聞くよりも、一さんの言葉で教えて欲しい。
2014-02-18 21:04:06❀˚˟.‧*✿˚˟.‧*❀˚˟.‧*✿˚˟.‧*❀˚˟.‧*✿˚˟.‧*❀˚˟.‧*
今はこうやって自然と渡してくださるけれど、 このやりとりが出来るようになるまで、私達は互いに照れ合い、 なかなかうまくいかなかった。 そんな日常の些細な事が、私のしあわせ。
2014-02-19 18:42:35