まあ、こんな線じゃないかな。「東海沖から四国沖の「南海トラフ」で想定される巨大地震が深夜に発生した場合、死者数が40万人に上る恐れ…河田恵昭関西大教授」>地震、深夜発生で40万人犠牲も 南海トラフで試算 京都新聞 http://t.co/byruzXJ0
2012-07-07 01:17:24小松左京『日本沈没』での第二次関東大震災は、平日夕方のラッシュ&夕餉どき、強い南風、満潮、震源は東京湾入口で津波も。速報推定死者二百万人。これを、三十年後の現状に即してアップデートしたのが一色登希彦の漫画『日本沈没』。どっちか読んでおくと、実際に来たとき、あまり驚かないと思う。
2012-07-07 01:34:11東日本大震災は、一色登希彦『日本沈没』でいえば「相模湾地震大津波」に相当する。「日本の首都圏という社会は、言いようのないストレスを誰もが等しく呑み込み合うことを暗黙条件として、この出来事をぎりぎりの所で“他人事”に留めたのである」 http://t.co/Kii5YLrJ
2012-07-07 02:07:44阪神淡路大震災のあと、“東京”の各所で、耐震補強工事がものすごい勢いで行なわれた。それまでしつこく「大丈夫」と言ってたのに、急にあそこまでなりふりかまわず対策がとれたのは驚きだ。原発も見習ってほしいものだ。
2012-07-07 02:10:26だけど、“東京”を襲う次の震災では、あの程度の対策では、ほとんどどうしようもないだろう。東京を東京たらしめている「インフラと人口の集中」そのものがもたらす破局が起きるから。こんど東京で起きる惨事の大半は、人災かといえばまさに人災だ。誰も責任をとらないが。
2012-07-07 02:20:46大地震と津波だけでなく、豪雨・猛暑とか富士山の火山灰とか、他の自然災害と複合的に発生する可能性も。もともと脆弱なインフラが機能低下していたらどうなる。阪神淡路のときは、まもなく近隣府県からの救援が届いたが、こんど、いったい誰が“東京”を救えるだろう。バックアップのない街・東京。
2012-07-07 02:26:382003年に六本木ヒルズでの展示を見て、森ビルが「ビルを建てれば建てるほど都市は繁栄する」とマジで考えているらしいことがわかった。都市は自然や人間を超越できる。そんなばかな。「東京の危険性は閾値を超えた」と感じたのはこのころから。 http://t.co/lhbDWjUs
2012-07-07 02:38:20その後いろいろなめぐりあわせで奈良に引っ越した。東京はあぶない、と思って脱出したという面はある。もちろん今後、大きな地震は関西も襲う。奈良も揺れて、人が死んだり、いくつかの文化財が消失するだろう。でもここは東京じゃないから、東京みたいにはならない。
2012-07-07 02:52:17自転車で五分の町田市街には、大きな書店・古書店、ヨドバシカメラ、巨大なブックオフも。町田市の図書館は相模原市と都県境を越えて提携してて、都立図書館の資料も利用可能。
2012-08-07 23:17:03地域特有のマイナス面はあった。軍用機が飛ぶのだ。厚木基地を離陸した戦闘機が、うちの真上でジェットふかして急上昇。過去、数km内に何機も落ちて、住民が死んでる。(町田市立中央図書館の横の現場にはまだ機体の一部が埋まっているという)
2012-08-07 23:18:44落ちなくても、うるさい。軍用機の爆音は、民間機の音とは別モノ。心を圧迫して、人を黙らせる凶器。なので、基地周辺に住んでる人以外、よく知らないと思う。
2012-08-07 23:19:36東京は、ふだんは不安なんかなさそうにしてるけど、ちょっと雪が積もると交通が麻痺して、人が転んで、全国ニュースで大騒ぎする脆弱な都市。たいていのリスクは「想定外」で済ませてる。いや、いろいろ対策してる部分もあるんだけど、都市の規模そのものに由来するリスクはカバーしようがない。
2012-08-07 23:21:59富士山が小規模でも噴火して火山灰が来たら、東京は大混乱に陥るだろう。歴史的に、大地震と富士山噴火はセットになってる。地震を想定すれば当然、富士山も。
2012-08-07 23:22:59大地震が東京を直撃したときどうなるかは、小松左京『日本沈没』でだいたいイメージできる。両国の「被服廠跡」も確かめに行った。一色登希彦『日本沈没』で横網町公園が映ったとき、深く納得した。そう、東京は、過去から学んでない。だから、近い将来、また「あれ」を繰り返す。
2012-08-07 23:25:14一色登希彦『日本沈没』は、小松左京の原作を丁寧かつ大胆にアップデートしたマンガ版。映画版に期待しすぎた人もこれなら納得。特に首都激震のようすが描かれる第6巻は、一冊だけ読んでも十分楽しめるhttp://t.co/Opq3WWcj 。 電子版http://t.co/cZU9RjsT
2012-08-07 23:27:04相模大野に住んでいるかぎり、東京とは一蓮托生。都心に出る用事もなにかとある。大地震が起きたそのときは死ななくても、しばらく大変なことになる。域外へ脱出しようにも、移動手段が確保できるかどうかは怪しい。
2012-08-07 23:29:52さらに、相模大野から東京をまたいだ千葉に親が。非常時、すぐには助けに行けないだろう。では、近い将来の介護も考えて、千葉に引っ越すか。しかし、千葉もやはり“東京”。そして親も、家は建てたけど、もともとの地元の人ではないので、どうしても千葉で余生を送らないといけない理由はなかった。
2012-08-07 23:31:02結局、震災のこと、仕事のこと、介護のことも見据えて、奈良に引っ越すことにした。親類は一人もいない。奈良を選んだ大きな理由の一つは、奈良漆器の樽井禧酔師匠の存在。いまも、とても大きい。
2012-08-07 23:32:25うちが相模大野の家を引き払ったのは、東京電力の原発が爆発する5年前。そのころは現在のような放射能汚染はまだなかった。放射能のリスクは考えてたけど、想定してたのは東海地震による浜岡原発崩壊だった。いまとなれば、原発の危険性を甘く見てた。
2012-08-07 23:33:28奈良に引っ越してから、すぐに親を呼ぶ算段をした。ところが親類が反対して、奈良には来ず、二人して千葉の老人施設に入ってしまった! なんでこんなところを選ぶかと思うような施設。NTT独身寮の改造で、集会室がない。合法なのか疑うほど人手が足りてない。訪ねるたびに責任者が替ってる。
2012-08-07 23:35:23案の定というか、想定より悪いことに。元気だった父親は入所半年で認知症に。たぶん白内障がきっかけなのだが、施設は父が白内障を患っていることに最後まで気付かなかった。そして母親は「食事の時間がこわい」などと言いだした。強引に入所させた親類も、ぱったりと足が遠のいていた。
2012-08-07 23:37:19