山本七平botまとめ/【言葉を重んじるセム族の伝統②】/「初めに言葉あり」の真意/「いわく言い難い」ものはない

山本七平著『比較文化論の試み』/6言葉を重んじるセム族の伝統/63頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【「初めに言葉あり」の真意】この”言葉にする”ことをロゴス化と言います。 これは論理化でもいいんですけど、これがすべて、ことを始めるときの基本みたいに出てくるんです。<『比較文化論の試み』

2014-02-26 16:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

②例を挙げますと、どなたでもご存じの「初めに言葉あり」という有名な「ヨハネ福音書」の冒頭の句がありますね。 「言葉は神と共に有り、言葉は神なりき」 と続きます。 この文章というのは、こう訳すと、非常にきれいなんですけど、原文はちょっと変な構文になっています。

2014-02-26 16:39:27
山本七平bot @yamamoto7hei

③”初めに”という言葉が最初に出てくるんです。 で、次の主語がロゴス――言葉――なんですけど、これは定冠詞がついてましてね、 ”その言葉” と訳した方がいいんじゃないかと思うんです。 で、こういう言い方というのは非常に珍しいんです。

2014-02-26 17:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

④ギリシャ文は「思想の流れは言葉の流れ」といいまして、文法的に主語でなくても、最大の強調点をおく言葉が初めに出てきます。 したがって”初めに”が非常に強調されているんです。 ”初め”と”言葉”のどっちが主語か分からないくらいに強調した言い方なんです。

2014-02-26 17:39:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤したがって、学者によっては、この文章は、 ”その言葉があったのは初めっからなんだぞ”という意味だ、 というんです。 そして、こういう考え方が彼らの考え方なんです。

2014-02-26 18:09:12
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥というのは、この「ヨハネ福音書」というのはイエス・キリストが言ったことを書いているわけですが、イエス・キリストが活動したのは正確に言えば「ヨハネ福音書」が書かれる何十年か前になるんですけれど、伝説的に言えば、この書はその活動の直後に書かれたことになるわけです。

2014-02-26 18:39:18
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦そうしますと、”この言葉”というのが存在し始めたのは、当然イエスがそれを口にした時ということになりますが、”初めに”を非常に強調しているのは”そうじゃない”という意昧なんです。 つまり、これはいわゆる始源からあった言葉、何よりも最初にあった言葉だということなんです。

2014-02-26 19:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧それがイエスという人間を通じて口から出てきただけであって、この言葉があったのは宇宙の始まりからなんだ、 ということですね。

2014-02-26 19:39:17
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨【「いわく言い難い」ものはない】ここは、文章の構造を、いわゆる 「初めに神、天地を造れり」 という「創世紀」に合わせて同じ文章にしているわけです。

2014-02-26 20:09:12
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩それで、”その言葉”というのは、最初からあった、 だれかが口にしたときにあったんじゃない。 それが、ある人間のロを通して出ただけであって、その人間が生まれるはるか前から存在したんだ、 とこういう言い方になるわけです。

2014-02-26 20:39:20
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪ですから、言葉が先行すると言いますが、すべてのことに言葉が先在するという意識、それから出てきた、言葉にできないものはないという意識があるんです。 これがまあ、ちょっとわれわれに分かりにくいことなんです。

2014-02-26 21:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫ただ、彼らには、 正確に言葉にならないものは存在しない、 というのが昔からある考え方でして、これがわれわれの”いわく言い難し”とか、あるいは禅のような考え方などと非常に違ってくるところです。

2014-02-26 21:39:12
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬このことに関して神社本庁の方でも 「やはり神道でも、これからは、このように”言葉にする”ということを考えねばいけない」 とよく言われるんですけど、さてそう簡単にいくかどうか私には分かりません。

2014-02-26 22:09:12