茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1183回「知性と、危うさ」
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ちあ(1)このところ、夏目漱石の作品をiPhone上の青空文庫で読み返していて、『坊っちゃん』、『三四郎』を読んで、今は『それから』を読んでいる。やっぱり漱石の小説は圧倒的にうまく書けていて、「ここのところ凄いな」とか「ううむ」とか、感心しながら読んでいる。
2014-03-03 06:57:34ちあ(2)その一方で、古い文庫本を取り出してきて、夏目鏡子夫人の『漱石の思い出』も、トイレに置いて読んでいる。改めて思うけれども、漱石は危うい人だった。勝手に思い込んで、とんでもない妄想を抱く。それともう一つ。権威に盲従しないから、自然に生きにくくなる。
2014-03-03 06:59:20ちあ(3)今とは比較にならない権威があった東京帝国大学教授就任を前に当時のベンチャー企業だった朝日新聞に入社する点で、すでにヘンな人だが、博士号授与を断ったり、時の首相からの宴席の誘いも断ったり、明治国家に対する距離感の置き方が、『三四郎』の広田先生のエピソードからも読み取れる。
2014-03-03 07:00:51ちあ(4)日清、日露戦争に勝ち、「一等国」になっていく日本の過程を、司馬遼太郎は「坂の上の雲」と書いたわけだが、漱石はその「明るい時代」でさえ、虚妄だと感じていた。その漱石が明治天皇の崩御と、乃木大将の殉死に衝撃を受け、喪章をつけた写真を撮らせているのがしみじみ味わい深い。
2014-03-03 07:02:37ちあ(5)私は、知性というのは危うさと表裏一体だと考えている。自分の中に、容易に抑制できない生の衝動のようなものを抱えた人が、それを制御しようと発達させるものが知性ではないか。危うさが大きく、深い人ほど、大きな知性を必要とする。大勢に順応する人には、それほどの知性は必要ない。
2014-03-03 07:04:04ちあ(6)私には、高校時代からの畏友がいるが、先日会った時に、幸福の話になって、合衆国憲法にも「幸福追求の権利」が書かれているが、彼は「人間には不幸追及の権利がある!」と発言して、そのタイミングと口調に、彼が内面に抱えている危うさの大きさを感じた。文学的修辞の意味もあったのだが。
2014-03-03 07:05:32ちあ(7)オスカー・ワイルドが同性愛で投獄された書いた『獄中記』を読むと、ワイルドの知性はその危うさと表裏一体だったことがわかる。社会の寵児となり、天才と誉められた自分自身の存在の根底を疑う。その結果、ワイルドはキリストに到達するわけだが、そのプロセスが感動的だ。
2014-03-03 07:06:51ちあ(8)危うさは知性と表裏一体だと書くと、じゃあヒトラーも知性的だったのか、という発想が浮かぶが、ユダヤ人はこうだと決めつけたり、ドイツ人は優秀だと盲信する時点でここで言う「危うさ」ではない。ここで言う「危うさ」とは、つまり、自分自身の立っている大地さえ疑うことである。
2014-03-03 07:08:28ちあ(9)漱石を読むという流れは、『それから』の後は『こころ』や『門』や『行人』や『明暗』やそれから『坑夫』などひととおり読み終わるまで続きそうだ。小説は漱石を読んでいればいい、というくらい好きだが、そこに表れている知性と真の危うさの関係に、いつも感動する。
2014-03-03 07:10:57