現代剣道って 「北辰一刀流だ」「小野派一刀流だ」「一刀流系だ」とかよく言われるけどどうなんでしょ。地稽古と近代的な試合はまた違うんだろうけど。
2014-02-28 13:08:16現代剣道の源流は撓競技!日本剣道形は制定居合と同じで寄せ集めでしょうけど。 RT @inuchochin: 現代剣道って 「北辰一刀流だ」「小野派一刀流だ」「一刀流系だ」とかよく言われるけどどうなんでしょ。地稽古と近代的な試合はまた違うんだろうけど。
2014-02-28 14:51:11@inuchochin あ、そうですか? 防具の歴史についてはこちらよく書かれてます→ http://t.co/UwyAUJther http://t.co/7pSpFnoN0g でも平行足でつま先立ちになるのは武道禁止令後の撓競技でスポーツ化してからのように思うんですけどね。
2014-02-28 18:50:48スポーツはルールによって技術が変化する。ルールが一番えらい。剣道も柔道も試合のルールが変われば技術が変わるのは当たり前。スポーツとしてはそれが技術の向上になる事もある。でも武道には関係ない。まあ、本当は新しい武器の出現とかによっては変化すべきなんだろうけど。
2014-02-28 18:54:11① 現代剣道の成立の前に戦前の天覧試合の剣道はこんな感じです。 これを見ればわかるとおり、例の明治の撃剣映像と比較すれば今の剣道とだいたい同じと言っていいと思います。 http://t.co/dHsKNIRwp4
2014-02-28 19:30:23② 今の剣道の特徴の、面打ち重視、後ろ足のつま先を前に向けて踵を浮かせる、セイガンの構え重視、というような剣道の特徴はすでに千葉周作の時代には現れ始めていたようです。武道学研究にそのへんの論文がいくつかあったと思います。
2014-02-28 19:32:53③ ちなみに、剣道連盟の資料とかを見ると、武徳会が出来た頃に剣道家たちの流派で特に多い、主流派と呼べるような流派は一刀流(小野派、北辰)、直心影流、神道無念流あたりが特に多いです。そのあとに鏡心明智流や心形刀流なんかが居てますが、やはり最初の三者が中心です。
2014-02-28 19:33:30④ これらの流派は江戸後期天保頃までは差異があり。例えば直心影流は上段で爪先立って構えフットワークが軽く、面小手を先に先に打つような流派で、一刀流はセイガン構え、突きを使い面小手以外に竹胴も着け、神道無念流はセイガン構えで面小手を力強く打ち胴技はない、などの特徴があったようです
2014-02-28 19:35:35⑤ ところが他流試合が普通になり、流派間の交流が盛んになると流派の特徴がだんだん無くなっていき、幕末の頃には一刀流以外の流派も竹胴を用いて、構も皆セイガン主体になり突きも使うようになっていったとか。これら流派間の共通技術が剣道の直接の御先祖ではないかと思っています。
2014-02-28 19:37:18⑥ とは言え、今と違って地方に行けば昔ながらのやり方の流派があったようです。私の学んだ流派は戦前まで剣道のしっかりした竹刀と防具と、昔ながらの袋撓に面金だけの防具と粗末な籠手というやり方を併用していたようです。
2014-02-28 19:40:09⑦ ですが、武徳会の主流は上記の三流派、特に江戸の道場のスタイルだったようですから、どうしても地方流派はそちらに合わせていったようです。その結果、大正頃には今の剣道的な感じになっていったんじゃないかと想像していますが、まだまだわからないことばかりです
2014-02-28 19:40:44⑧ よく言われますが、小野派一刀流の高野佐三郎が平行足、中段、面重視などそれらを基本として重視したので、それが伝統、基本、と重視されて異常に重要視されるようになったんじゃないでしょうか?
2014-02-28 19:41:46しかし神道無念流はすごい。よく江戸の道場では「力の斎藤」とか書かれてるけど、これ自認してたらしく、江戸時代後期の師範が私が学んでる流派について 「いたって柔らかくやりにくい」 「しかし我が流派の剛勢をもってすれば負ける事は無い」 とか書いてて、ホンマに力の斎藤なんや…と思いますた
2014-02-28 19:52:01@kuzukz801 横から失礼します。 高野佐三郎の「日本剣道教範」の時点で既に平行足が基本と説かれてます。 根岸信五郎の「撃剣指南」ではやや半身とされているので、流派による違いも有りそうです。 どちらも国会図書館のデジタル資料で読めますよ。
2014-03-04 13:32:56.@tetu162000 そうですね、高野佐三郎と中山博道が演武する大日本帝国剣道形の映像を見ても爪先立ち平行足ですよね。これの制定には根岸信五郎も高野佐三郎も深く関わってるのできっと揉めたんだろうなぁ…。「自分の意見が容れられないときは、刺し違えて死ぬ覚悟で(高野)」って…。
2014-03-04 14:23:55. @tetu162000 @inuchochin @ploeolq 日体大の紀要にこんな論文ありました。"1912年制定の大日本帝国剣道「形」に関する史的考察 ー「足構え」からみた竹刀打込稽古の影響ー" 高野ら (1885) http://t.co/jEEkkIo3j8
2014-03-04 14:28:35.@ploeolq @kuzukz801 形も試合も得失有りなんでしょうけど、形は形骸化や迷い道にはまりやすいって欠点が大きかったんでしょう。そもそも剣術は18世紀半ばにはどこの流派でもシナイでの試合や試合的な稽古があったようです。形式は色々で他流試合はほぼ無かったようですが
2014-03-04 17:41:41.@kuzukz801 @tetu162000 @ploeolq 田宮流窪田清音(1791〜1867)が「形状記」「剣法幼学伝授」に立ち方の基本として後ろの足先を斜めにせず前に向け、踵を浮かす事を書いています。一重身も否定しています http://t.co/tIxlooKngG
2014-03-04 17:51:20