【三国志】関羽は湘関の米を奪ったのか?

呉が関羽を攻めた口実となった湘関での略奪について、色々不自然だと思っていたので考えた。 関羽はそれほどまでに愚かだったのであろうか?
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湘関とは?

なぜ関羽は湘関から米を奪ったのか、という、呉の関羽討伐における謎を考えるに当たり、色々と取りとめもなくツイートしました。


Jominian @Jominian

読史方輿紀要に「呉、蜀分荊州、以湘水為界、長沙、江夏、桂陽以東属呉、南郡、零陵、武陵以西属蜀、湘水実貫于数郡間矣。」とある。また出典が書かれていないが、その後の注釈に「時又置関水上以通商旅、謂之湘関。」つまり、当時の呉蜀の境界にあり、通商路だった場所に湘関がある。まあ、当たり前だ

2014-03-03 00:29:48
Jominian @Jominian

中国歴史地図集の三国時代の呉のところを見ると、零陵郡治の辺りに湘関を置いている。しかし、ここは遠すぎやしないか?また、何を根拠にしたのかよく分からない。ちょっと調べよう

2014-03-03 00:47:44
Jominian @Jominian

関羽を捕らえる時、陸遜と呂蒙は先行し、蒋欽は沔水を遡り、朱然と潘璋は関羽の退路を断った。孫皎は後詰となった。作戦は大体分かった。

2014-03-03 01:30:16
Jominian @Jominian

関羽討伐の際、蒋欽は沔水を遡っている。これは、南下するであろう関羽水軍の迎撃と、場合によっては関羽の退路遮断を企図した軍だろう。しかし、どちらについても、実際には魏の文聘が、同じく沔水にて行った。結果的に、蒋欽は大した働きができなかったと思われる

2014-03-03 07:49:06
Jominian @Jominian

湘関の位置を零陵と言っているのは、どうやら胡三省っぽいが、根拠は分からんな。そもそも、関を置くのは通商を制限するためか、或いは防備のためであり、その機能を果たす位置になければ無意味だ。零陵はそれを満たしていない。多数の関が設けられ、零陵にあったのがその一つというのであれば分かるが

2014-03-03 12:25:56
Jominian @Jominian

湘水にあり、その通商を制限するのが湘関の目的であったとすると、位置はおおよそ推測できる。貯えられていたのは米だったので、これは、零陵を含めた湖南の地の米などを呉の地へ運ぶ際の関税を徴収していたのではないかと思われる。そのため、置くとすれば益陽東方、湘水が洞庭湖に流れ込む位置だろう

2014-03-03 12:31:47
Jominian @Jominian

劉備が治めていた時は湘関は必要なかった。これは、湘水を国境としたことで置く必要ができた関だ。地理を考えると、長江以南の物流は、湘水によって北に運ばれるのが合理的だ。湘水で国が分かたれたので、そこで行き来している荷物が、どこのもので、どこへ行くのかを把握する必要が生じたのだ

2014-03-03 12:42:12
Jominian @Jominian

湘関は恐らく防御設備ではないので、米を貯えておく必要は特にないはずである。考え得る湘関の機能は、湘水を下る船の内、呉の領内への物流を管理することであり、その最大の機能は、長沙・桂陽で集められた税を集積し、首府に送ることだろう。つまり、湘関にあった米というのは、呉の集めた税であろう

2014-03-03 12:54:16
Jominian @Jominian

孫権が物流を管理する必要があるなら、当然劉備も同様に管理する必要がある。湘関は、蜀呉双方ともに置かれたか、或いは共同で管理する関だったのかもしれない

2014-03-03 12:59:29
Jominian @Jominian

于禁の敗北は八月。西暦に直すと九月だ。江陵への移送完了が建安二十四年九月だとすれば、丁度湖南省で米が収穫される頃だ。関羽の指示も、湘関にて仕分け、集積された武陵、零陵の米を早急に江陵に運び入れるということだったのかもしれない

2014-03-03 13:27:12
Jominian @Jominian

荊州分割より後の時代、呉は衡陽郡と湘東郡を設け、その境界を湘水にしている。これは、荊州分割の際に湘水を境にしたことで、その東西にそれぞれ行政機構が置かれた状態が続いたのが理由だろう。無理矢理統合していたものを元に戻したのだ

2014-03-04 19:15:57
Jominian @Jominian

衡陽郡は湘南を郡治とし、更に後漢にはなかった衡陽県が設けられている。また、呉は湘東郡を設けた時、郡治を酃としている。これは、劉備の設けた湘関と、呉の設けた湘関の名残ではないだろうか?

2014-03-04 19:45:45
Jominian @Jominian

仮に湘関を呉へ物を運び入れる際に関税を取るための場所だとすると、良好な交通線上にあり、物流の大動脈でないと、あまり意味はない。湘水から長江に出ず、東の鄱陽に抜ける道は、やはり長江の水運より寂れていたであろう。南北に行き来する流れに関を設けるべきである

2014-03-04 19:55:21
Jominian @Jominian

普通に考えると、湘関は関税を取るための場所であろうが、湘水に置いた場合、劉備の領土である零陵からの物流に対して税を掛けることになり、対立が深まるだろう。それに対抗して劉備側も置けば、商人や税の運搬者から徒に税を奪うことになり、あまり良くない。

2014-03-04 20:42:14
Jominian @Jominian

湘関の設置が関税を取るためとすると、零陵と長沙の境界に置かれた可能性が高いが、あまりメリットが無い。益陽周辺は、湘水を通らずに長江に出る河川があったようなので、こちらもまたメリットが小さい。丁度酃の辺りで、桂陽郡と零陵郡の双方から長沙に入る交通線が合流している。ここが要衝だろう

2014-03-04 21:36:35
Jominian @Jominian

劉備から奪った後の桂陽は、全柔が太守かな?

2014-03-04 23:44:22
Jominian @Jominian

湘水を境にしたと言うが、長沙郡の内の湘水より西の部分、すなわち、後に衡陽郡となった場所は、どういう行政区画だったのだろう?武陵に含まれるのだろうか?

2014-03-04 23:46:39
Jominian @Jominian

やはり、湘関は、なぜあそこに米が蓄積されていたかを考えなきゃならないのだな

2014-03-05 00:41:23
Jominian @Jominian

関税の徴収では、湘関に米が蓄えられたことの説明が、うまくつかないな。やはり、湘水の物流を呉のものかどうなのか仕分けしたり、一時的に備蓄してる場所なのかな?

2014-03-05 00:54:18
Jominian @Jominian

湘関について考えるには、関羽と魯粛が益陽で対峙した件を考える必要がある。そして、なんとなく分かってきた。あとで書こう

2014-03-05 10:40:20
Jominian @Jominian

なるほど、零陵は中原が飢えた時に、桂陽や豫章と共に米を供出したことがあるのだな。

2014-03-05 19:23:02

関羽は呉から米を奪ったのか?

いきなり結論を言っていますが、ここから本題に入ります。