茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1192回「自分で書くのが、うれしい」

脳科学者・茂木健一郎さんの3月12日の連続ツイート。 本日は、昨日、寝る前にニュース見ていて思ったこと。
コラム 茂木健一郎 じう
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茂木健一郎 @kenichiromogi
連続ツイートをお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、昨日、眠る前にニュースを見ていて思ったこと。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じう(1)今から10年ほど前になるだろうか。ある科学系雑誌の別冊を、丸ごと一冊担当して編集したことがあった。その時、養老孟司さんにもお願いしようと思って、連絡した。ご多忙だろうと、気を遣うつもりで、「よろしければ、お話をうかがってこちらでまとめても」と書いて送った。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じう(2)そうしたら、養老さんから返事が来て、「自分で書いた方がうれしいでしょう」とのお言葉。その通りです、恐れ入りました、すみませんでしたと結局養老さんご自身に書いていただくことになった。文章を書くということには、他の何者にも代えがたい喜びがある。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じう(3)文章を書くということは、私にとって仕事の一部である。そして、文章を書く度に思うのは、そのことによって自分が「成長する」ということ。あるテーマについて自分の考えをまとめ、それを人に伝わるように表現するプロセスで、自分の中での気づきや学び、そして有機的な組織化がある。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じう(4)文章を書くということは、自分に負荷をかけることでもある。そして、負荷がかかるからこそ、苦みの中の甘さのようなものがある。課す条件が厳しいほど、くぐり抜けた時の喜びも大きい。つまり、文章を書くということは、一つの思考体操であり、舞踏であり、自己鍛錬である。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じう(5)文章を自己鍛錬のプロセスだと考えた場合、いわゆる「コピペ」をしてしまうと、その前提条件が失われることになってしまう。「コピペ」はラクで、その場をくぐり抜けることはできるかもしれないが、自分が成長するという、最も深い喜びを手放すことになる。損をするのは自分だ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じう(6)私の博士論文は、国立国会図書館に公開されているはずである(なぜかpdf形式になっていないで、面倒な閲覧プロセスになっていたはず。今は変わっているかも)。とても苦労して書いた記憶があるが、そのことによって、間違い無く、自分は成長したと思う。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じう(7)英文で自分の考えを表現するというのも、固有の自己鍛錬の場で、それは苦しいかもしれないが、それによって成長する喜ぶには変えられない。安易にコピペをしてしまうと、他人を騙すことはできても、自分は騙せない。何よりも、自分自身が成長する喜びを手放してしまうことが、人生の損失だ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じう(8)コピペをしないための方法論は簡単で、要するに、文章を書く時に、一切何も参照しないで書けば良いのである。それは、苦しいことかもしれないが、それ以外に自分を鍛錬する方法はない。『脳と仮想』や、『生きて死ぬ私』など、長い文章を書き終えた時の充実感は何者にも代えがたい。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じう(9)以上の随想は、当然、最近伝えられているある事象に触発された書いたものである。世論は、それが詐欺のようなものだとか、学位取消だとかうるさいが、私には、せっかく自分が成長する試練だったのに、楽をしてその苦みの中の喜びを得る機会を失った残念さが真っ先に連想されたのだった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、連続ツイート1192回「自分で書くのが、うれしい」でした。

コメント

とし @toshi3636_1 2014年3月12日
まとめを更新しました。
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