山本七平botまとめ/【偉大なるリアリスト・孔子の素顔/乱世にひたすら秩序を求め続けた「偉人」の生涯①】シャカやキリストのような”生誕伝説”のない孔子/「十有五にして学を志す」――晩学・独学による出発

山本七平著『論語の読み方』/2章 偉大なるリアリスト・孔子の素顔/乱世にひたすら秩序を求め続けた「偉人」の生涯/54頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【偉大なるリアリストーー孔子の素顔/シャカやキリストのような″生誕伝説“のない孔子】【このような人間を、子路(孔子の弟子)は見たことがない。 …闊達自在、いささかの道学者臭もないのに子路は驚く。 この人は苦労人だなと直ぐに子路は感じた。】<『論語の読み方』

2014-03-10 12:09:01
山本七平bot @yamamoto7hei

②【…子路が今までに会った人間の偉さはどれも皆その利用価値の中に在った。これこれの役に立つから偉いというに過ぎない。孔子の場合は全然違う。ただそこに孔子という人間が存在するというだけで充分なのだ。少なくとも子路にはそう思えた…】 以上は、中島敦が『弟子』で描いた孔子である。

2014-03-10 12:39:05
山本七平bot @yamamoto7hei

③おそらく孔子は、ここに描かれた像とあまり違わない人であったろう。 この孔子は紀元前552年か1年に、中国のいまの山東省内の小都市国家『魯』の国に生まれた。 いわばソクラテスのように都市国家の出身であり、また同じように王朝国家へと移行する過渡期に生きた。

2014-03-10 13:09:00
山本七平bot @yamamoto7hei

④出生伝説らしいものはなく、生まれた時シャカのように「天上天下唯我独尊」と言ったとも、イエスのように大工の子として馬屋で生まれた時、星に導かれて東方の三博士が貢物を持ってやってきたとも記されていない。姓は孔で名は丘だが、中国では通常「字」で人を呼び、その呼び名は「仲尼」であった。

2014-03-10 13:39:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤「仲」とは二男の意味だが、その兄はまったく知られていない。 庶子説もあるが、中国は一夫多妻の国であるから、それが孔子の性格に特別な影響を及ぼしたとは考えにくい。 …母親は顔徴在、幼くして父を失い、この母に育てられているが、若くして母も失ったという伝説もある。

2014-03-10 14:09:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥いずれにせよ、幼児時代の家庭は必ずしも恵まれたものではなかったらしい。 父は当時の階級でいえば士であった。 …「士」はだいたい日本の下級武士にあたる。 いわば、その時代の都市国家は君主の下に卿・大夫・士・庶人がおり、階級としては貴族階級の最下層ということになる。

2014-03-10 14:39:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦…孔子が既存の伝統的な秩序を重んじる一方で、能力主義的な一面があることは、この新興階級の出身であることと無縁ではあるまい。 …孔子の父は武勇の人で大夫まで昇進したのだから、長生きすれば、孔子もあまり苦労のない「成功者の子」でありえたであろう。

2014-03-10 15:08:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧しかし…はじめからその身分でなかった者は、それらしい状態で人生を出発しなければならなかった。 …彼の人生の出発点は、まず委吏(倉庫係)であり、ついで司職吏、すなわち祭儀用の牛や羊を飼う牧場の下級官吏であった。 この点では、まさに平凡人の平凡な実人生への出発と同じである。

2014-03-10 15:39:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨たしかに優秀で「鄙事(ひじ/つまらない仕事のこと)に多能」であったのであろうが、神童的なために早々に抜燿されたようすはない。 そしてこういう点を見ると、孔子はあっと世の中を驚かすような形で出現した天才では、けっしてない。

2014-03-10 16:32:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩もちろん奇人ではなく、宗教的奇人ともいえる一種の神秘的異能性をうかがわせる人物でもなく「優秀な普通人」であった。 では、その実人生の出発点に至るまでに、彼はどのような教育を受けたのであろうか。

2014-03-10 16:39:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪【「十有五にして学を志す」――晩学・独学による出発】おもしろいことに、彼は当時の「大夫」の子なら当然とされるような「その時代の正規の教育」を受けていない。 当時の貴人の子弟は家庭教師をやとって、古典を中心とした教育を受けるのが普通であった。

2014-03-10 17:08:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫これは西欧でも同じで…エリート養成の教育法だが、孤児に等しい孔子には、こういう先生を雇うことができなくて当然であった。 「衛の公孫朝、子貢に問いて曰く、仲尼は焉(いずく)にか学べる」。 これは…孔子の名声が確立して後の、その弟子への質問だが、その「学歴」を問うたに等しい。

2014-03-10 17:39:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬これに対する子貢の返事は一言でいえば「常に学んでいたが、何々先生を師としたというような事はない」で、いわば「学歴なし」なのである。 …孔子は誰からでも学んだ。 従って「何の常師かこれあらん」なのである。これは孔子の「生涯教育=生涯学習」という態度をも示しているであろうが、(続

2014-03-10 18:09:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭続>同時に、定まった先生から正規の学問を受けたのではないことをも示している。 いわば常に、自ら求めて賢者からも不賢者からも学んだのであって、それは 「私は生まれながらにして知識をもっていたわけではない。古代の理想社会を慕い、こまめに知識を追究した結果なのだ」(宮崎市定訳)

2014-03-10 18:39:04
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮孔子は「われ十有五にして学を,志す…」と記している。 これは「孔子の短い自叙伝」ともいうべき有名な文章の冒頭だが、十五歳は、当時の基準から見れば遅いであろう。 世襲的に学問をする家なら、幼児から否応なくその方向へ「志さざるを得ない」状態のはずである。

2014-03-10 19:08:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯理由は明らかでないが、孔子の父は武人であり、それによって大夫になった人であるから、当時の考え方に基づけば、彼も「武士」になって当然であり、またそう期待される資質も充分にあったと思われる。 なにしろ背がずば抜けて高く「長人」ともいわれた。 だが、彼は貧しかった。

2014-03-10 19:39:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰したがって若い時に「貧からの脱却」を願い、そのため財産をつくって高い社会的地位に昇りたいと考えて不思議でない。 この点では、孔子は確かに「偉大なる普通人」「世俗の聖人」であっても、けっしてシャカのような人ではない。

2014-03-10 20:09:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱「子曰く、貧しくして怨(うら)むこと無きは難(かた)く、富みて騎(おご)ること無きは易(やす)し」 この言葉に解説の必要はあるまい。 そしてこういえる人は、本当に貧乏の苦しみを知り、何とかそれから脱却しようと努力した人に限られるであろう。

2014-03-10 20:39:07