鎌倉末期に兵農分離し鉄器油の技術が進化し、室町が天皇が歌をうたい大茶会がひらかれ自治の町で世阿弥が舞うように半公半民であったのに
2010-10-29 13:57:23江戸が公と私を分けてしまい、公は教育・読書に官制化され芸能は遊郭のなかに閉鎖してしまった。旗本は学校がなく吉原にもいけず中間文化ができなかった。
2010-10-29 14:03:19近代はさらにまずい。そのままの構造で公の分野の教育・読書だけに大量投資し芸術は無視した。そのうえ悪いことに公の分野に投資をすると同時にここを西洋化した。つまり公の場所、政府が関与するところはみんな洋服の大礼服になってしまった。その反動として私の世界がゆかたがけの尻からげ。
2010-10-29 14:09:35この延長で現在も宴会の一時会は硬ーく、二次会はどんちゃん騒ぎ。親しんでなれあうか、まったく疎遠になって四角四面か。親しんで狎れずの美意識がなく、私の領域を正統に位置づけることができない。民謡、盆踊り、なんか偽りの生活。多数意見と少数意見の両者を活かした発展の循環ができないまま
2010-10-29 14:27:05大礼服なんて権威主義の果てで、盆踊りは文化でもなんでもない。表現してない。西洋の劇場は古くから半公半民のハレの場としてくつろぎつつ歓談社交。1980年の考察だけれど今も示唆に富む。まあ戦争なく権威正義のいらない平和な国だったってことでもあるけど。
2010-10-29 14:46:37自分を助けて自らで立とう。シバき上げ精神論でもなく他者依存偽り笑顔論でもないのが良い。世知辛さに慣れ従えではなく、優しさを添えれるのもいい。運に任せず他人に任せず心を殺さず、力強くたくましく自信を持たせようとするのもいい。
2010-10-30 03:17:08長州は書生が強い土地だった。彼らは自らを正義党とよび藩を乗っとった。書生の先輩のことを先生と呼んだ。たびたび後輩が先輩に大言壮語をはなった。奇兵隊は食糧を敵から奪うことで場当たり的に獲得した。幕末の長州の風潮は政治と陸軍に引き継がれた。 高坂×司馬より
2010-10-30 03:50:071977年の文章。: 仕事が労働に取ってかわり、批評が評論になっている。若者はなにか面白いものはないかと関心を拡散させる。社会がとかく落ち着かない。
2010-10-30 20:57:11技術が肉体と生活の中から生まれるのに、頭が肉体を置き去りにすると悲劇が生じる。現代芸術は構造と骨格がない肉体労働ではないからいかん。週休2日より大人本位の夕方の時間を確保せよ。性は猥褻でグロいにきまってる。子ども、塾、公園。ひきこもり。
2010-10-30 20:57:59浪費する社会への罪悪感も書いてあったり。西洋の着せ物感に関しては大正モダンがそうであったように本当は内発的なものであると。近代官僚制が偽善の悪徳を植え付けたとか。国際化情報化について、山崎正和「混沌からの表現」より
2010-10-30 21:24:34僕の二大師匠の司馬遼太郎と山崎正和が、1977年に大藩城下町都市構想をかがけてるんだけど失敗してしまったのかな。高坂、小松、祖父江、黒川、梅棹ら錚々たるメンツだったんだけど。
2010-10-29 13:38:04成績悪いと部活も制限されたりするから勉強嫌いな子も部活がモチベーションになってがんばってた。あと、部活で忙しくても、タイムマネジメントが上手になれば社会人になってからも有利という考えがあります。 RT @pikminOO: 何でアメリカの学生は文武両道できるの?
2010-10-30 21:58:081940年体制の打破は自由主義と全体主義の戦いの系譜にケリをつけるかもしれない。歴史上、自由な室町・桃山・家康・吉宗・田沼・明治・大正・敗戦後期が日本の良い時代を作った。活気があり誇りがあった。お上意識も卑屈さもないtwitter2000万人の大流行は新しい時代を作る かも
2010-10-30 22:56:38