てらまっと氏「排外主義や義憤に対しては、良心ではなく情動に訴えた方がいいんじゃないか」

密かにまとめさせていただきました。
人文 日常系アニメ カント STAP細胞 佐村河内 排外主義
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てらまっと @teramat
そういえば昔、ナチスが大衆を動員する手法を研究した本をちょこっと読んだときに、著者はもちろんナチスに批判的なんだけど、でもこの本を読めば大衆を動員できちゃうんじゃないかと思ったりした
てらまっと @teramat
『世界の感覚と生の気分』第12章「美的情動のアンビヴァレンス」読む
てらまっと @teramat
判断力批判を読んでいて個人的に一番おもしろかったのは、主観的な美的判断が普遍妥当性を「要請しうる」と書いてあるところ。美的判断は普遍妥当だ、ではなく、要請しうる。いまだによくわかんないけど、すごいと思った
てらまっと @teramat
そしてカントといえば『実用的見地における人間学』がめちゃんこおもしろい。三批判書の枠組みで人間の性格を分析したり、社交界のご婦人方は小説ばかり読んでいて悟性の働きが阻害されていてよくない、みたいなことを書いたりしてる
てらまっと @teramat
ところで、先ほどの論考には「20世紀の全体主義の後では、情動の統合作用によって共同体を回復しようとすべきではないし、そもそもグローバル化した現在では、人々の関係が流動的になっているので不可能」というような記述があるのだけど
てらまっと @teramat
昨今の排外主義的な動きの盛り上がりを見ていると、どうも逆なんじゃないかと思ってしまう。むしろ、人々の関係が流動化した結果、共通の土台への信頼が掘り崩されすぎて、人々を一時的にでも結束させるものとしての情動のウェイトが上がっているような気がする。とくに怒りとか義憤とか
てらまっと @teramat
完全に印象論というか、自分がツイッターばかり見ているせいかもしれないけど
てらまっと @teramat
そういうグローバル化した社会のなかで、日常的で個人的で些細な感情に宿る普遍妥当性の要請こそが、情動による共同体とは異なる「共通性なき共同性」「友愛」といったオルタナティブな連帯の可能性を開く、というのだけど、これはどこまで現実的な処方箋なのか、少し気になるところ。。。
てらまっと @teramat
これを自分なりに翻訳すると、排外主義に走るんじゃなくて日常系アニメを見よう、となる
てらまっと @teramat
ただ個人的には、排外主義の盛り上がりを憂う方も、良心だけじゃなくて情動に訴えて大衆を動員したほうがいいんじゃないか、と思うことはある
てらまっと @teramat
あるいは、良心を掲げて情動を封じ込めようとするのではなくて、情動による結束を解除するようなアプローチがあってもいいと思う
てらまっと @teramat
たとえば、ツイッターの話ばかりだけど、作曲家の問題で多くの人が怒っていた(怒っている人に対して怒っている人も含む)とき、その問題に絡めた機知に富んだネタツイートが回ってくると、一瞬我に返って、それまで怒っていたのが急に恥ずかしくなることってあるんじゃないかと
てらまっと @teramat
よくわからない例を出してしまったけど、ユーモアって大事ですよね、という陳腐な結論に落ち着いたところで寝よう。。。

コメント

Gril @Gril_ops01 2014年3月18日
けど今の嫌韓のメイン層って「かつて笑い飛ばそうとしていた人達」の様な気がするのよね。何というかユーモア作るのに疲れ切った、と言うか何というか
ワクテカ @rewktk 2014年3月18日
まとめを更新しました。
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