法の支配の意義

法は、まともな人の人としての活動において人間機能の延長線上にしかない。法によるテクニカル部分は、しょせん有史の積み重ねでしかない。 ※訂正=法治としておりますが、法治と法の支配は少し意味や意義が変わってきておりますので、この記事内の『法治』は『法の支配』の意味合いで使用している事をここに記載します。 法治 ⇒ 法の支配
法律
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shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
法治の意義:権威主義国家と民主主義国家では、法の性格が違う。権威主義国家の性格は、権威拡大という義(ビジョン、前進する「前」)を成す方法として利用する。それが権威主義国家の法の位置、しかし民主主義国家では、違う。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
法治の意義:そもそも民主主義の法はこの変遷が存在する⇒shakauryauei_aさんの意見#BLOGOS http://t.co/cQ8SgnoyBE
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
法治の意義:「人を認める」と、自明的に現れるのが法であり、権威主義者の権威拡大に使われる「代物」ではない。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
法治の意義:そもそも法自体が、その自明的に現れたものであるならば、時代によりその時の価値観によりより良く変わる事は自明的であり、その変化による軋轢もまた存在する。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
法治の意義:そしてその過程は人が生きる上に、仕事をするときも、表現するときもそうであるように、実に人らしい。例えば人間が絵を描く時、頭ではこう描きたくとも、それを手が、頭で思い描いているように描ける様な技術がなければ、描けない。 それと同じぐらい、人間工学的なものが「法」である。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
法治の意義:だから法は変わるし、しかしその法は、「人を認めない」という様な前提を覆さない、それは憲法よりも上位の人間として人間として生きたい、その明記する以前に人間工学的機能が働いている。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
法治の意義:だから民主主義国家と呼ばれる法治国家では、「人を認める」上での法しか書けない。それは憲法の条文として明記するよりも、人間としてのセンスが問われてくる部分、人間としての機能が問われてくる部分、
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
法治の意義:そしてのその人間としての機能はあくまで、「権威主義国家に影響された人(つまり権威主義勢力の権威拡大に努めるだけの人)」の前提ではない、その経済的縛りもなく、人としての当たり前の経済活動を踏まえた上での、恨み、悲しみ、面白い、楽しいなど踏まえた人間の感覚の反映が肝心。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
法治の意義:故に、法治で結ばれる国家同士、人同士、人を認める人同士は、権威主義勢力などの「人を認めない」勢力に対して、どのように対処するか、付き合いもするか考えなければならない。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
法治の意義:なので、言葉にする以上、法治という言葉で切り分けねばならないが、本来、人の感覚、センスとして自明的な機能こそが法、それにより治めるのは自明であり、 その言葉を切り分けて、使わねばならない「事実」を法治国家の国民は知らなければならない。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
@JO_JO_t_kaoru 日本人が、武士が人の為に、その人間的機能としての思考を用い、デザインし示した御成敗式目、それは世界同様の流れを持つ、人としての、自明的真実だ。

コメント

shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru 2014年10月8日
まとめを更新しました。
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