【不遇利権】 自分と同じ不幸を他人に望むカルトについて 【弱者優遇特権】

「如何に自分が不幸であるか」 「如何に自分が災厄を懸念しているか」 を唱える人は、それを分かってくれない人に分からせるために、実際に災厄が起きればいいと願うようになる。 災厄はそうそう起きるものではないから、本来なら喜ばしいことのはずなんだけど、「災厄を懸念する自分の正しさ」を欲するあまりに、災厄が起きることをむしろ積極的に望むようになる。 結果として、カルトは「自作自演」「狂言」を起こし、「災害対策がうまくいかないこと」を望み、「社会が不幸を共有するのが正しいことだ」と考えるようになる。 続きを読む
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カルトは20年周期ぐらいで台頭する説(`・ω・´)

またの名を田中@モデルナ×4完 @rafcooc

地下鉄サリン事件が起きた1995年が、1972年の連合赤軍・あさま山荘事件からだいたい20年ちょっとという時期で、カルトが台頭して来る周期みたいなことがしきりに言われたんだけど、オウムから20年近くが過ぎようとしている今、カルトに一番近いところにいる人々のことが私は心配です。

2014-03-20 08:49:08

「良かれと思って」と「だから言ったのに」の甘美な罠(´・ω・`)

加藤AZUKI @azukiglg

「震災の痛み」「自主避難難民」「反原発」これが折り重なったカルトが、自己救済のための努力と称して自分達を救うのではなく、「自分達の境遇をわかってくれない社会が、自分達と【同じ目に遭えばいい】と考え始める」。反原発を主張する人に原発事故再発を願う人が割と多いのはそういう理由かも。

2014-03-20 08:51:44
謎の七面鳥 @7mencho

https://t.co/CXdUfH0mv7 オスプレイ落ちろにも通じますなぁ…。

2014-03-20 08:52:31
加藤AZUKI @azukiglg

自分の不遇を自覚して、自分が救われたい――それはわかる。 でも、「不遇」という【特権】(しかも、さして利益のない)にしがみつく人は一定数いて、そういう人達は救済を求めてるようでいて求めてないんじゃないか、とは思う。救済されたら「優遇される特権」が消えるしね。

2014-03-20 08:54:02
加藤AZUKI @azukiglg

なので、「優先的に救済されるべき自分」という特権は維持しつつ、「救済が必要なほどの不遇」をわかってくれない人達が、同様の不遇に見舞われることを望む。痛みを分かれとか分かち合えとか言って。んで、同様の不遇者が増えたとき「自分のほうがより不遇」と【不遇利権】を主張する。

2014-03-20 08:55:35
加藤AZUKI @azukiglg

「不遇利権」とか「弱者優遇特権」とかの類は、努力をしなくても手に入る。不幸になればよい。もしくは、【不幸から脱出しなければよい】。だけど、「自分はそうしたいけど、そうはできないのは誰かのせい」と言えばさらによい。優遇的特権は努力せず維持できる。

2014-03-20 08:56:54
加藤AZUKI @azukiglg

分かりやすいのが「未来を創る子供の母」による自主避難から生まれる負担に対する怨嗟とかの類。

2014-03-20 08:57:59
加藤AZUKI @azukiglg

不遇利権・弱者優遇特権を得た人達が、「他の人々も自分と同じように不幸を味わえばいい!」「原発事故再発祈願!」とか言い出すのは、不遇利権が弱まった、弱者優遇特権が十分に機能しなくなった、という焦りがあるのでは、と思わなくもない。

2014-03-20 09:00:22
加藤AZUKI @azukiglg

例えば、震災が起きた。原発事故が起きた。【良かれと思って】大事に到る前に自主避難をした。子供とかつれて。震災直後は避難先でも庇護や同情が得られた。だがそこに生活基盤を作れなければ孤立するし、「大事にはなっていない」となれば、自主避難の持続に対して冷ややかな反応が増える。

2014-03-20 09:01:41
加藤AZUKI @azukiglg

そこで「自分は良かれと思って」に加えて「自分の良かれと思った選択が理解されないのは、自分のせいではなく無理解な周囲にある」(悪いのは自分じゃない、社会が悪い)と考え始めると、「自分の境遇と判断が支持されるためには、周囲も同様の不遇を被ればいい」が正論に思えてくる。

2014-03-20 09:02:45
加藤AZUKI @azukiglg

結果として、不遇利権・弱者優遇特権の味をしめたが、その効能が薄れてきたことに焦る人ほど、自分が感じたのと同様の不遇が繰り返され、自分を理解しない人々が同様の不遇に苦しめばいい、と、【相哀れむための同病を患者自身が増やそうとする】。

2014-03-20 09:03:44
加藤AZUKI @azukiglg

これが、散発的、または個人の振る舞いだったら、「心が疲れた残念な人」が孤立するだけの話なんだけど、一定規模の同様の思考を持った人々が「自分は」ではなく「自分達は」って集団(のような群れ)を自称するようになると、厄介さが増す。それはカルトになる萌芽を持つ。

2014-03-20 09:04:56
加藤AZUKI @azukiglg

「母親である自分達は正しい」とか「次の事故を警戒している自分達は正しい」を肯定するためには、自分達の警戒や懸念が現実にならなければ妄言になる。

2014-03-20 09:05:58
加藤AZUKI @azukiglg

日本で「カルト」って言葉が定着したのは、やっぱオウム事件からかなあと思うけど、もうちょっと前くらいからアメリカ辺りで集団自殺事件を起こす小規模な宗教集団をカルトって言ってて、そっちが「カルト」って言葉の意味する所の源流な気がする。

2014-03-20 09:07:00
加藤AZUKI @azukiglg

カルト=「狂信的な集団」なんだけど、単純に新興宗教や市民団体がカルトなんじゃなくて、カルトっていうのは「自分達の正義が正しい」「終末が来ることを予告している」「それを信じた信徒と教祖が、終末を自作自演する(=結果としての集団自殺)」って振る舞いをする。

2014-03-20 09:08:21
加藤AZUKI @azukiglg

カルトには恐怖する心配事があり、それを共有する集団と、主導するリーダー(精神的支柱)がおり、心配事が現実になることを恐れつつも、それを信じない人々に「心配事が現実になる」ことを突きつけることに駆られていくようになる。

2014-03-20 09:09:29
京極典厩 @kyogoku_tenkyu

@azukiglg そりゃそうですね。今も昔もそんな感じ…。

2014-03-20 09:10:09
加藤AZUKI @azukiglg

それが「内部的な集団自殺」であるうちはまだいいんだけど、「世界がホロン部」系のカルトは、自分達の周囲の破滅を望み、「それ見たことか」と勝ち誇りたがる。結果として、「自分達の望んだ破滅」の弊害を自分達は被らず、自分達を信じなかった者が被るように仕向けたがる。

2014-03-20 09:10:43
加藤AZUKI @azukiglg

その意味で、地下鉄サリン事件と、「もう一度震災が起きて、もう一度原発事故が起きるに違いない」っていう心理は、【カルト】の論理として共通しているように思う。

2014-03-20 09:11:15
加藤AZUKI @azukiglg

「良かれと思って」という正義の釈明、 「仕方がない」という諦観の肯定、 「だから言ったのに」という不遇の先輩風、 「それ見たことか」という予言者の歓喜、 ……これらの言葉には「下から目線で相手を嘲笑する」っていうアクロバティックな下卑さを感じるのでキライです。

2014-03-20 09:14:36
加藤AZUKI @azukiglg

カルトや不遇利権・弱者優遇特権に絡め取られるのは、悪人ではなく病人でもない。まあ、結果的に病んだ人ではあるかもしれないけど、基本的には善人が善意で行動し、善意でチョイスした結果陥るものなのでは、とは思うよ。だから、彼等の正義・善意は【彼等の中では正しい】。

2014-03-20 09:16:16
加藤AZUKI @azukiglg

自分は正しいと思ってる人を変えるとか押しとどめるとかは、正直無理。自分が正義だと信じ込んでる人に異論を言う者は、全てが悪だと断定してしまう。「悪の言うことになど耳を貸さないのこそが正しい」って自己規範に照らし合わせるから、決して意見を曲げない。

2014-03-20 09:17:52