アニメにおける実在の背景と押井守のリアリズムと聖地巡礼と『秒速5センチメートル』などについて
『偽物語』アニメに見る「建築への意志」 Anime in Wonderland http://t.co/VVWPLh0gnh @n11books 遅ればせながら読んだ北川さんの文章、『偽物語』未見ですがとても面白かった。アニメの背景に現代建築が出てくることの意味。なるほど…
2014-03-21 23:50:01現代建築その他実在の場所が物語を支えるために効果的に引用される。それにしても、引用するアニメ制作者の方々はどうやってその場所を選び取ってくるんだろうか。普段からデータベースでも作っているんだろうか。http://t.co/VVWPLh0gnh
2014-03-22 00:09:01押井守も「アニメは実写映画と違い画面の全てを作らなければならない。だから画面の全てに制作者の意図が入り込む」というようなこと(当たり前と言えば当たり前だけど…)を書いていた。これを一言で言うと「建築への意志」か。『イノセンス』では都市を隠喩として使っていた、など連想が働く。
2014-03-21 23:51:03映画勃興期の観客はストーリーよりも背景の木の葉の揺れやはためく布に感動したというし、その自生性の現象をアニメで再現するにはものっそい労力がかかりそう。宮崎アニメの細部への感動はそれに近いのかも
2014-03-22 00:04:16ただ、押井守の実写はノイズだらけの実写映像を編集でつないで別の意味をもたせようとしているようだが、大抵うまく言っていない。
2014-03-22 00:01:31@tatsuzawa 北川さんの文章では意図に沿って引用される面が説得的に論じられていますが、逆に意図せざるものが入り込む面もあるでしょうね。そのことと聖地巡礼の関係なども気になりますね。
2014-03-22 02:05:59@rewktk 普通は聖地巡礼をすると作中世界や制作者との一体感を味わえると思いますが、制作者が意図していないものが作中に入り込んでいる場合、ただ作品を見ても「これ意図せず入れているな」と制作者との壁を感じるわけで
2014-03-22 02:20:27@tatsuzawa 聖地巡礼はそうですよね。そこには地元の人もいる。聖地巡礼しなくても、視聴だけのレベルでも異物が入り込んでしまう事はありますか?北川さんが論じた『偽物語』のように、演出意図に沿って効果的に引用が出来ていない場合にはありそうですが。
2014-03-22 02:27:08@rewktk 『秒速5センチメートル』では1995年設定の風景に真新しい高架駅や、タッチパネル式の券売機があるなどいろいろと異物がありました。さきほどのツイートはほとんど『秒速5センチメートル』を念頭においています。
2014-03-22 02:29:40@tatsuzawa なるほど。時代考証の不足のようなものですね。制作者がそこでズレを埋めなかったのは、単なるミスなのか、関心がなかったのか、あえてそうしたのか、どれなんでしょうか…。
2014-03-22 02:36:35@rewktk あまりに相違するものが多く、逆に1995年だと示しているものが2つくらいしかないので私は関心がないのだと考えています。
2014-03-22 02:40:54@tatsuzawa 確かに、そうかもしれませんね。セカイ系には中景が欠けている、と言われる事とも関係しそうですが。アニメ批評界では、もしかするとそのような議論も既になされているのでしょうね。ありがとうございました。
2014-03-22 02:44:47