和尚と若僧2

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伊月遊 @ituki_yu

冷え切った、畳を敷き詰めた部屋に、一枚の布団。 青年はその布団で眠っていた。 剃髪の、凛と鼻筋の通った、まだ若い青年である。 もそり。 布団が軽く動く。 青年はゆっくりと身体を起こす。 欠伸、息が白み掛かっている。 鼻腔に冷えた空気が張り付く。

2014-03-30 14:01:15
伊月遊 @ituki_yu

「今日は冷えるな」 青年は軽く目を擦り、布団から出て、もそもそと胴着を着る。 帯を強く締め、襖に向かう。 襖が開く小気味の良い音が辺りに響くと、襖の向こうは白。一面が白く染まっていた。 「やぁ、雪だ」 青年は微笑を浮べる。

2014-03-30 14:06:45
伊月遊 @ituki_yu

火を、入れないと。 青年は木が軋む音を立てて縁側を歩き出す。 足裏が張り付くように冷える。 五歩。十歩。 縁側の角を曲がる。 そこに薄汚れた袈裟を着た老僧が、縁側に腰掛けていた。 じいっと白く染まった庭を見つめ、茶を啜っている。

2014-03-30 14:09:58
伊月遊 @ituki_yu

  「積もったなぁ」 老僧がこちらを見ずに言う。 「はい」とだけ、短く答えて、青年は老僧の横に座る。 茶の湯気が老僧の顔を撫でている。 暫しの間。 「昔を、のぅ、思い出しておったのよ」 老僧はやはりこちらを見ずに、枯れた声で呟く。

2014-03-30 14:13:01
伊月遊 @ituki_yu

  「―――過去に、何か?」 老僧は青年の方を向く。 顔に浮かんでいたのは笑みである。ただし、眉がひそまり、どこかもの悲しげな。 「―――のぅ、坊主」 「はい」 「少し、長くなるが良いか?」 「はい」 老僧はまた、庭を見る。 間。 老僧は口を開き、ぽつりぽつりと語り出す。

2014-03-30 14:16:23
伊月遊 @ituki_yu

  「ありゃあな、わしが二十の頃じゃ」 老僧は茶を啜る。 「わしゃあその頃、海軍に入隊したばかりじゃった」 「和尚が?」 「うむ」 どさり。 音。屋根から雪が落ちた様だ。 気にも暮れず、続ける。 「明治の暮れの頃か、あん時の日本はひたすらアメリカの胡麻擂りをやっておった」

2014-03-30 14:20:52
伊月遊 @ituki_yu

  老僧の頬が軽く持ち上がる。 若僧はじっと聞いている。 「ある日の事じゃ、わしはお偉いさんに呼ばれたのよ」 老僧は茶を啜る。 「部屋に入って開口一番、『今夜の立食会談、お前が行け』と言われての」 「立食会談?」 老僧は苦く笑う。 「平たく言えば宴会よ、胡麻擂りのな」

2014-03-30 14:25:35
伊月遊 @ituki_yu

そう言って老僧は、湯飲みを見つめる。 「わしはなぁ、そんな体制に辟易しておった。じゃが命令は命令、行かざるをえなんだよ」 湯飲みを傾け、息を吐く。口元の白と、庭の白が混じり合う。 老僧と若僧は空を見る。 雪は静かに降り続けている。 「あの日もな、こんな雪の降る日じゃったよ」

2014-03-30 14:29:50

 
 
 
 

伊月遊 @ituki_yu

  夕時である。 ちらちらと雪が降る、静かな道。 宵闇が周囲を包み始め、人影は殆ど見えない。 その中を一人の青年が歩いていた。 軍服を着た、利発そうな青年である。 右手に持った折目付きの紙を時折見ながら、青年はまだ積もり切らぬ雪の道に足跡を残していく。

2014-03-30 14:35:58
伊月遊 @ituki_yu

  「ここか」 呟き、青年は足を止める。 青年が仰ぎ見た目の前には、半開きの門があった。 門の先には綺麗に舗装された道があり、その先には大きな屋敷。 豪奢。と一言で言えばそうであろう。 「迎賓館、ねぇ」 青年は鼻で軽く笑い、その門の中に入っていった。

2014-03-30 14:39:58

 
 
 
 

伊月遊 @ituki_yu

  「それから?」 剃髪の若僧は老僧に問う。 「で、その後は雑務じゃな。準備を手伝っての、気付いたら既に時間が来ていた」 ちちち。 駒鳥が二羽、庭に降りる。 「間もなくお偉いさんが仰山やって来た。立食の始まりよ」 老僧は湯飲みを傾ける。

2014-03-30 14:45:19
伊月遊 @ituki_yu

  駒鳥が互いの口を啄み合っている。 老僧はそれを見て軽く微笑む。 「仲睦まじいのぅ」 老僧はぼそりと呟く。 その言葉には、どこか暗い影が有るように、若僧は感じた。

2014-03-30 14:49:10

 
 
 
 

伊月遊 @ituki_yu

  派手な意匠が施された大広間。 大勢の身なりの良い人達がそこに居た。 それぞれは談笑し、酒を飲む。 青年はその中を、細いグラスの載った盆を持って立っていた。 ―――何故、俺がこんな事。 心中の苛立ちを抑える様に、片手で軽く髪を掻く。 全く持って、意味の無い時間。

2014-03-30 14:53:48
伊月遊 @ituki_yu

「ねーぇ」 突然、目の前から声。 青年は顔を上げる。 最初に目に飛び込んだのは胸元の派手なブローチ。 派手なドレスを着た三十代そこそこの女が、妖しく口元を歪ませて立っていた。 「ねぇ、あなた」 「―――俺、ですか?」 「そう、あなた」

2014-03-30 14:56:59
伊月遊 @ituki_yu

青年は自分の頭から記憶を手繰り寄せる。 この女確か、陸省長官の―――。 「どうかしたの?」 意識が現実に戻る。 「いえ、何でも」 「そう」 にぃ。 女は口元の妖しい笑みを少し深める。 「少し、付き合って下さるかしら」 「何用で」

2014-03-30 15:01:21
伊月遊 @ituki_yu

女は俺の耳元に口を寄せ、呟く。 な―――。 思わず目を見開く。声は出ない。 女は妖しい笑みを浮かべながら言う。 「真っ赤になっちゃって、可愛いわね」 それとも、こんなおばちゃん相手じゃ嫌かしら?

2014-03-30 15:04:10

 
 
 
 

伊月遊 @ituki_yu

  「それで?」 「断る訳無いじゃろうが」 老僧はにかりと、歯を剥き出しに笑う。 「ま、そんな訳での。わしらは人気の無い所まで移動したんじゃ」 老僧は、既にぬるくなった茶を啜った。

2014-03-30 15:07:39

 
 
 
 

伊月遊 @ituki_yu

  薄暗く湿った、ひんやりとした物置。 そこに青年と女は向き合うように立っていた。 「さ、始めましょうか」 女は妖しく笑い、ゆっくりと背中のファスナーに手を掛ける。 ごぶり。 喉に貯まった唾を飲み込む音。青年の物である。 衣擦れの音が辺りを包む。

2014-03-30 15:10:54
伊月遊 @ituki_yu

「ほら、あなたも―――」 青年は慌てて軍服を脱ぎ出す。 遂に女は、下着だけの姿になった。 「さぁ、来て」 女は妖しく微笑みながら床に寝そべる。 早鐘の様に鳴る心臓。 青年はそれを抑えながら、ゆっくりと女に近づいていく。

2014-03-30 15:13:46