2014年4月12日

ハイデガーの和訳文のお勉強メモ

仏教徒には経典にみえるらしい現代の聖典ハイデガー。それはコギトの被制作性=存在忘却をめぐるからだろう。私は英訳でしかハイデガーに触れていなかったが、複数の和訳に見られる動揺から、日本にのみ孕まれた屈折について考えさせられてしまう。斎藤元基博論を読みながら、3つの和訳でハイデガーを比較対照しながら、コギト批判をめぐるハイデガーの寄与にいたる転回と、メルロ=ポンティーのコギト論や脱構築との深度を測定中。
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ちなみに、ent-ferungというハイデガーの造語的分離動詞で四人の訳者が苦労しまくっていて、いま一番よいといった高田も「阻=遠」だが、この単語以外で命題を捉えることに成功している。https://t.co/3uQt0Ly7iw

2014-04-19 20:48:56
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

いわゆるプロパーな人達が権威的に訳文を作ってるのだが、彼らは単語レベルなのだ。ドイツ語が文法的に、英語でも不可能なような分離動詞などを有する体系で、単語レベルでしか考えられていない。国語教育では単語、文、文脈、論旨、命題とレベルを上げるのだが、彼らはサル並み。@Oygnino

2014-04-19 20:46:00
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

「可能性としての現象学」という本来性は、こういう訳者のつくる訳文からは一掃されてるからね。断罪されなければならない。@Oygnino 柄谷理論さえマスターしとけば入試現代文程度は余裕で教授できるという事実を発見した

2014-04-19 20:37:50
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

「可能性としての~」というのは、柄谷行人の「~の可能性の中心」ではないが、本来哲学がそうであるべきものとして、たとえば今日届いた新刊書では「可能性としてのカント」「可能性としてのフッサール」から捉えると、科学的対象である超越論的主観からの転回が、という話になったりする。

2014-04-19 20:34:57
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

いわば、やっていることは、ハイデガーの訳文の受容によりニヒリズムに屈折した日本文学という系譜学を研究していることになるのだが、このように訳文に「可能性としてのハイデガー」が全く感じられない。とくに去年でたばかりの岩波文庫版熊野新訳が、かなり悲惨である。

2014-04-19 20:33:15
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

なので、この段落冒頭を日本語にすると「現存在は隔てを創出するが故に世界=内=存在である。それゆえ、手許存在までの隔てを決して渡り切ることができない。仮に現存在が自らを手許存在と見做すと、自身までの隔たりが不明になる。よって単なる距離として見出すことに、現存在は関わらない」で十分。

2014-04-19 20:30:49
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

(続)そこに高田訳だけ「手許にあるものと自分との間」というように、現存在が自分を手許存在と見なすことで錯覚してしまう距離、という批判対象が訳出されている。その他の訳者は、この重要命題の日本語訳に成功していない。

2014-04-19 20:30:34
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

297段落は、デカルト認識論批判の絶頂箇所だが、それだけに延長カテゴリーを禁忌とした訳文が造られなければならない。そこにあるのは、現存在は隔てを生むが、隔てられた手許存在は現存在ではないから、現存在を隔ててみる単なる空間は、空間ではないという命題なのだが(続)

2014-04-19 20:30:15
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

熊野新訳では「手もとにあるものの現存在自身からの距離」、細谷訳「現存在から用具的存在者の距たり」、高田新訳「手許に在るものと自分とのあいだにある遠さ」。高田訳だけが、自分を手許存在とみなす場合、というこの段落の命題を訳出できたことになる。

2014-04-19 20:29:59
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

数日にわたって、延長カテゴリーを禁じる297段落付近の和訳の仕方を、辻村、細谷、熊野新訳から考えてきたのだが、高田新訳だけ「現存在が隔てた手許存在に自分も含む場合」という命題が明示されている。http://t.co/1Gh0FqvUWb

2014-04-19 20:29:34
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

やはり当初立ち読みで直感したように高田新訳が一番「和訳文が練れている」。ハイデガーの和訳は、訳語解釈に拘るあまり、注解でしか命題を取り出せないような訳文になっている。商業翻訳では下訳レベルなのだが、訳者は原文のせいにするだろう。しかし解釈学としてのハイデガーを解釈できていない。

2014-04-19 20:28:51
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

英語では語順的に不可能な分離動詞のあるドイツ語に野放図なハイデガーのEnt-fernung 熊野新訳「隔たるゆえに隔ての無さが取り去られること」、細谷訳「開離性」、高田新訳では「阻=遠」だった。@LitoSnowfield http://t.co/R8lq0zjGut

2014-04-19 18:43:35
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

テラモの有隣堂、中途半端でこまるのだが、某さんの秀逸なハイデガー論の『努力~』にかわって國分さんの博論『スピノザの方法』が平積みで、爆笑しそうになった。(^-^)/ http://t.co/j7E8qqMEoZ

2014-04-19 18:30:46
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

科学の終焉問題というのが最近はやりということなのだが、物理学の方では科学(的発見)の終焉https://t.co/Jt7uMKxtE4 といわれているのだが、だからといってまさか生命科学というんではなかろうな。(^-^)/

2014-04-19 18:22:46
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

この本、まさか結論部がiPSで、ハイデガーの無からの脱去(差異や生起)を例示し、フッサールの幾何学の起源を、超越論的主観=科学的対象から「超越論的客体」へ転回しようとする本とは思わなかった。馬鹿にタイムリーだなwww (^-^)/ http://t.co/4gjikkGfN3

2014-04-19 18:18:44
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

フッサールの幾何学の起源をめぐる、ポンティ、デリダ、セールを、可能性としてのカントの範疇から論じ、超越論的主観から超越論的客観に、いわば綜合しているその結論が、幾何学を回避したハイデガーから、iPS細胞と科学の不可能性という話。だいたい私がいつも触れようとしている地平だな(笑)

2014-04-19 17:45:55
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

現代思想と“幾何学の起源”―超越論的主観から超越論的客観へ http://t.co/tAA4HLeH2f 受け取った。留守で不在者表が面倒なので、初めてアマゾンのコンビニ受け取りにしたら便利だった。何よりも邪魔なデカ箱でこずに、簡易パッケージなのがよい。

2014-04-19 17:44:40
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

・・・と、すこし気分転換したところで、全ての言換えが延長カテゴリーになってしまう、ハイデガーの実存カテゴリーに戻ろっと。実存カテゴリーとは換言==翻訳(日本語・英語どころか、最も深刻に仏語に)できない出来ない分離動詞のようで、ずっと今週はそれを思考している。時間が止まりそうだ。

2014-04-17 06:00:56
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

隔る故に隔たりの無さが有ること、開離性(細谷等訳)は、英訳だとde-severance。de-はドイツ語が嵌り込む前綴り分離動詞ent-だそうだが、要は反対語で別なカテゴリーを作るということ。@LitoSnowfield http://t.co/IAbJwy0xbb

2014-04-16 22:04:19
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

そうそう、それに比べればメルロの文なんて読みやすくって快感をおぼえるほどの効果があるよ。まあ狂文の原典、聖典だからなー。ドゥルーズになるとまた別様な狂文になるようだが(^-^)/ @Oygnino ウヘエ、でもここまでの狂文は出ないでしょう… 似たようなのは一杯ありますが

2014-04-16 22:02:20
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

「労働から遊びへの転回だそうな(^-^)/」をトゥギャりました。 http://t.co/kzAYvPWMbV

2014-04-16 02:29:16
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

日本の落ち目な一国経済が生物学的に謎らしいよ。彼は原発推進の話ばかりするが、3.11直後、脱原発といった柄谷行人を「ハイデガーのテクネーが分かっていない」と批判したブログは、いま検索したら見当たらない。削除したのか? http://t.co/EbMRuZGQ1G @cubapon

2014-04-16 00:13:20
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

なんで慎重なのかは当然、空間が数学的に「予め」ある、なんて捉え方になるコギト(やフッサールの超越論)があるのではない、「その都度」「さしあたり」の時間性となる現存在が、世界に出会う(世界を身近にする)のだ、ということだからね。@Oygnino

2014-04-15 22:35:32
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

そうでもないよ。いわば慎重なだけだよ。世界が身近に感じるなんて現代の常識だが、それはデカルトの延長に脚が生えて近づいてきたのではなく、現存在が能動的に配慮している、というのが本来の言い方だとかね。http://t.co/N688bWqXwQ @Oygnino

2014-04-15 22:06:25
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

現象学も、フッサールのコギト解釈を批判する『存在と時間』の和訳文なんて、まるで頭の悪い人の書く日本語にみえるからな。ほんとに出来の悪い読み手が読むと発狂するかも。https://t.co/y19x1EhdWi @Oygnino 進学組の子らに早速ツけてみましょう

2014-04-15 21:44:42
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コメント

語られざるもの、悉若無/オルテガ的消費者の叛逆によせて @L_O_Nihilum 2014年4月12日
ざっと読んでみたら、存在了解≒存在論的「ドわすれ」なのかなぁ、と思った(えぇぇ)。
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