松永貞徳くんの貞徳語り(補足強化版)
遅ればせながらこの質問にお答えしまあああああす!!!!! RT @yoshinoichiji: @yuusai1534 わあああああああああああああああぁぁぁいいいいいいいい丸さああぁぁぁぁぁぁ……まだ丸さんのこと詳しく知らないので、丸さんのこと教えてください。
2014-04-13 23:57:37●松永貞徳(1571~1654)
江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者。
名は勝熊。
別名は長頭丸(ちょうずまる)、逍遊軒(しょうゆうけん)、
延陀丸(えんだまる)、保童坊、松友etc...と、妙に別名が多い。
一人称である「丸」は「長頭丸」の「丸」から来ている。
実際頭が長かったらしい。
(気になる人は『松永貞徳』でググってみよう)
前回、話した丸のツイートとかなり重複してますので、前にもう読んだよ!って方、お許しください!!!!!分かりやすく、タグつけておきますね!!!!! #貞徳語り
2014-04-13 23:59:14☆前回の貞徳くんが来たときのまとめはコチラ
→http://togetter.com/li/313059
丸の生い立ちですが、祖父は摂津高槻城主の入江政重という人でした。 入江政重の母(丸にとっては曾祖母ですね!)は妙精という人で、松永久秀殿の伯祖母(松永久秀の祖父・久松の妹)にあたる人だと伝わっています! #貞徳語り
2014-04-13 23:59:50○摂津高槻城
現在の大阪府高槻市にあった城。入江城とも。
ウィキペディアに復元模型図も載っています →http://ja.wikipedia.org/wiki/高槻城
●松永久秀(1510~1577)
壮絶な爆死と『黄素妙論(こうそみょうろん)』という
性技指南書の持ち主で有名。通称松永弾正。
ちなみに弾正忠とは律令体制時代の冠名であり、
『だんじょうのじょう』または『だんじょうのちゅう』と読む。
監察・警察を行う役職だったとされる。
なので、祖父も松永久秀殿と親しくしていましたが、祖父が亡くなり、その後、入江家は織田家と敵対、破れて城を奪われて没落したので、丸の父、永種は連歌師になりました。 #貞徳語り
2014-04-14 00:01:01○連歌師(れんが-し)
上の句と 下の句繋げて 五七五
七七繋げて みんなで詠もう
この時代 連歌は一つの 教養で
例えるならば 義務教育
極めれば 筑波の道も 職になる
初めは発句 最後は挙句
連歌とは鎌倉時代から興った、日本の伝統的な詩形の一種である。
能楽と並ぶ室町時代を代表する遊戯でもあり、
戦国時代には武士の教養としてその地位を獲得し栄えたが、
江戸時代に入ると次第に廃れていった。
ちなみに『挙句の果て』という言葉は連歌の終わりを示す
『挙句』から来ている。
この時、永種は松永久秀殿の養子になったとも、 曾祖母・妙精が父を引き取り育てたことから松永の姓を名乗ることになったのだとも、 祖父・政重が死ぬ前の遺言で、入江の者は短命だから縁起かつぎで松永の姓を名乗れと 言ったともいわれています!!!!!! #貞徳語り
2014-04-14 00:02:55さらに丸の母が藤原惺窩の姉という話も最近では別の説があり、実は宇野宗清の娘である と言われています。 祖父、政重の妻は妙忍といい、このおばあ様が、藤原定家の末裔・下冷泉家の出で、藤原惺窩殿の伯祖母であるということです。 #貞徳語り
2014-04-14 00:04:11●藤原惺窩(1561~1619)
読みは『ふじわら せいか』。
戦国時代から江戸時代前期にかけての儒学者。
公家の冷泉為純(下冷泉家)の三男として生まれる。
(冷泉家は『藤原定家の子・藤原為家の子・冷泉為相を祖とした由緒正しき名家』であり、
上・下冷泉家は『冷泉為相の曾孫・冷泉為之が弟の持為と分立したときに分かれた』もの。
上冷泉家の方が兄・為之の血筋に当たるため嫡流である。
上冷泉家は関東江戸寄り、下冷泉家は京寄りに統治していた)
※ちなみに…
『惺』は『さとる』、『窩』は『か』で変換できる。
『窩』は『あな』という意味があり、『眼窩(がんか)』で眼球の収まるくぼみを指す名称となる。
多分名前を付ける上ではあまり関係していないと思われる。
入江家は古くは源頼朝公と共に戦った由緒正しい武士の一族。 そこに松永家と、藤原定家先生の末裔である公家の名門・下冷泉家が加わるという、なかなかチートな血筋が丸に流れているわけですね。 #貞徳語り
2014-04-14 00:04:37ちなみにですが、高槻城を失った丸の実家、入江家は紆余曲折の後、細川家に召し抱えられることになりました!!!!! この時、入江家の者を取り立ててくださったのは我らがヒーロー、細川藤孝様だと伝わっています!!!!! #貞徳語り
2014-04-14 00:05:07◎高槻城ここまでの歴史
1553年 三好長慶の支城として、入江春継が城主に。
1564年 三好長慶、死亡。三好三人衆の一人・三好長逸が一帯を治める。
1568年 織田信長、摂津へ進軍。
同・高槻市にあった芥川山城が落城すると共に高槻城も降伏。
入江春継、自害。和田惟政が城主となる。 ←いまココ!
話を戻して、父、永種です。 永種は松永の一族として、久秀様がぶいぶい言わせていた頃に連歌師として活躍していました。 丸はそんな父から直々に連歌を習います。それに下冷泉家が親戚ですから教養に触れる機会は人より恵まれていたと思います。 ここらへんも幽斎師匠と同じですね。 #貞徳語り
2014-04-14 00:06:29さらに丸は父の薦めで、九条稙通先生から知歌を教わり ました。 九条先生はまだ少年の丸に大変目をかけてくださり、和歌の秘伝を伝授したばかりでなく、十一歳の丸に源氏物語の奥義を伝授までしてくださったのです!!! #貞徳語り
2014-04-14 00:07:25●九条稙通(1507~1594)
読みは『くじょう たねみち』。
戦国時代の公卿・古典学者であり、
五摂家の一つ、九条家の第16代当主。
○摂家(せっけ)
鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った
5家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)のこと。
摂関家、五摂家、執柄家ともいう。
特に摂政・関白という地位はこの五摂家のみが任じられる職であり、
かの羽柴秀吉は五摂家の一つ・近衛家の16代目当主である
近衛前久の猶子((ゆうし)養子よりも親子関係の結びつきが薄い、
契約での親子関係)となり『藤原秀吉(近衛秀吉)』という形で
関白就任を果たした。
○源氏物語の奥義
ググったらこんな本見つけたので、
興味のある方・詳しく知りたい方は参考にどうぞ。
【幽斎源氏物語聞書】
→http://www.books-yagi.co.jp/pub/cgi-bin/bookfind.cgi?cmd=d&mc=m&kn0=20&ks0=4-7971-1701-X&pr=&kw=..
この連歌の意味は、 『花のようなこの子に更に道を分けて添えゆく将来があるのだな』と、稙通先生が若い弟子である丸を祝っています。 #貞徳語り
2014-04-14 00:08:30そして丸は、『春には霞に袖を引かれるように師の導きに引かれてゆく私の袖です』と詠んでいます。初々しいですね!!!!!少年らしい素直な歌です!!!!!丸にもこんな頃があったのですよ!!!!! それがなんでこうなったって? #貞徳語り
2014-04-14 00:09:57そして幽斎師匠の三句目!! 鷹とぼう、は丸のこと。キギスは日本古来の呼び方でキジのことで、父・永種のことを表しています。 #貞徳語り
2014-04-14 00:10:39