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認識の継続的な生まれ直しをスルーする、日本美術界の「作法」(永瀬恭一)

★【まとめ主による、大まかな要約】 ●ゲームルールは常にゲーム勝者が作るので、そのルールは再強化しかされない。 ●わかりやすい「弱者」への擁護が、社会的強者をさらに強化する。 続きを読む
アート
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永瀬恭一 @nagasek
現代アート界であれ学術研究であれ政治家であれ教育現場であれ、ゲームルールは常にゲーム勝者が作るので、そのルールは再強化しかされない。家族等もそうで、原則的に家族内強者が「家族ゲーム」のルールを設定する。
永瀬恭一 @nagasek
この枠組みを疑うときに危険なのは「一般弱者」「ゲーム内弱者」が乖離する場面。現代アートでは「アウトサイダーアート」が実は強かったりする。家族問題では子供が家庭内暴力で家を支配してたりする。そしてこの乖離を盾にとって、社会的強者が立場を確保したりする。
永瀬恭一 @nagasek
曰く「アウトサイダーアート(この語様々に入替え可能)」を庇護する者が「アウトサイダーアート」をステップにして発言力を得たり「家庭に問題を発見する」事が社会的発言力に繋がったり(このシーンでは作品にしか居場所が無い病者や暴力をふるわざるを得ない子供の問題は放置される)。
永瀬恭一 @nagasek
美術の世界では古典的な制度批判をすることが美術家としての変な「立場強化」になったり、悪くするとそれを「作品化」したりするわけで、こういった振る舞いが言説上のパフォーマンスとは逆に既存のパターンを反復強化したりするんだな。
永瀬恭一 @nagasek
実は日本の美術は「制度」が未発達な分「作法」だけが過剰に強化されているなと思う。反抗しようと思うと「そんな制度はないよ」といなされるが、「作法」に沿った振る舞いをしないと奇麗にスルーされる感じ。
永瀬恭一 @nagasek
「スルー」なので、まったく「抑圧」は発生しない。単に「スルー」。このスルーっぷりの所作が気持いいくらい洗練されている。逆に「作法」に沿った「制度への意義申し立て」は日本の美術では大変に受ける。
永瀬恭一 @nagasek
既存の美術の問題点に異議申し立てをする、という「問題児」が何の事は無い美術手帖とか公立美術館とかにピックアップされるステップとして「美術館から現実へ」的な(ランシエール的錯誤に満ちた)アクションをするのと(続
永瀬恭一 @nagasek
承前)美術制度への抵抗など過去の問題であり、そんな制度への反抗は無意味だから、諸制度を柔軟に渡り歩きつつ結果的に地歩を固めるものが現在のアーティストなのだ、の2パターンだけが互いに切磋琢磨してる素敵な風景は流石21世紀だけのことはあるなと。
永瀬恭一 @nagasek
僕は語の本来の意味の美術はこういう「作法」とは無関係にあると考える(美術はアートワールドで地位保全する職業的達成ではなくあくまで認識の問題だという反動的立場を維持する)けど、最近こういう作法の問題を目にする場面も出て来て、その都度笑える。
永瀬恭一 @nagasek
ちなみに国内美術の「作法」は「美術館が」とか「文化的土壌が」といったレベルではなく、極小規模なサークル水準で洗練されていて、その非体系的な「作法」が美術館レベルや文化的土壌の問題迄連続しているという、スイートな観測をしています。
永瀬恭一 @nagasek
了解です。問題ありません。QT @ueyamakzk 永瀬さん、ご無沙汰しております。ツイートをまとめさせて頂きました。 http://t.co/P5q1gzxBIS タイトルや要約部分なども含め、問題があればすぐに対応いたしますので、ご連絡を頂けますでしょうか。 お忙しい
永瀬恭一 @nagasek
まとめられたので補足。世界水準(!)に話を振ると村上隆氏の「現代美術の文脈を理解しろ」発言は欧米のアートゲームに従属しろという意味でなく、そこを組替えるのに前提として欧米のアートゲーム(作法も込みで)は理解しないと喧嘩できん(続
永瀬恭一 @nagasek
承前)という意味だと思うが、フォロワーの多くは欧米のアートゲームに従った者が「勝ち」だと誤読してないか。結局は「作法」だと。
永瀬恭一 @nagasek
この「作法」のゲーム制作者は、もちろん「欧米のアートマーケット」でも、「村上隆」「岡崎乾二郎」(他etc.)でもない、と僕は思っている。むしろそのフォロワー、エピゴーネンが「アートゲーム」を作ってると思う。
永瀬恭一 @nagasek
かつて柄谷行人が吉本隆明に「人はその本人ではなく、エピゴーネンに影響される」と面と向かって言っていた。吉本のフォロワーが「吉本隆明主義」を作る(マルクス主義と同じ)。この「吉本隆明」という固有名は誰にでも代替される。
永瀬恭一 @nagasek
アートマーケットを「世界のルール」にしているにしているのは実はマーケットそれ自体ではない。その内部は様々なエージェントが錯綜しており一元化できないルールは一元化されていない。「世界水準のアートマーケット」なるものを仮構するエピゴーネンが架空のアートゲームを設定する。
永瀬恭一 @nagasek
誤解を招きかねないので追記すると、僕はゲームルールが悪でそこから切り離された「自由」な美術があると言っている訳ではない。というより美術とは常にその都度のゲームの創出である筈だと思う。問題は、どこかに「正しいゲーム」があるという問題構成だ。
永瀬恭一 @nagasek
それがなんで有れ、架空のどこかに一元化された「正しいゲーム」(アートマーケット、「関係性の美学」、反「関係性の美学」、モダニズムのハードコア、etc.)があるという態度。その「ゲーム」に沿う「作法」の習熟と作品化が美術だという態度。
永瀬恭一 @nagasek
歴史的にARTという言葉を「芸事の術」と訳してしまった悪影響なのかどうなのか知らないけれども、現代アートが(制度の幼稚さをその原因とした)明文化されない作法の習熟と作品化になっているという意味で、ぶっちゃけ日展とかわらんなと思う。
永瀬恭一 @nagasek
大事なのは偽の一元化された「正しいゲーム」に勝つことでも、その問題点を告発して結果的にゲームに参加することでもないし、誰かをアイドル的に「ゲーム主」にしてドグマ化することでもない。各自が各自のゲームルールを作って既存の「架空ゲーム」を無効にし続けることだと思う。
永瀬恭一 @nagasek
なぜ「架空ゲーム」を設定する人が後を絶たないのかといえば、なんらかの形で「勝つ」ことを欲望するからだろう。僕の理解でいえば「勝つ」ことに美術はない。「賭ける」ことにしか美術はない。これが今期の組立-転回で学んだ事。
永瀬恭一 @nagasek
近日予定の「組立-転回」の最終対話では結果的にその辺のことも射程に入るかもなと思いつつ、ざっとツイートしてみた。お騒がせごめん。
「組立-転回」 http://kumitate.org/

コメント

上山和樹 @ueyamakzk 2014年4月21日
まとめを更新しました。
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