アサヒレンと俺

窓を拭いたらタクさんbot @ishii45ma

アサヒレンとの出会いは実に平凡で、僕が住んでいた町にいたってだけなのだけれど。僕はアサヒレンを始めてみたときからびびっときてしまった。古臭い表現だがそれ以外にぴったりな言葉が見つからない。要するに一目ぼれというやつだったのだ。

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それはノラアサヒレンにしては綺麗な毛並みをしていたがどこか悲しそうな顔をしていて前足に少しだけ怪我をしていた。布がこすれたような跡で何か虐待をされていたのかもしれない。僕はそのアサヒレンを小脇に抱え引きずるようにして自分の家に連れて帰った。ずっしりとした重さはアサヒレンの特徴だ。

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一人暮らしの家にない救急セットを必死に探してやっと見つけたのが駅前でもらった絆創膏だった。アサヒレンの足の傷を綺麗に洗い上からまいてやる。庇い切れなかった傷が絆創膏から見えているが安静にしていたら問題ないだろう。ちょっとした、靴擦れみたいなものだ。アサヒレンは靴を履かないけれど。

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「お前はどこから来たんだ？」 そういうがアサヒレンの生体上声帯がないのだから応えるはずもない。ただ前足をベッドの上にこすりつけるだけだ。ふわふわになった毛並みをなでるとアサヒレンは首を振る。本物を見るのも触るのも初めてというわけではないがこんなに近くで感じたのは初めてだ。

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アサヒレンは少しにおいをかぐと小さめのえびを食べた。僕もご飯にしようアサヒレンを見つける前に買ってきたコンビニ弁当を開ける。アサヒレンのガッガッという咀嚼音が響いた。不揃いな牙を持ったアサヒレンならではの咀嚼方法で口の中に入れてから噛み砕く。大概のものは飲み込むのだが、今回は

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イカや貝があるから仕方ないのだろう。 「アサヒレン、君は飼いアサヒレンかな」 そう声をかけるとアサヒレンは少しこちらを見てからまたシーフードミックスに食いつく。面白くなって弁当のぶりのてりやきを皿に入れてやると嬉しそうに食べた。

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僕はアサヒレンを持ち上げて床に置いた。カーペットの上にゴロンと横たわったアサヒレンは毛づくろいのつもりなのか背中をカーペットにこすりつけた。その間に僕は携帯でアサヒレンの習性を改めて調べる。食事はできれば魚がいいようだ。シーフードミックスを解凍して皿の上に出してやった。

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翌朝、ベッドの上に置いていたのだがアサヒレンは枕と布団の間に挟まっていた。暗いところが好きなようで朝起きたときは少し驚いた。 「おはようアサヒレン」 そう声をかけるとアサヒレンは朝一番に体を振って毛並みを逆立てた。

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電子レンジの中のシーフードミックスを乗せた皿がぐるぐると回る。アサヒレンはそれをじっとみていた。冷蔵庫の上に置いてあるのだが器用に足をかけて登ってずっとそれを見ている。俺は大学に行くための弁当を作っていた。もうすっかり一号だけ炊くのにはなれた。今日はアルバイトがある、アサヒレンに

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留守番をしてもらわないといけない。 「ご飯はちゃんとここに置いてあるからね、お昼しか食べちゃダメだよ夜中はバイトに行くけど夕方に一度、帰ってくるから」そういって玄関でサンダルを履く。玄関までついてきてしまったアサヒレンが意味がわからないのか玄関マットに背中をこすらせていた。

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大学にいる最中もアサヒレンのことが気になってしまった。急いで帰るとアサヒレンは風呂場にいた。どうやら喉が渇いていたようでタイルをなめている。水は予測していなかったな。そう思いながらアサヒレンに水をかけてやると嬉しそうに暴れた。もともと水辺の生き物だからうれしいんだろう。

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アルバイトで廃棄をもらいアサヒレンにあげた。くんくんとにおいをかいでしゃけのムニエルに食らいついた。やっぱり魚しか食べないみたいだ。少しだけ鳥南蛮をなめたけれどやはり食べなかった。おなかがいっぱいになったのかアサヒレンは冷蔵庫に寄り添った、冷たいそれがお気に入りのようだ。

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大学、アルバイト。それだけの生活に花を添えてくれたアサヒレンの存在。自分だけの単調な生活がアサヒレンがいることによって少し楽しくなる。ベッドの下で眠っているそれを少しなでて俺は写真をフェイスブックに上げる。もちろん最初は飼い主を探すためだったけれど今じゃ観察日記のようなものだ。

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しかし、俺とアサヒレンの生活はそう長くは続かなかった。飼い主を名乗る人物からのレスポンスがとどいたのだ。

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『もしかして前足にリボンをしていませんでしたか？第二関節のあたりです』そう送ってきた人物はいなくなったアサヒレンを探しているようだった。第二関節のあたり、布が擦れたような傷。きっとこのアサヒレンで間違いなかった。アサヒレンに聞くとわからないようでベッドの下に入り込んだ。

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連絡を取ると僕はアサヒレンの引き渡しの日を決めた。アサヒレンの足はすっかり良くなっている。きっと彼のところに帰れるだろう。僕はアサヒレンの背中からしっぽまでなでる。アサヒレンはびくりとすると掌にすり寄ってきた、小型犬程度の大きさのそれはいつになく小さく見えた。

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受け渡しの日。アサヒレンをクーラーボックスの中に入れた、ビニール製のもので中に小さく切ったイカを入れてある。待ち合わせ場所にいたのは若い男性で、といっても僕よりはおそらく年上だろうけどこっちを見た瞬間駆け寄ってきてくれた。

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小さいアサヒレンの写真と彼の連絡先。谷口と名乗った彼はクーラーボックスを開けるとアサヒレンをいとも簡単に抱き上げた。 「よかった、急に脱走したからびっくりしたんよ」 そういうと彼はポケットから何かを取り出す。それは細くて赤い布のようなもので俺はとっさにその手をつかんだ。

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「アサヒレンって子の中に入ってます？」 関西の訛りで僕のクーラーボックスを指さす。そうです、というと、彼は今気づいたようにノートの切れ端を押し付けてきた。 「本当に飼い主だっていう証拠、連絡先と名前も書いといたから、気になった連絡してな、ありがとう」 僕は受け取った紙を開く。

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「あ、あの、」 「ん？どうした？」 「その…アサヒレンの足に…リボン膜のやめたほうがいいと思います…」 自信なくそういうと当たり前だが谷口さんは首をかしげて小さく笑った。 「いや、アサヒレンって似てるやろ、うちの子やからわかるようにしとかんと」 そういうとリボンをきつく結んだ。

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これでアサヒレンとは永遠の別れだ、小さく手を振るとアサヒレンはクーラーボックスから脱走を試みた。ダメだよといい聞かせてチャックを閉め谷口さんに渡す。谷口さんは礼を言ってクーラーボックスをまた送り返すから連絡先を教えてほしいといった。僕は手帳に挟んだレシートの裏に住所を書く。

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それを渡して、僕はその場を後にした。アサヒレンとの日々は楽しかった。アサヒレンはペットショップで買うととても高くて手が出せない。大きくなるからそう簡単に責任も持てない。アサヒレンは鳴かないからよかったけどうちのアパートはそもそも動物禁止だ。仕方ない、仕方のないことなのだけど。

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自宅に帰って冷凍庫を開く、沢山の買い貯めたシーフードミックスに嫌気がさして全部まとめてカレーにぶち込んだ。シーフードカレーは好きだ、アサヒレンがきてから結構食べてたなぁ、そう思いながら大きな鍋をかき混ぜる。これを食べきるのに何日かかるんだろう。何度アサヒレンを思い出すんだろう。

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悲しくなって少し泣きそうになって、僕は煮込んでいる間に風呂に入ることにした。ここも、アサヒレンとの思い出ばっかりの場所だ。思えばアサヒレンはここに来て最初に行った場所が風呂場だった。人間用のボディーソープで洗ったっけ。残されたアサヒレン用の石鹸がむなしい。

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まだあんまり使っていないけれど皮膚の弱い人間には使えない、捨てるしかない。俺は悲しくて悲しくてシャワーに紛れてこっそり泣いた。部屋が静かすぎる。アサヒレンは鳴かないけどにぎやかだった気がする。バイトで決まった言葉しか話さなくて大学では声すら出さなくて家でこんなにしゃべるなんて。