
大興寺「関羽像」について
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日本最古の関羽像と言われる京都大興寺の木像。果たして本当なのか。拝観してきた感想をまとめました d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20140…
2014-09-20 11:48:29
「同縁起云……」とあるので、このころは大興寺縁起、あるいは芝薬師縁起みたいなのが残ってたという事か。で、芝薬師縁起で検索してみたら、 @tmitsuda3594 先生がツイートしておられる
2014-09-20 14:02:55
1)古井戸秀夫「歌舞伎の『三国志』―歌舞伎十八番『関羽』から黙阿弥『三人吉三』まで」(「東京大学文学部次世代人文学開発センター研究紀要 文化交流研究」24 2011年)によると、日本において関羽の画像を初めて祀った人物が足利尊氏だとされているとのことである(典拠は『玉石雑誌』)。
2012-03-22 21:40:59
2)栗原信充『先進繍像玉石雑志(雑誌)』(『日本随筆大成』第2期第5巻 日本随筆大成刊行会 1928年)には、以下のような文章がある。
2012-03-22 21:41:49
3)「山城国愛宕郡芝薬師縁起に、尊氏卿、ある夜の夢に女来告て云、今汝に百戦百勝の術を教えん。大元国に軍神を求て信仰すべしと、霊夢の如く元朝に求むるに、王関羽将軍の像を贈らる。尊氏卿此寺の傍に安置し給ふと見えたり。」
2012-03-22 21:42:00
4)話の要旨は「足利尊氏の夢に現れた女が『百戦百勝の術を教えましょう。大元国の軍神を信仰しなさい』と告げたことから、元に求めたところ、関羽の画像を贈られた」というところであろう。実際のところはともかく、このような逸話が出来ていること自体が、大変興味深い。
2012-03-22 21:42:17
……って、出典が違う?(栗原信充『先進繍像玉石雑志(雑誌)』(『日本随筆大成』第2期第5巻 日本随筆大成刊行会 1928年)twilog.org/tmitsuda3594/d…
2014-09-20 14:03:10
@AkaNisin とすると、『先進繍像玉石雑志』は、1)『山城名勝誌』を引いた。2)芝薬師縁起の原本を引いて、どちらも正確だった。のどちらかとなりますね。後者なら、昭和初期まで「縁起」が残っていたことに。
2014-09-20 14:26:20
@AkaNisin 言っておきながら、1の可能性の方が圧倒的に高いと思うのですが、可能性が無くはないかなーと。どちらにしても、この縁起の成立までは、遡れると言うことになりそうですね。それがいつか分かりませんが
2014-09-20 15:00:04
ブログでは、関帝像が本物か偽物かってゆう二元的な話になってしまいました。でも拝観した時にひろおさんが言ってましたけど、ちゃんと考えるなら、「どの段階で関帝像とされたのか」が重要です d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20140…
2014-09-20 21:25:53
1)製作された段階、2)売買・流通した段階、3)日本に伝来した(尊氏?の)段階、4)大興寺で伝承された段階、です。どの時点から、あの木像は関羽になったのでしょうね
2014-09-20 21:26:31
僕はやはり「尊氏の時代に関羽が日本で崇拝されてた」ってとこが一番ひっかかってるので、(3)以前は可能性が低いと思うんですけどね...
2014-09-20 21:29:03
あの関羽要素がほぼ皆無の関羽像は、どう見ても少し日焼けしたフビライハンにしか見えなかったんですよねー。「これは関羽です」と言いつつ、自国の英雄であるフビライの像を贈った…とか。
2014-09-20 14:44:45
今後さらに調べるなら、まずは文献資料からのアプローチでしょうか。『山城名勝誌』に記述があったように、他の文献でも何かヒントが見つかるかも
2014-09-20 21:40:51
また、もっとたくさんの関羽像を確認してみると楽しそうです。この手の研究では王樹村編『関公百図』や李福清『関公伝説与三国演義』などありますけど、ちょっと古いかな
2014-09-20 21:48:32
また今回は美術史的なことが全然分からなかったことが残念でした。拝観した時は、みんな口々に顔がモンゴルの人っぽいとか言ってたんですけど、服飾などに詳しければその辺も一発で分かったんでしょうけどねー
2014-09-21 02:18:05