アメリカ小学1年生の「I am different(私は違う)」授業は日本でも可能?
うちの9歳児が現地校の1年生ぐらいのときに 「I am different(私は違う)」 という授業があったんですね。他のクラスメイトたちと比べて、自分が何が違うのかを紙に書いてそれぞれ発表するんです。みんな喜んでやるんですね。そして自分の違いを堂々と発表する。
2014-05-07 21:27:47アメリカ人は小さい頃から「I am different(私は違う)」みたいな授業をやってるから、自分とは違うものも認める...なんていうキレイ事は言いません。アメリカにだって差別主義者はたくさんいるし。でも同時に「みんな違ってみんないい」って本気で思ってる人もたくさんいるんです。
2014-05-07 21:28:10日本の小学校では「I am different(私は違う)」みたいな授業ってあるんでしょうか。クラスの前で他の子との違いを発表させる、みたいな。そういう授業が普通にできるようになってたらいいですよね。でも日本社会自体は未だに「私は同じです」と無理やり言わせてるように見えますけど。
2014-05-07 21:28:29日本ではあり得ない。“@nynuts: うちの9歳児が現地校の1年生ぐらいのときに 「I am different(私は違う)」 という授業があったんですね。他のクラスメイトたちと比べて、自分が何が違うのかを紙に書いてそれぞれ発表するんです。みんな喜んでやるんですね。そして自
2014-05-07 21:29:52@nynuts 全く別の機会で同じ話を聞いたことがあります。日本の小学一年生とアメリカの小学一年生の教科書内容の比較の話で(講演だったのでソース無いですすいません)、日本は「みんな同じ」、アメリカは「みんな違う」と書いてある、と。Takenagaさんが同じ話をしてて驚きました
2014-05-07 21:35:20みんなと同じでいたい気持ちと、みんなとは違う!(違っていたい!)という気持ちが交錯しているように見えますね、 #娘8歳 (ハーフ)を見ていると。 @nynuts
2014-05-07 21:36:26@mamawalker0827 @mucho @nest_yomeco @tefura @ckazmy 「私は違う」授業ですが、アメリカでは結構普通にやってると思います。この国は小1からそういう姿勢なんですね。ただ、それだけやっても差別主義者はいっぱいいますけど。そこが悩ましい。
2014-05-07 21:51:40@mucho @nynuts 横から失礼します。ここ香港のインターでも同じですよ。幼稚園から「一人ひとり違う」と学びます。昨今増えてきた国際バカロレアの小学校ではテーマの一つが「Who we are」ですから。私の娘も4歳で手や足の大きさをクラスメイトと比べたりしてましたよ。
2014-05-07 21:53:05@nynuts @mamawalker0827 @mucho @nest_yomeco @tefura 差別は家庭で育まれます。親が差別的発言、行動をしていたら、たいていなります。それを上回る教育をするか、自分でおかしいと気づく素養のある人間でない限り。
2014-05-07 21:58:31.@ckazmy @nynuts 「みんなと同じでいたい気持ちとみんなとは違っていたい気持ち」が同時に存在するのは、例えば流行の発生における心理にみられます。誰もが持ち得る感覚です。でも日本人は傾向として、かなり顕著に「みんなと同じ」志向があるようです。
2014-05-07 21:58:44“@heandisay: @nynuts 『みんなと同じになりたい』と『自分だけ目立ちたくはない』は同義なのでしょうか。同じになれというより、出る杭になるなを推奨しているのかなと感じました。” めちゃくちゃ共感します。 実際、その通りだと思います。
2014-05-07 22:17:36@nynuts あなたは私とは違うからあなたを認めない。ってなるんですかねぇ?差別主義者。違う事を知って相手も自分自身も認めるってとこが肝心なのに、違う事を知って溝が深まるって事もありそうな気もしますね…
2014-05-07 22:00:05@nynuts 自分を抑圧して人の顔色を伺う人はすごーく多いと思いますココ日本。自己肯定感を育てる環境がもっと整ったら、子供はもっとのびのびと好きなことにきらきら目を輝かせられるのになぁと、自己肯定感が低くて苦労した大人は思います。
2014-05-07 22:10:16“@eri_maga: @nynuts 自分を抑圧して人の顔色を伺う人はすごーく多いと思いますココ日本。自己肯定感を育てる環境がもっと整ったら、子供はもっとのびのびと好きなことにきらきら目を輝かせられるのになぁと、自己肯定感が低くて苦労した大人は思います。” 私も正にこれです。
2014-05-08 01:50:40@nynuts 『みんなと同じになりたい』と『自分だけ目立ちたくはない』は同義なのでしょうか。同じになれというより、出る杭になるなを推奨しているのかなと感じました。
2014-05-07 22:13:10@nynuts 「私は違う」けれども、子どものときから米国国旗の元では団結みたいなところもありますね。国旗と国歌だけでなく、メジャーの球場でGod Bless Americaを観客が歌っているのを見るとそう思います。
2014-05-07 22:21:14実際に違っているんだし、みんな違っていていいと思います。自分との違いを肯定するでも否定するでも無く、ただその存在を認める姿勢が好きです。@nynuts アメリカにだって差別主義者はたくさんいるし。でも同時に「みんな違ってみんないい」って本気で思ってる人もたくさんいるんです。
2014-05-07 22:54:37@nynuts どこの国でも差別主義者は沢山いるけど、米のある種の楽天的というか脳天気さが私にとっては楽です。網目の幅が緩い感じと言えばいいのか。
2014-05-07 23:00:28@nynuts @May_Roma 人と違うことをすると、目立つと、噂になったり、嫉妬やら、色々な感情がまとわりつくような、そんなお国柄のような・・個性を出しちゃいけないのか?と。私は、私です。ではなく、羊になりましょう。って感じがします。ネットなどで見る芸能ニュースなども
2014-05-07 23:08:45@nynuts 人と違う意見を述べるのがつらくて、スペインの語学学校で泣いてしまった日本人留学生がいました。先に<違う>と言える、あえて先に言わない、どちらもレスペクトされていい文化では?どちらも、気負うことなくフラットにできたら…と思います。
2014-05-07 23:16:27@yingtianyou @nynuts @808Towns 昔教わっていたスペイン人教授は、まず他人はどう思うだろう、と考える日本人の思いやりが好ましいと言われました。<みんないっしょで、みんな違う>、かつてスペインであった、人種差別への抗議のスローガンでした。
2014-05-07 23:25:36@nynuts わたしは違う、どこが違うのか、何が違うのか、他の人に伝えられることは、とても大切だと思います。自分の考えをきちんと言えることが、だいじなのですよね。国によって人と同じ、というほうが勇気の必要なところもあります。スペインがそうでした。
2014-05-07 23:29:23はい〜w RT @nynuts: @May_Roma めいろまさん、いつも連発RTありがとうございます。ところでイギリスでは「I am different(私は違う)」授業みたいなのってあるんでしょうか。機会がありましたら、メルマガのほうででもぜひ教えてください。
2014-05-07 23:27:50