#鳳翔の艦娘講座 番外編 ~ 川西~新明和大型飛行艇編 ~

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鳳翔 @Housyou_kankore

そうですね、折角の休日ですし、少し時間もありますから…(ぱらぱらと資料をめくる

2014-04-29 16:59:50
鳳翔 @Housyou_kankore

それでは、皆さんイベント海域を攻略している所かと思いますが、その合間にでもお聞き下さい。 本日は久しぶりに、 #鳳翔の艦娘講座 番外編と参りましょう。 久しぶりの番外編のお題は、以前リクエストを頂いた項目から、「『川西→新明和』の大型飛行艇史」についてです。

2014-04-29 17:01:52
鳳翔 @Housyou_kankore

大型飛行艇の歴史を語るには、それを開発した会社のお話にも触れておきたい所ですね。 と云う事でまずは川西航空機と云う会社についてお話したいと思います。

2014-04-29 17:03:38
鳳翔 @Housyou_kankore

川西飛行機はかつて存在して居た航空機メーカーです。 日本屈指の航空機制作会社で、特に水上機に定評がありました。 その為、海運と密接に結びつきがありましたが、実は会社設立の経緯などは、中島や三菱と云った航空機会社とはちょっと異なる物でした。

2014-04-29 17:05:26
鳳翔 @Housyou_kankore

と云いますのも、創業者の川西清兵衛さんと云う御方は、飛行機のひの字も知らない、神戸にある石炭石油問屋さんだったと云うお話です。 その問屋さんに婿養子として入った川西清兵衛さんは、商才がおありになったのでお店を大いに繁盛させますが、それに足らずに多種多様な業種に展開をします。

2014-04-29 17:09:09
鳳翔 @Housyou_kankore

様々な業種で成功を収めた川西清兵衛さんが次に目を向けたのが、まだ聡明期だった飛行機産業でした。 当時、海軍を退役した中島知久平大尉が飛行機会社を興すと云う事で、川西さんも出資しないかと誘われて、「飛行機面白そう」と云う事で出資する事に腹を決めたそうです。

2014-04-29 17:12:30
鳳翔 @Housyou_kankore

当時はまだ海の物とも山の物とも付かない飛行機と云う代物。これに大金を出資する財界人は非常に希でしたが、ここで二人の提携が行われる形で、中島飛行機製作所改め、「合資会社日本飛行機製作所」が設立されました。 こうして民間初の航空機制作会社が始動をします。しますが…

2014-04-29 17:17:26
鳳翔 @Housyou_kankore

余談ですが、実はこの会社の前に赤羽飛行機と云う航空機制作会社が設立されていたのですが、3年で倒産して居ます。 さて、設立した会社ですが、中島式トラクター一型一号機と呼ばれた事実上の1号機は、離陸直後に墜落大破。 2号機、3号機は離陸すら出来ずじまいと云う状態。

2014-04-29 17:19:56
鳳翔 @Housyou_kankore

丁度世の中はインフレが蔓延していた時期(大正7年)。 工場のあった町では「紙幣(さつ)はだぶつく、お米はあがる。あがらないぞい中島飛行機」等と揶揄される始末。 それにもめげず開発は継続をされ、ついに大正8年2月、中島式4型を制作します。

2014-04-29 17:22:20
鳳翔 @Housyou_kankore

4型は同年10月に行われた東京・大阪間往復郵便飛行に参加をして、一等賞を取ります。 これを知った陸軍から一挙に20機の発注が来まして、制作されたのが「中島式五型陸軍偵察機」でした。 日本の陸海軍が民間航空機制作会社に発注をしたのは、これが初めてとなります。

2014-04-29 17:23:57
鳳翔 @Housyou_kankore

やや傾き駆けてた経営がこれで安定する、と思ったのもつかの間。 社長の川西さんに無断で、中島さんはアメリカからエンジンを100基買い付ける契約を結んでしまいます。 それを知った川西さんは中島さんを説得しますが、中島さんは応じません。

2014-04-29 17:26:13
鳳翔 @Housyou_kankore

色々もめた結果、川西さんは中島さんを解雇しようと画策。 3日後までに工場を12万円(当時の金額)で買い取ってくれ。でないと君を解雇する、と云うやりとりをしたのですが、3日後、何と中島さんはその大金を準備。結果、会社から追い出されたのは川西さんの方でした。

2014-04-29 17:27:32
鳳翔 @Housyou_kankore

とまあそんな訳で、1920年(大正9年)、川西さんは川西機械製作所を神戸に設立。川西さんに付いてきてくれた技術者の方達と航空機制作事業に取りかかります。 1928年(昭和3年)にはそこから飛行機制作部門が独立、川西航空機となる訳です。

2014-04-29 17:32:17
鳳翔 @Housyou_kankore

当初はイギリスのショート・ブラザース社と契約してライセンス生産に近い事を行っていましたが、やがて自社生産を行っていく事になります。 工場は1930年に、現在の兵庫県西宮市付近にありました武庫郡鳴尾村付近に移転。軍需村として規模が大きくなります。

2014-04-29 17:37:29
鳳翔 @Housyou_kankore

運送の為の鉄道も引かれ、これは後に阪神武庫川線となります。 とまあ、大ざっぱにはこんな感じの経歴をもつ川西航空機です。 さて、そんな余談からようやく本題、飛行艇の歴史です。

2014-04-29 17:39:07
鳳翔 @Housyou_kankore

1929年、海軍の指示で提携会社のショート・ブラザース社に設計を依頼、生産をされたのが「九〇式飛行艇」です。 これは広海軍工廠と川西で平行して制作され、広海軍工廠製が1号、川西製が2号と呼ばれています。 1号はテスト結果が不調で試作のみで終わります。

2014-04-29 17:46:41
鳳翔 @Housyou_kankore

一方川西の2号は3発複葉の飛行艇で、テスト結果は良好、特に航続距離が良好とされ、1932年に「九〇式二号飛行艇 H3K1」として制式採用をされます。 ショート社の1機と川西4機の合わせて5機が生産をされましたが、1938年までに破損損失などの消耗を含め全機退役をして居ます。

2014-04-29 17:49:25
鳳翔 @Housyou_kankore

九〇式二号飛行艇の諸元ですが。 全長20.50m、全幅31.05m、全高8.7m、全備重量15000kg、速力225km/h、航続時間9時間。 武装7.7mm旋回銃4丁、爆弾1t、を装備して居ました。

2014-04-29 17:51:45
鳳翔 @Housyou_kankore

そして、この成功に自信を得た川西は、九七式飛行艇の開発に繋げていく訳です。 海軍軍縮条約により海軍休日に入った結果、海軍は航空戦力の拡大で艦の劣勢を補おうと考えました。

2014-04-29 17:57:25
鳳翔 @Housyou_kankore

特に信託統治領とされた南洋諸島は軍事施設の設置が禁止されていましたが、飛行艇を活用して米海軍に対抗する事を企図して居ました。 こうして、海軍は川西に八試大型飛行艇の開発を指示。設計とモックアップを行い、研究を行っていた所、海軍から九試大型飛行艇の開発が指示されました。

2014-04-29 17:58:48
鳳翔 @Housyou_kankore

当時海軍はアメリカで民間航空機として開発されたシコルスキーS-42、米海軍のP2Y-1に大きく刺激をされ、これらの性能を上回る飛行艇として九試大型飛行艇を発注しました。 こうして開発をされたのが、九七式飛行艇です。

2014-04-29 18:01:08
鳳翔 @Housyou_kankore

九七式飛行艇は、純国産としては初の4発飛行艇として開発をされまして、太平洋戦争初期の段階に於いて長距離偵察、爆撃、雷撃、輸送などに活躍をしました。 ただし、爆撃や雷撃はあまり成功せず、逆に損害が大きかった為対潜哨戒や長距離偵察をメイン任務として割り当てられていきます。

2014-04-29 18:04:22
鳳翔 @Housyou_kankore

ただし大戦中期以降は、低速な事と装甲が貧弱な事が災いをして被害が増えて行き、後方の任務に回る事になります。但し、機体が大きい事もあって空襲時は格好の的になってしまい、ここでも消耗をしていきます。 最終的に、終戦時に残存していた機体は5機のみでした。

2014-04-29 18:07:03
鳳翔 @Housyou_kankore

しかしながら終戦後も講和公使を乗せて緑十字飛行に従事したり、台湾への現金輸送、離島への医薬品輸送に従事するなど、海軍の最後まで活躍した機体となりました。

2014-04-29 18:08:08
鳳翔 @Housyou_kankore

また九七式飛行艇は、一部が民間航空路用の民間輸送機としても運用をされてます。 これらには愛称として「黒潮、朝潮、曙、潮、漣、綾波、磯波、浦波、叢雲、白雲、巻雲、夕雲、東雲、朝凪」と何処かで聞いた事のある愛称が付けられていました。 多分駆逐艦の娘達とは関係無いですよね?ふふっ

2014-04-29 18:11:00
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