マンガなどに描かれているキャラクター(この原稿では「ひだまりスケッチ」のゆのが例に出てくる)について、「かわいい」という時、目が大きいとか鼻が小さいとかいった絵のデフォルメからそう判断しているだろうが、それでキャラクターそのものがかわいいと言えるのか、と
2014-05-10 10:51:05目が大きいとか鼻が小さいといったのは、あくまでデフォルメであって、本当にそのキャラクター自身が、あの目の大きさだったりするわけじゃないだろう、と。つまり、キャラクターの本当の見た目なるものは分からない。だったら、「そのキャラクターがかわいい」なんてことも言えないのではないか、と
2014-05-10 10:53:47ここ最近、akadaさんがブログで紹介していた、描写の哲学、マンガの哲学、フィクションの哲学の各論文も言及されている。というか、この原稿書くために読んでた諸論文が、ブログで紹介されていたのだろう。というわけで、その辺りの近年の議論も分かる原稿
2014-05-10 10:57:02高田論文は最後、補足的に、分量としては短いけれど、伊藤剛「キャラ」概念との接続も行っている。高田のいう「分離された内容」と「キャラ」というのが、近いかもしれない、と
2014-05-10 11:17:25そこでは、「キャラ」という言葉が多義的で、図像のことと登場人物のこととが混同されがちになっているのはよくない、と指摘されていて、それは確かに一方ではその通りだと思うが、その混同はもう少し整理できるような気もする
2014-05-10 11:19:42「分離された内容」というのはあくまでも図像の性質であって対象の性質ではない。だから、作品内で真面目に言及されることはない。言及すると、メタフィクション的な表現になってしまう、というのが高田論文
2014-05-10 11:21:35一方、伊藤の耳男論(マンガのおばけ論)って、その「分離された内容」にあたる性質が、単に図像の性質でなく、対象の性質となっていることについて論じている
2014-05-10 11:24:14メタフィクショナルに扱われるのではなくて、伊藤いうところの「亜人間」という登場人物のあり方として、「分離された内容」にあたる性質がうまく利用されているのが耳男であり、マンガのキャラ表現なのだ、みたいな話だったと理解している
2014-05-10 11:27:05「キャラ/キャラクター」という対ばかり注目されるけど、「マンガのおばけ/うさぎのおばけ」という対こそが重要だと個人的には思っている。ただ、この2つの対がどういう関係にあるのかっていうのが、ややっこしくて、分かりにくい。
2014-05-10 11:29:56「キャラ」という言葉が多義的に見えるのはこのあたりのせいかも。図像の性質と対象の性質は分けて考えましょう、というのはその通り。ところが、ある種のマンガでは図像の性質を対象も持っているように描かれていることがある。これが「マンガのおばけ」。ここで、図像の問題と対象の問題がつながる
2014-05-10 11:32:18で、完全に対象側(登場人物のあり方)の問題である「亜人間」というテーマがなんで日本のマンガで繰り返し出てくるかといえば、「マンガのおばけ」という表現が使われていたから
2014-05-10 11:35:16で、「マンガのおばけ」によって繋がった、図像側の特徴(と、対象側の特徴を、何故かどっちも「キャラ」と呼んでしまったので、「キャラ」という言葉に多義性が生じて、図像の話してんのか対象の話してんのかわかんねーよ、となってしまったのかなあ、と
2014-05-10 11:36:52対象側のことは、「亜人間」とだけ呼んで「キャラ」と呼ばなければよかったのかもしれないが、「亜人間」と「キャラ」を同義語として置き換えて使っているところがあった、ように思う
2014-05-10 11:37:56あと、もうだいぶテキトーなこというけど、「マンガのおばけ」的な屈折がなんでおこるかっていうと、それが、高田論文にでてくる、現実の所作と虚構的所作を関係づけるルールなんじゃねーの、と
2014-05-10 11:45:23