《(プロメテウスの罠)不安を消せ!:2 長崎の経験生かして》改
- karitoshi2011
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0改 まとめを作る 連載(プロメテウスの罠)不安を消せ!:2 長崎の経験生かして 2014年5月9日 ◇No.913 http://t.co/jCKbxJmTDJ (以下記事の紹介)
2014-05-11 14:15:571改 2011年3月18日夕方。福島県立医大で、約300人の職員に、この日到着した長崎大学教授 山下俊一氏は「避難した人の被曝線量は微々たるもの。 私たちが来た理由は、住民に安心と安全を話すため」と語った。
2014-05-11 14:16:232改 東京電力福島原子力発電所事故発生から1週間後のこの日、山下俊一氏は、師弟関係にある長崎大学教授 高村昇氏とともに、福島県に到着したばかりだった。
2014-05-11 14:16:463改 山下氏の言葉「自信を持って大丈夫だ、心配いらん。子どもが外で遊んでおろうが、この子らが(将来の)日本を支えるんだと思えば、放射線なんてのは絶対打ち勝つことができると思ってます」
2014-05-11 14:17:144改 25分の講演後、司会が「まだ安心できない人、いたら手を上げて」と言うと、会場に笑いが起きた。その中で、1歳の子どもを持つ母親でもある職員が「原発でどんなことが起きたら危ないと考えれば良いのか」質問した。
2014-05-11 14:17:355改 「僕も(立場が)逆だったら子どもを連れて逃げるかもしれない。これは理性(の問題)ではないんですね、感性なんですね」と山下俊一氏は答えた。
2014-05-11 14:17:517改 放射能は人間の感覚器官で感じ取ることができない。避難するかどうかの判断には、専門的知識を持つ山下俊一氏ら専門家の発言が重要だった。
2014-05-11 14:18:548改 事故発生直後、政府は「念の為の措置」と称して、徐々に避難範囲を(同心円状に)拡大してきた。一方で「ただちに人体に影響を与える数値ではない」などと繰り返してきた。山下氏は3月13日に長崎新聞の取材を受けていた。
2014-05-11 14:19:119改 「広島、長崎の地名が持つインパクトは大きく、それを安心安全に使いたい」(14日付長崎新聞) 長崎での被曝医療経験者という経験を説得力として、福島の人々の不安解消に役立てようという考えだった。
2014-05-11 14:19:3210改 しかし、山下氏が取材に答えた3月13日の時点では、原発付近を除いて、各地の放射線量はほとんど公表されていなかった。それでなぜ「安心」と考えたのか。記者は昨年11月下旬、山下氏らへの取材を長崎大学の広報担当に申し入れた。(上丸洋一記者)
2014-05-11 14:19:5211 以下は感想、確認等。 山下俊一氏は2011年3月18日に福島県立医大に到着した。 時系列的な話は次の回に出ているので、ここでは詳しく触れない。 山下俊一氏が語った言葉と、客観的事実との齟齬を見る。
2014-05-10 23:58:5712 3月18日に山下氏が福島県立医大に来る前に、かなりの汚染を受けた井戸川克隆双葉町長(当時)が12日に県立医大に来て検査を受けている。14日に3号機爆発で負傷した1人が福島県立医大に搬送された際には、WBCを含む計測機器が汚染されて使用不能になったと言われる。
2014-05-10 23:59:1713 また、3月15日に到着した長崎大学からの先遣隊が、福島県立医大敷地内で50μSv/hの空間線量を記録して、山下俊一氏に報告している。 以上を重ね合わせると、「避難者の被曝線量は微々たるもの」という山下俊一氏の言葉は、事実に反している。
2014-05-10 23:59:4614 その山下俊一氏の「被曝は微々たる物」発言に、誰も異論を挟まなかったとすれば、福島県立医大のスタッフはあまりの極限状況に、論理的思考能力を低下させていたのではないかと思う。であっても、状況から考えると無理からぬ話であり、問題は虚偽を語る側にある。
2014-05-11 00:00:0915 その後山下俊一氏が語ったとされる内容は、要するに精神論だけであった。 「自信」とか「理性ではなく感性」とか、「科学」を捨てたとしか思えない言葉の羅列だ。 その真意は不明だ。
2014-05-11 00:00:44