主にお菓子っ子さんと地雷魚さんの劉家陣営の話
- jonathanohn
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今回も六合さんの朱桓と孫家に関する話から
朱桓と陸遜が横並びで上がっていくのを見ると、孫権の幕府に仕えたことのある朱桓も士官の時に孫権直属で、丹楊付近に駐屯してそうな気はする。
2014-05-10 22:41:01県令やった後、孫権と長い間しゃべる時間が取れる以上は孫権の近くにいることが考えられる。士官として兵を率いるなら近い駐屯地にいるのだろうし、それならば直属だったのだろう。当初はブレーン的役割を期待したわけではなく、同じような立場の人と陸遜は横並びだったと思う。
2014-05-10 22:53:18@sidenp 破綻を隠そうともしない朱桓よりは陸遜のほうがまだましですねwただ、上司に嫌われると昇進しづらいでしょうから、若いうちは隠してたかもしれませんね。陸遜はともかく、朱桓がいい子って全く想像できませんけども。
2014-05-10 22:55:03@Rieg__Goh 朱桓は全琮絡みのエピソード見る限り、破綻を上回るだけの強みがあったんだろうなとは思いますけどねー。どっかのトレーズ様みたいな記述もあって、部下思いだったというイメージを持っている人も多いでしょうし。社稷の臣さんにはそういう記述ないですけど
2014-05-10 23:12:53@sidenp 確かに。その破綻が孫権自身に向いたら首が離れてたでしょうけど、孫権から見たらよく懐く猛獣みたいな感じはあったかもしれませんね。兵も強いし、将軍としては使える人と思われてたのでしょう。
2014-05-10 23:17:23@Rieg__Goh 家柄こそ良くても、朱桓は孫権子飼いや甘寧のような一代限りの猛将のようなキャラクターという印象もありますしね。孫権の懐刀である胡綜を殺そうとした後でもああいう扱いをされてるという事や陳寿評を考えると、プライドは高くても忠誠は疑われていなかったんでしょうね。
2014-05-10 23:21:18@sidenp 完全にそっち系なんですよね。名家なのに戦争好きという鬼子で、孫権の夢に同調する感じも。胡綜エピソードが有耶無耶にされたのも忠誠心の賜物なんでしょうね。朱氏だからってのも勿論あるでしょうけど。
2014-05-10 23:26:42孫権のヒゲさわさわエピソードなどからしても、孫権は陸遜と朱桓に側近として頑張って欲しかったのかもしれないなあ。まあ、社稷の臣と狂犬という扱いづらさ抜群の二人と後で判明しますけどもw
2014-05-10 23:32:31朱桓は呉の不良将軍と同系統に見え、到底良家のお坊ちゃんとは思えない。地元でやくざみたいな感じで幅を利かせる豪族は世の中沢山いたし、朱桓もそっち系だったんだろうか。
2014-05-10 23:02:41@sweets_street 厳助と厳虎みたいな例もあるので、中央に官僚を出せず、地方止まりになったのかなと。孫堅の出自に関して石井仁先生の論文を読んだ所、孫堅の先祖に前漢で太守というのがいたので、似たようなことが考えられるのではとおもっています。
2014-05-10 23:14:31@Rieg__Goh 孫堅の従子の孫香は呉郡の功曹、甥の孫賁は督郵、守長(郡が任命する県長代行。功曹の上席)を経験してるから、呉郡孫氏は普通に孝廉出しててもおかしくない家かと
2014-05-10 23:16:46.@Rieg__Goh 三国時代の武将の家で一般的に寒門ってイメージのある家が実は名門、名門ってイメージのある家が実は寒門ってよく有ることですね
2014-05-10 23:22:13@Golden_hamster @Rieg__Goh そこまで遡らなくても、河間の鄚県の張氏は名門ですよ。安帝の司空で立伝されている張敏を出しています
2014-05-10 23:27:45@sweets_street ほんと決めつけはいけないなと思いました。お菓子っ子さんから伺った「虚心坦懐に読め」というのは常に心がけています。「孫堅も劉備も寒門」って決めつけてかかると何も見えてこないとは感じられるようになりました。ね。
2014-05-10 23:30:05