テレメンタリー2014 福島第二原発の“奇跡”~メルトダウンを食い止めろ~

なぜ、第二原発では第一原発のようなメルトダウンや水素爆発が起きなかったのか? (当時の第二原発所長、増田尚宏氏の証言から)
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地震。そして予想を超える津波。

まど🙋DBS @mama_jp

録画したテレメンタリー。メルトダウンまで紙一重だった福島第二原発について。福島第一原発からの直線距離は12km。地震発生時、床が抜けるかと思う程の大きな揺れ。原子炉は自動停止。当初、津波は3mの予想。実際の津波は推定9m。敷地内で18mに。免震重要棟辺りまで駆け上がってきた。

2014-05-12 08:51:51
まど🙋DBS @mama_jp

増田所長の下で原子炉の運転式を執っていた三嶋運転管理部長(当時)「何で12mの所まで水がきているんだ。これは大変なことになると覚悟をしました」。津波に襲われても建屋は浸水しないと考えていた。増田所長(当時)「実際には津波はがれきを運んでくる。扉に当たって変形し、室内に水が入る

2014-05-12 08:55:06
まど🙋DBS @mama_jp

撮影スタッフ「(建屋の浸水は)正直想定外だった?」 増田所長「私は考えてなかった」 海水熱交換器建屋。増田所長「2m50cmくらいの水が入りまして、完全にポンプモーターは水に浸かった。ここのポンプが壊れると原子炉から出てくる熱を奪えなくなる。原子炉が冷やせなくなる

2014-05-12 08:59:36
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当時、アメリカは日本からの情報が得られず焦燥感。国務省日本部長(当時)ラスト・デミング「東京電力からの情報が不足しており、困惑していた。日本政府も指揮を執る人間が誰もいなかった。アメリカ政府はいらだちを感じていた」アメリカは状況把握の為にNRCのチャールズ・カストーを日本に派遣。

2014-05-12 09:03:02

メルトダウンの可能性。

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ー福島第二原発のメルトダウンの可能性は? チャールズ・カストー「原子炉が損傷する可能性がありました。大事故は起こり得たのです」 三嶋運転管理部長(当時)「このままいくと、1日後かそれ以降に、格納容器の設計圧力に達する可能性があるな、と。復旧するには1日の余裕もない、と」

2014-05-12 09:06:27
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アメリカは事態を固唾を飲んで見守った。311深夜NRC職員のメール 「我々は排気筒や冷却水から放射性物質の放出の可能性があるか監視を続ける」 なかでも1号機の原子炉建屋は、吸気口から海水が流れ込み、地下に置かれた非常用ディーゼル発電機まで浸水。事態は深刻だった

2014-05-12 09:10:12
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増田所長「1号機はディーゼル発電機が3台とも使えなかった。冷やす機能がなくなってしまった」 ー厳しい状況? 増田「本当に厳しい状況だったと思います」 3月12日早朝。1号機の圧力抑制室の温度は100℃を突破。菅総理「原子力緊急事態宣言」を発令。

2014-05-12 09:13:44
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福山官房長官(当時)「12日の時点で、圧力抑制機能が喪失と報告もきてるから、第二原発も非常に厳しい状況」 午前7時45分。政府は第二原発に半径3km圏内の住民に避難、10km圏内の住民に屋内退避を指示。 増田「退避の原因は格納容器の圧力が上昇。ベントの可能性があったのは1号機」

2014-05-12 09:19:33
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三嶋「ベントは誰もやったことがなかった。是が非でも回避しなくてはならないと、対応していた誰もの頭にあった」 12日午後3時36分福島第一原発1号機で水素爆発。 増田「なんとなく振動を感じて後ろを振り向くと、テレビで爆発シーンが見えて。なぜ爆発したのかその時には理解できなかった」

2014-05-12 09:22:28
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ラスト・デミング「第一原発が水素爆発を起こした時に、第二原発にも非常に不安を感じた。コントロール不能になってしまうのではないかと心配した」 水素爆発の危険性は第一原発だけではなかった。第二原発でもベントを実行せざるを得ないのか。

2014-05-12 09:28:55
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NRCチャールズ・カストー「格納容器の圧力が限界に達する脅威。ベント作業が必要。しかし、放射能を拡散させる可能性もあり、懸念していました」 第二原発にはわずかな希望。被災した外部電源4回線のうち1回線は生き残っていた。唯一残った1回線は炉心を冷却する建屋には繋がってなかった。

2014-05-12 09:44:55
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ー電源がない? 三嶋「冷却機能に供給する電源がもうなくなった」 増田「モーターは取り替えれば動くが 電気を持ってくる必要があった。どこから電源ケーブルを引こうかと」

2014-05-12 09:49:23

危機管理マニュアルにない対策に踏み切る。

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そして、危機管理マニュアルにない想定外の行動に踏み切る。 増田「遠い建物だったが『廃棄物処理建屋からケーブルを引け』というような具体的な指示」 唯一残った外部電源を冷却機能を持つ建屋に繋ごうと。距離は800m。 増田「みんなが一緒になって人海戦術でケーブルを担ぎながら引いていく」

2014-05-12 09:52:20
まど🙋DBS @mama_jp

増田所長はまず、水没した建屋のモーターの交換を指示。建屋に電源ケーブルを繋ぐため、200人もの作業員を動員。 増田「2m間隔くらいで皆が担いでですね。延々と800mの距離を運んでくれました」

2014-05-12 09:57:47
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14日午前11時1分。第一原発3号機水素爆発。 増田「モニターで見ても何が起こったんだろうと正直思いました」 三嶋「第二原発を冷温停止に導かなければもっと大変な事になると皆が思いましたんで」 第一は全電源喪失。 増田「監視と操作をやっていくためには電気がないと動かないのが殆ど」

2014-05-12 10:02:03
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第一原発吉田所長「だから流量計も信じられないし」「水位計がおかしいのではないか、という前提で」 第一では計器が機能しない事態に。 増田「中央制御室というのは、監視と操作というのが非常に大事な二つの役割。それができなかった福島第一としっかりできた福島第二では大きな差があった」

2014-05-12 10:06:38
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福島第二原発の中央制御室は停電を免れた為、原子炉の状態を計器類で確認しながら冷静に対処できた。だが、メルトダウンまで一刻の猶予もないのは、第一原発と同じ。冷却機能の復旧作戦は困難を極めた。

2014-05-12 10:10:10
まど🙋DBS @mama_jp

レイク・バレット「第一原発が爆発した中、ケーブルを準備し、人海戦術で引く作業は困難だったでしょう。彼らは何トンものケーブルを運び、暗闇の中繋ごうとした。難しい挑戦でした」 電源から建屋までの距離は800mだが、幾重にも張り巡らせる必要があった。ケーブルの総延長はその10倍以上。

2014-05-12 10:14:03
まど🙋DBS @mama_jp

増田「そんな長いケーブルを結局は9kmも引いた、と。こんなのは普通では考えられない。このケーブルを引かない限りは冷やす機能は生き返らない、というのは皆理解はしてくれました」

2014-05-12 10:27:37
まど🙋DBS @mama_jp

3月13日。ケーブル設置の現場にいた宮澤さん。 ー機械ではなく手で引くしかなかった? 宮澤「資機材が調達できなかったので手で引くしかなかった」 通常なら、機械で1ヶ月かかる作業をわずか一日で成し遂げなくてはならない

2014-05-12 10:33:10
まど🙋DBS @mama_jp

これは、作業の合間の光景。 http://t.co/B2xAU0z6tD

2014-05-12 10:34:03
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宮澤「(芝生をぐるっと指差し)この辺りで皆さん寝転んで休憩していました。50人くらいいたと思います。私も皆さんも徹夜で頑張っていたので」 その間も、格納容器の圧力は高まり続け、メルトダウンの危機は迫っていた。ベントまで残された時間はわずか。

2014-05-12 10:39:46