美学校トークセッション事前会議 岸野雄一×佐藤直樹×細馬宏通
5/16(金)19:00からは美学校にて、岸野雄一×佐藤直樹×細馬宏通による連続トークセッション「何ものにもなりたくない。名付けようのないものになりたい。」美術、映像と音との関係をぐいぐい掘り下げていきます。 http://t.co/EFgj1AJnbV
2014-05-09 12:40:17@kaerusan @naokisatoasyl 16日の美学校トークセッションですが、何話しましょうか?ツイッターで公開で事前会議しませんか? まず、前回は何を話したか?ですが、座頭市開眼と、偽札は見分けられるのに、なぜイメージで描写できないか? あたりが鮮烈に残ってます。
2014-05-09 18:33:39座頭市開眼の話ってどういう文脈で出たんでしたっけ… @KishinoYUICHI @kaerusan 16日の美学校トーク…まず、前回は何を話したか?ですが、座頭市開眼と、偽札は見分けられるのに、なぜイメージで描写できないか?… http://t.co/wEqAdlYg3k
2014-05-09 19:03:39@naokisatoasyl @KishinoYUICHI 開眼の前の触知的描写も話題にあがってましたね。見えないということを見せる、というのはテーマの一つだったかもしれません。その関連で、円朝の「心眼」の話もしました。 http://t.co/HB7nEq0XrY
2014-05-09 20:21:24@kaerusan @KishinoYUICHI 像はどこにあるのか。外的な事物を見分けているメカニズム。内的な視覚像の構築というもの。それからrepresentation。そこらへんをもう少し整理したいです。発端は「弱い知覚」としての「記憶」の話でした。像と音の記憶の質の違い。
2014-05-09 23:18:56@naokisatoasyl @kaerusan 整理しますと、今、記憶だけを頼りに1000円札の図版を紙に描いてみろ、と言われても、正確に出来る人はいないであろう。1000という数字がいくつ出てくるのか?等。だが、なぜ偽札はスグに、ちょっと変だぞ?と認識できるのか?
2014-05-10 01:21:16@naokisatoasyl @kaerusan それと勅使河原監督によるTV版「座頭市」の最終話のハイライトシーンを観て、分析を行いました。この回は本当に傑作なのですが、きちんと評価の俎上に載ったことがありません。座頭市の目が開いたら途端に弱くなりバッサリ斬られてしまう。
2014-05-10 01:25:02@KishinoYUICHI @naokisatoasyl そこから浮かび上がってくるのは、「われわれはモノを記憶しているというよりは、モノとの関係を記憶しているのではないか」ということで、では、モノなしでわれわれの頭に浮かび上がる「モノとの関係」とはいかなる像か、ですね。
2014-05-10 01:28:16@KishinoYUICHI @naokisatoasyl してみるとこの問題は、「頭の中にある曲」が実際に聞き直してみると違っている、という、先のドミューンで出てきた問題とも連関しているように思います。
2014-05-10 01:29:02@KishinoYUICHI @naokisatoasyl 座頭市は、「見る」というということを、普段自分が体感しているできごとの陰画として空想しようとしており、それがわれわれの無自覚な「見る」とは、体ががくがくするほどのレベルで異なっていて、そこが衝撃的だったのかなと。
2014-05-10 01:34:22@kaerusan @naokisatoasyl ドミューンで出た話題ともつながっていきますね。ぜひその辺も掘り下げましょう。さらに前提となる「薄い記憶」については、このまとめサイトにまとめてありました。http://t.co/5NPxtjQ9KS
2014-05-10 01:42:04@KishinoYUICHI @kaerusan デッサンや模写のようなことは昔から美術のトレーニングとしてよくされてきたわけですが「見たまま」という表現にはトリックが潜んでいます。で最近試してみているのは見た後すぐに描かず「内的な再現だけする」ことで。これ全然違うことなんです。
2014-05-10 01:50:03@KishinoYUICHI @kaerusan 現代の写実的な漫画は、いちど写真に撮ってからそれを模写する場合が多いが、吾妻ひでお先生の失踪日記の、雪の日の場面は、記憶だけを頼りに描いているので感動的、という話に繋がった。 http://t.co/K5u6To4YH5
2014-05-10 02:13:24大きい問題です。@KishinoYUICHI @kaerusan 現代の写実的な漫画は、いちど写真に撮ってからそれを模写する場合が多いが、吾妻ひでお先生の失踪日記の、雪の日の場面は、記憶だけを頼りに描いているので感動的、という話に繋… http://t.co/UBfv5l6AKj
2014-05-10 02:19:37@KishinoYUICHI @naokisatoasyl だんだん見えてきましたね。記録媒体の精度があがったからといって、頭のほうを記録媒体に近づけることに執着すると、実は表現が貧しくなっていく。頭で思い出すということが持っている可能性。それを、「裏をとる」作業と区別すること。
2014-05-10 03:15:39@KishinoYUICHI @naokisatoasyl 映像と音を併せ持つ映画について考える場合には、「映像と音とが実際にどのような関係にあったか」ということと「頭の中で映像と音とがどうつながって想起されるか」ということとの距離も、考察の対象に入ってきそうです。
2014-05-10 03:17:52@kaerusan @KishinoYUICHI 大変興味深いです。生西くんの「おかえりなさいうた」では像が強く喚起されます。他方、視覚は音を喚起できるのでしょうか。過去に何度か音の夢を見ましたが夢はだいたい視覚的ですよね。言語も伴いますが。で言語には音声があったりなかったり。
2014-05-10 03:34:45@kaerusan @KishinoYUICHI あと今回はぜひ印象派の絵画の話もしたいのです。印象派の登場はじつのところ大いなる謎なのではないのではないか。誰もそこをちゃんと問題にしていない気がするのです。これこれを契機にこういう流れが出て来たという説明がされてきただけで。
2014-05-10 03:46:57@naokisatoasyl @KishinoYUICHI 内言って、声に出して言うより速いですよね。音楽も、頭で鳴らすと速く再生される。あれ、単なる早回しじゃなくて、音が変性してるんじゃないかしらん。
2014-05-10 03:47:59@naokisatoasyl @kaerusan 対談の3日前までは広げるだけ広げ、飛躍できるまで飛躍していきましょう。そこから絞り込んで、何を俎上に載せるか、分析対象の事例として何を用いるか、どのような分析法を採るかなどを精査していきましょう。方向はぶれていないと思います。
2014-05-10 03:49:03@naokisatoasyl @kaerusan 印象派以前の、2次元に落とし込む際に生じる無理を、技術でなんとかしてしまった経緯も読み解きたいですね。脳内で音楽を再生する際に生じる変性もキーポイントですね。音楽が作られる際の、脳内の見取り図、完成予想図との参照も。
2014-05-10 03:56:28そこぜひ。@KishinoYUICHI @kaerusan 印象派以前の、2次元に落とし込む際に生じる無理を、技術でなんとかしてしまった経緯も読み解きたいですね。脳内で音楽を再生する際に生じる変性もキーポイントですね。音楽が作られる際の、脳内の見取り図、完成予想図との参照も。
2014-05-10 04:01:33賛成です。@KishinoYUICHI @kaerusan 対談の3日前までは広げるだけ広げ、飛躍できるまで飛躍していきましょう。そこから絞り込んで、何を俎上に載せるか、分析対象の事例として何を用いるか、どのような分析法を採るかなどを精査していきましょう。方向はぶれていないと思…
2014-05-10 04:02:44@KishinoYUICHI @kaerusan 「印象派の登場はじつのところ大いなる謎なのではないか」と書こうとしたつもりが変な日本語になってました。で、「印象派以前の、2次元に落とし込む際に生じる無理を、技術でなんとかしてしまった経緯」にも、ポイントはいくつかありそうです。
2014-05-10 23:45:30