落語『柳田格之進』と「業の肯定」と
娘が吉原で客を取らずに済んだ「文七元結」はまだ良いが完全に身を沈めてしまった「柳田格之進」はどうも苦手だ。どんなに落語家さんが大団円にしようと努力しても娘が吉原に出た時点で幸福な結末にはどうしてもならないように感じる。あと女性はこの手の根多をどんな気持ちで聴いているのか知りたい。
2014-05-15 22:57:15まず「柳田格之進」という話自体が、談志師匠中興期のポリシー「業の肯定」を現わす噺の一つであること。そして、志の輔師匠の演出は、悪役を消してハッピーエンドにしたことで「肯定」する部分を強調したと私は理解しています。
2014-05-15 23:15:11喬太郎師匠の「宮戸川・下」を聴いた時はその奈落に吸われるような闇とその深さに観ていてうめく事しか出来なかった。自分の恋女房を凌辱した張本人から直に詳細を聴かされる(しかも心底楽しそうに!)くだりが圧巻。喬太郎師匠はこういった「人間の闇の深さ」の描写力が物凄い。冷徹な狂気を感じる。
2014-05-15 23:21:44(承前)実際に、原作となる講談では、吉原に沈められた娘はのちに沈めた原因となる番頭に嫁ぎ、万屋を継いでいくハッピーエンドになっている。嫉妬から相手を不幸にさせた「業」を格之進が「肯定」する。その報いとして、登場人物に良い終焉を用意する。これが創作における「業の肯定」である。
2014-05-15 23:21:46@inoueshin56 @madeshi 志の輔師匠の演出では、番頭が格之進に懺悔するシーンがあるんです「主人を取られて嫉妬していた。柳田様に疑いを向けたのは魔が差したからだから、私を斬ってくれ」と。
2014-05-15 23:23:40(承前)だが、世の中は性善説で済む話ではない。ただ人を貶めるためだけに生きている、いわゆる「吐き気を催すような邪悪」は現実にいくらでも存在する。その現実をあくまでもありのまま見た上で肯定するのか、「悪い人なんて誰もいないんだ。」と肯定するのでは、天と地の開きがある
2014-05-15 23:26:17そう、志の輔師匠が徹底して「ファミリー向け」、誤解を恐れぬなら「優等生」なのに対して、喬太郎師匠が「ロック」というか冷徹な方向に向いてるのすごく面白いですよね。「キョンキョン」を自称していた前振りがあるからこそできるとも言えるあの感じ。
2014-05-15 23:27:02