マグロ・サンダーボルト #1
重金属酸性雨に濡れる灰色の電脳メガロシティ、ネオサイタマ。そこには、無数のスリリングな犯罪が息づく。誰もが違法行為と無縁ではいられない。郊外との境界線、パンキチ・ディストリクトの一角……このビルの地階にある雑然とした「トラタ・ハリマナカの運動機器とビデオの店」も例外ではない。 1
2014-05-15 12:41:15この二本柱で生計を立てるのは困難だったため、トラタ=サンはここで、密かに電脳麻薬や銃などの違法物品を販売している。「腹筋」「サンドバッグ」「安い」……ネオンカンバンが火花を散らす。ヤクザスラックスに無造作に拳銃を差し込んだ男がストリートを歩いてきた。彼は入口ドアに手をかけた。 2
2014-05-15 12:49:50男の名はアベ。まだ若く、地位はレッサーヤクザとグレーターヤクザの中間にある。彼は通りのオイラン・バーガーで目の保養をした後、化学的なワサビ・バーガーを買い、それをかじりながらやってきた。所属するヤクザクラン「サムライヘルム・オブ・デス」のために、ミカジメを取り立てに来たのだ。 3
2014-05-15 12:54:49アベのヤクザクランは地域密着型の堅実なビジネスを営んでおり、違法物品を流したり、庇護を約束する代わりに、定期的にカネを取り立てる。ネットワークとIRCが地表を覆い尽くした今でもなお、古参のヤクザクランは、江戸時代から続くこうしたフェイス・トゥ・フェイスの関係構築を尊ぶのだ。 4
2014-05-15 13:01:36「なあに、チョロい仕事だ」アベは心の中で独りごちた。この街で彼のヤクザクランに楯突く奴などいない。命を賭けたやりとりが生じるのは、外敵との抗争時、あるいはミカジメ客が切羽詰まった時だ。そんな時はたいてい兆候がある。兆候が見えたらクラン内に抱えた専門のトラブル解決屋に引き継ぐ。 5
2014-05-15 13:07:06アベは見通しの悪い店内を歩きながらふと将来を考えた。いずれは自分も、そのようなミッションを任されるだろう。危険だが、ソンケイを獲得するためだ。ソンケイは非常に難しい概念だ。目に見えない秘密のゲームスコアめいたものであり、テクノ・タントラ業者たちのカルマポイント制にも似ている。 6
2014-05-15 13:10:57すなわち、殺人ミッション等をこなし、ソンケイをたくさん獲得することで、クラン内の地位が上がる。すると、より偉大なドスダガーやサカズキを授かる事ができる。またソンケイをたくさん積んだグレーターヤクザは、内側からオーラめいた威厳を放つとさえいわれる。「まあ、俺もいつかは、な……」 7
2014-05-15 13:16:57だが、アベがソンケイを積む絶好の機会は、思ったより速くやってきた!彼が来店する数分前、潜水ヘルメットを連想させる揃いのサイバーヘルムと鉄パイプで武装した無軌道ヨタモノ四人が強盗に入り、トラタ=サンを脅していたからだ!「銃をよこせ!」「即座に銃をよこせ!」「アイエエエエエエ!」 8
2014-05-15 13:22:43彼らは、互いのサイバーヘルムや生体LAN端子を揃いの蛍光色LANケーブルによって直結したテクノギャング団の一種、サイバーチェインギャングである!「カネもよこせ!」「即座にカネもよこせ!」「アイエエエエエエ!」彼らは並列直結した人数分だけ自我が増大し、気が大きく、危険な存在だ! 9
2014-05-15 13:28:09「ガキどもザッケンナコラー!」BLAM!アベは大口径チャカ・ガンを1発、天井に向け発砲した。そして危険なヤクザスラングを店内に響き渡らせた。「ここがサムライヘルム・オブ・デス・クランの支配領域だと知ってんのかコラー!地の果てまで追い回して全員タマ・リバーに沈めるぞコラー!」 10
2014-05-15 13:36:23「「「「アイエッ!」」」」潜水ヘルムが彼を見た。不穏な静寂。IRC相談中。「今すぐ街から出てけ。そしたら見逃してやる。店で殺したら死体処理が面倒臭えんだッコラー!」「スミマセン!」「即座に出て行きます!」彼らはオジギし、去勢された犬めいて出口へ向かう。ソンケイの為せる技だ。 11
2014-05-15 13:45:19「ケッ、根性無しの他所モンが……」アベは銃を再びスラックスに無造作に差し込み、ワサビ・バーガーをかじり直した。「ありがてえ、助かったぜ、アベ=サン」サイバーサングラスをかけたトラタが立ち上がり、礼を言う。「商売だからな。で、そっちの商売はどうだよ?」「芳しくねえな」とトラタ。12
2014-05-15 13:55:05「ハーン……。まあ久々に会ったし、商売の話は少し後回しにしようぜ。腹ごしらえも済ませてえ。あんたも、倒れた木人を直したり、閉店中カンバンを立てたり、色々あるだろ?」「ああ、そりゃそうだ」「じゃあ何かジュースあるか?オイラン・バーガーのセットは割高でよ」アベは和やかに笑った。 13
2014-05-15 13:58:38アベは供されたジンジャーエールのバリキドリンク割りを飲みながら、店内の製品を物珍しそうに見てまわる。「俺が店に来るなんざ、何年振りだ」「2年……?」「2年ねえ……」ワサビ・バーガーを胃に流し込み終わり、あとはジュースだけだ。「木人、この新しいの、殴ってみていいか?」「勿論」 14
2014-05-15 14:08:13木人に何発か軽くカラテした後、アベはまた勿体ぶるようにコップを持ち、ジュースを飲みながら、肩をいからせて店内を歩いた。客はもういない。アベはルームランナーを見つけ、その前でしゃがみ込む。「ルームランナーか。俺はルームランナーを見ると感傷的な気分になっちまうんだ」「何でだい」 15
2014-05-15 14:15:38「コンセプトが怖いだろ。終わりが無い。無限に走り続けるってのが、怖いんだよ。ルームランナーを見てると、いつも俺はマグロのことを考えちまうんだ」アベはサングラスを外し、まじまじと機器を見た。「マグロだって?一体どういう事なんだ、アベ=サン。ヤクザのあんたが怖いだなんて」 16
2014-05-15 14:20:41「マグロってのは、面白い魚なんだ。スシの原料になるだけじゃねえ。神秘的ストーリーがある」アベが言った。店内のBGMはちょうど、旧世紀の軽快なブギーへと切り変わった。「聞かせてもらえるかい」「ならちょっと、メン・タイくれよ」「お易い御用だ!」トラタはレジから錠剤を取ってきた。 17
2014-05-15 14:28:54トラタとアベは、レジ前のトレーニング相談テーブルに向かい合って座った。「知ってるか、あいつらいつも口を開けっ放しで泳ぐんだぜ」アベは巻き紙を舐めながらマグロについて語った。「その位、俺でも知ってるよ。よく立体カンバンで見るからな」冗談はやめてくれ、といった顔でトラタが笑う。 18
2014-05-15 14:35:05「待てよ、ここからが大事なんだぜトラタ=サン。マグロが口を開けっ放しで泳ぐ理由はな…あいつら、口を開けながら泳がないと、窒息して死んじまうんだ」アベは錠剤を手際良く砕き、タバコと混ぜながら語った。「そんな、まさか」トラタが笑う。「アベ=サン、じゃあマグロはいつ寝るんだよ!」 19
2014-05-15 14:39:27だがアベは笑わない。ジョークではなかった。トラタは自重するように口元を引き締めた。「泳ぎながら寝るらしいぜ」アベは粉と乾燥葉を混ぜた巻き紙をスティック状に丸め、咥えて火を点けた。「あいつら一生、時速100キロだかで泳ぎ続けるんだとよ。泳ぎ出したら止まらねえ。止まれねえのさ」 20
2014-05-15 14:48:30