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2014年5月21日

倫理や政治の問題が「科学の問題」として語られることへの違和感について。

渡邊先生のtweetをまとめました。
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渡邊芳之 @ynabe39

「科学ではあるという証拠がなければないと考える」ということと「科学ではないという証明はできない」ということを都合よく使い分けてしまうのはうまくないと思う。

2014-05-21 03:57:49
渡邊芳之 @ynabe39

「ある」という人には「あるという証拠がない以上ないと証明されたと同然」と言いながら「ない証明をしろ」と言われると「科学ではない証明はできないことも知らないのかw」というのはさすがにおかしいと思う。

2014-05-21 03:58:07
セノにゃん @ceno_sougou

@ynabe39 「証明」に関する2つの話は、「後者である→なので、代わりに→前者とする」という風に繋がっています。前者は後者を踏まえてより深く踏み込んでいるだけで、矛盾する態度ではないと思います。

2014-05-21 04:38:28
渡邊芳之 @ynabe39

科学の問題でなく「倫理の問題」あるいは「人の道の問題」としてある結論が出ていることに「科学」が側面的に支持を与えていて、その倫理を破るものを排除するために科学が用いられているのだと思う。

2014-05-21 04:02:04
渡邊芳之 @ynabe39

科学的に間違っているから言ってはいけないのではなく、そういうことを言うのは人の道に反しているから言ってはいけないということであって、ただ現代は「科学の時代」だから倫理に「科学的にも間違っている」ということが根拠として付け加えられるのだろう。

2014-05-21 04:06:35
渡邊芳之 @ynabe39

そうは言いつつ、いくら科学的に正しくても「人の道に反すること」はやはり受け入れられないだろうとは思う。ただその「人の道」の判断にも科学が大きく影響するのも「科学の時代」だとは思う。

2014-05-21 04:09:57
渡邊芳之 @ynabe39

「科学的に間違ったことを主張するのは人の道に反する」のであればずいぶんいろんなことが人の道に反してしまうので、やはりそうはなっていない(科学以前に人の道がある)のだろうと思う。

2014-05-21 04:12:54
渡邊芳之 @ynabe39

「人の道に反する」と思われるものが(たまたま)「非科学的」であったから皆が科学を援用してそれを批判するので、非科学的でも人の道に反さなければ誰も批判しないし、科学的でも人の道に反するなら科学以外の根拠を用いて批判されるだろう。

2014-05-21 04:16:14
渡邊芳之 @ynabe39

倫理の問題、あるいは(人々の幸せを実現するという意味での)政治の問題としては「大多数の意見」にほとんどまったく異論がないのだけど、それが「科学の問題」として語られるのにはずっと違和感がある。

2014-05-21 04:22:38
渡邊芳之 @ynabe39

「科学的に間違っている」から怒っている人などもともと誰もいないので、「人の道に反している」から怒っている、ただその「人の道に反する」という判断を根拠づけたり側面から支持するのに、問題によっては科学が援用される場合がある、ということだと思う。

2014-05-21 04:27:57
渡邊芳之 @ynabe39

「(それに)科学的に(も)間違っている」。

2014-05-21 04:39:07
渡邊芳之 @ynabe39

@ceno_sougou それは常にセットでないといけないと思うんですよ。私が気になったのは「あるという証拠がないからないんだ」という論理で相手を説得していたのが、相手が「ない証拠を出せ」と言ったら急に「科学ではない証明はできないことも知らないのか」と言い出すようなことです。

2014-05-21 04:43:42
riffraff 🌒 リフラフ @riffraff_n

@ynabe39 横からすみません、つまり「ない証拠を出せ」と言われたとしても「あるという証拠がないことがない証拠だ」と言うしかない、ということでしょうか。

2014-05-21 04:47:55
渡邊芳之 @ynabe39

@riffraff_n 「科学では」そうです。科学以外では「ない証拠」を出すことができる場合もあります。

2014-05-21 04:48:52
渡邊芳之 @ynabe39

「危険がない証拠を出せ」というのが「安心」の論理で、安心は科学の問題ではない。しかし政治の問題や倫理の問題としては「安心」を提供すべき時はあるし、じっさい政治はそれをしようとする。

2014-05-21 04:51:11
渡邊芳之 @ynabe39

じっさい社会の現実的な問題については科学者も「安心を提供する」ために「おおよそ、ない証拠とみなせるもの」を提示することは多いのであって、その時科学者は「科学そのもの」からは一歩外に踏み出している。

2014-05-21 04:53:47
渡邊芳之 @ynabe39

科学の外の世界では「ない証明」が、おおよそ皆が受け入れる形でできることはあるし、じっさいしばしば行われている。

2014-05-21 04:55:11
渡邊芳之 @ynabe39

「安心」を実現するには科学を超えた政治的な判断が必要で、そうした判断が行われることにはなんら異論はないのだけど、その領域に属することまで「科学の問題」として語られることに違和感があるのだと思うが、いっぽうでそれこそが「科学の時代」なのだとも思う。

2014-05-21 05:02:08
bed @bedrag

@ynabe39 すいません軽くですが読ませていただいて私観として「そこまでこだわる必要はどこにあるんだろう?」と想いました。 一般の方はあまり意識せずに科学者の見識も受け入れるだろうし政治に対して安心?も求めていると想います。 共通認識には勉強しないと分からないことだと感じた。

2014-05-21 05:01:56
渡邊芳之 @ynabe39

いやそれはそれでいいんです。

2014-05-21 05:03:19
rmsi_isng @rmsi_isng

@ynabe39 そこには三重の政治性があって、(1)線引き行為:科学によって導き出されたリスク計算に線引きをして「安心だ」と判断すること、

2014-05-21 05:17:16
rmsi_isng @rmsi_isng

@ynabe39 (2)前提維持についての仮定:価額がリスク計算を導き出すときに前提とする(とりわけヒューマンファクターや組織の機能などの)諸条件が未来永劫保たれると仮定すること、(3)コミュニケーション戦略:「1、2」を時には「科学の言葉」も動員して説得的に伝えようとすること

2014-05-21 05:19:59
渡邊芳之 @ynabe39

BSEの全頭検査なんて獣医学者や疫学者からは「科学的に無意味で金のムダ」だと批判されたしそれは事実そうなのだが、あの時点で「安心の提供」のためにそれをやった政治的判断自体は正しかったと自分は思っている。

2014-05-21 05:15:26
渡邊芳之 @ynabe39

ただ「安心のための政治的判断」を分析的に考えることはそれ自体が「安心」を台無しにしかねないから政治からは嫌われるしやるほうも最大限に慎重でないといけない。

2014-05-21 05:22:30
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