「午前0時の小説ラジオ」・「労働と地獄」

「午前0時の小説ラジオ」・「労働と地獄」
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高橋源一郎 @takagengen

本日の予告編1・また間が空いてしまったけれど、今晩、久しぶりに「午前0時の小説ラジオ」をやります。テーマは尖閣……ではなく「労働」です。ぼくのゼミでも、就活で苦労している学生が多い。なかなか決まらない者、就活をやめてフリーターで行くことを決めた者、決まったけれどなお悩んでいる者。

2010-11-07 22:47:30
高橋源一郎 @takagengen

予告編2・悩んだあげく、ついには「働くことの意味」を考えるに至る者。それは正しい悩みだと思います。そのことを今晩は考えてみることにします。材料として、(ちょうど文庫の解説を書いたばかりの)『遭難フリーター』という本を使ってみるつもりです。

2010-11-07 22:49:59
高橋源一郎 @takagengen

予告編3・この本は、当時23歳だったフリーターの映画青年が、「派遣社員」として一年間、キャノンの工場で働いた記録です。ぼくのゼミ生徒にとっても他人事とはいえない出来事の中で、「労働」の本質が見えてきます。それは、誰にとっても他人事ではないのかもしれません。それでは、午前0時に。

2010-11-07 22:53:51
高橋源一郎 @takagengen

「午前0時の小説ラジオ」・「労働と地獄」1・こんなタイトルをつけた理由は、読んでいただければわかると思う。さっきタイトルをあげた『遭難フリーター』の著者は、工場に派遣社員として勤め始めて、「地獄」を見る。それは、「非熟練・単純労働」者が見る「地獄」だ。彼はこんな風に書いている。

2010-11-08 00:00:23
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」2・「地獄だ。翌日。朝八時から一〇時まで直立で同じ作業。一〇分の休憩を挟み、一二時まで作業。四〇分の休憩。一五に一〇分休憩。一七時に作業終了。インクタンクを並べて電流を流したり、酢コンブみたいな小さなフタを何百個もハメ続けたり、文字通りの単純肉体労働に従事した……」

2010-11-08 00:03:36
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」3・「…地獄だ。やっと工場労働というものを知った気がする。何なんだこの徒労感は。製品をポンポン産み出す歯車の一つとして、思考力なんか微塵も必要とせず、同じ作業を繰り返せるだけの健常な肉体がここでは求められている。地獄だ。足も腰も痛くなってくるが、それ以上に……」

2010-11-08 00:06:07
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」4・「…『俺じゃなくてもできるじゃん』という虚しさが、仕事へのテンションをグイグイ下げる。あーつまんねえ。この重く辛い『惰性』に耐えうるには、強靱な精神力を持つか、そもそも精神性なんざ捨て肉体だけの反復ロボットになるか、そのどちらかしかないように思う……」

2010-11-08 00:08:22
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」5・「毎日、同一のスケジュールで疲れだけが蓄積していく。目が覚めたときの憂鬱感が日に日に増していく。狂ってるよ、こんなことのために生きてるんじゃない。でも、これが普通。俺だけ特別にこんな苦行を与えられてるんじゃないかと被害妄想もしてしまうが、みんなこうして生きてる」

2010-11-08 00:11:13
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」6・「もっと仕事に忙殺されている人なんて山ほどいる。ただ、それでもなお、自分の被害者意識を強調するなら、工場ではまったく会話がない。音楽もない。直立し続けるための足と腰と、物を掴むための腕と、ボタンを押すための視力だけがあればいい。それだけを動かしていればいい…」

2010-11-08 00:13:17
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」7・「ほかの器官はまったく必要ない。だから、飽きる。気味悪くなるくらいに同じ作業。しかもプリンターが作られる全工程なんて知らない。インクタンクに流路フタをくっつけることしか知らない。それ以上の知識はいらない。そして、最悪なことに、俺はその作業にすっかりなれてきてる」

2010-11-08 00:15:38
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」8・現代の典型的な「派遣」労働者の正直な感想がここにはある。そして、こんな「非熟練・単純労働」の現場の「地獄」からの報告はずっと昔からあった。「ああ野麦峠」や「女工哀史」、エンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」、新しいところでは鎌田慧の『自動車絶望工場』。

2010-11-08 00:19:10
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」9・そんなレポートに対して、いつも起こる批判は、およそ二つに分けられる。鎌田慧が1972年、トヨタ自動車の生産ライン(ベルトコンベアー)に潜り込んで書いた『自動車絶望工場』への批判がその典型だ。同じ時期、トヨタに勤めていた、漫画家いしかわじゅんの批判はこうだ。

2010-11-08 00:23:14
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」10・「誇りを持ち、創意工夫をして働いている労働者もたくさんいた」と彼はいった。「地獄」ではない、ある意味では「天国」だと。もう一つも、やはり「地獄」ではないという批判だ。もっと悪い条件で働いてる労働者は山ほどいる、彼らに比べたら、「天国」にいるようなものだ、と。

2010-11-08 00:25:59
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」11・いったい、「非熟練・単純労働」者が働く工場は、「地獄」なのだろうか、それとも「天国」なのだろうか。実は、鎌田慧がトヨタの自動車工場で働いていた1972年、偶然、ぼくもまた、自動車工場(日産)で季節労働者として働いた。3カ月間×3、合わせて9カ月の間だ。

2010-11-08 00:29:17
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」12・そこでの感想をひとことでいうなら「地獄」というしかないだろう。だが、それは、肉体的な苦痛のせいではない(もっと苦しい労働はたくさんある)。また、想像されるような、精神的な苦痛のせいだと単純にいうこともできない。もっと別の種類の苦しみが、そこにはあったのである。

2010-11-08 00:31:42
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」13・1934年、フランスの優れた哲学者であり、極めつけのエリートでもあったシモーヌ・ヴェイユは思い立って、「非熟練・単純労働」の世界に一年間飛び込む(最初は機械工場、後に、自動車工場!)。その記録が、有名な「工場日記」だ。その中で、ヴェイユは次のように書いている。

2010-11-08 00:34:14
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」14・「ひどい疲れのために、わたしがなぜこうして工場に身をおいているのかという本当の理由を忘れてしまうことがある。こういう生活がもたらすもっともつよい誘惑に、わたしもまた、ほとんどうちかつことができないようになった。それは、もはや考えることをしないという誘惑である」

2010-11-08 00:36:38
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」15・「それだけが苦しまずにすむ、ただ一つの、唯一の方法なのだ。ただ土曜の午後と日曜日にだけ、わたしにも思い出や、思考の断片が戻ってくる。このわたしもまた、考える存在であったことを思い出す」

2010-11-08 00:38:14
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」16・そこが「地獄」であるのは、「考えること」が苦痛であるからだ。ヴェイユは別の箇所で「不幸の第一の結果は思考が逃亡を欲しているということである。思考はみずからを傷つける不幸を眺めることを欲しない」と書いた。では、なぜ考えることが苦痛になり、みずからを傷つけるのか。

2010-11-08 00:42:48
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」17・ぼくが自動車工場に勤めていた頃のもっとも鮮烈な思い出は、ぼくのような季節工ではなく、本工(正社員)のものだ。知り合いになった二十代(ローンで車を買っていた)と三十代(ローンで家を買っていた)は、ぼくが辞めるというと、(別々に)、でも異口同音にこういったのだ。

2010-11-08 00:45:15
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」18・「いいよな、おまえは辞めることができて。おれは辞めることもできない」。彼らの口癖はこうだった。「早く定年にならないかな。それだけが楽しみだね。それまで、目をつぶって、耳を閉じて働くよ」。それは、三十年も先の話だったのだが。

2010-11-08 00:48:23
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」19・「非熟練・単純労働」の恐ろしさは、まず、そこに意味が見いだせないことにある。それから、その反復がいつまでも継続されることにある。そして、なにより、恐ろしいのは、それを担う人間が精神を持っていること、考えてしまうことだ。だが、そのような場所で何を考えればいいのか

2010-11-08 00:51:22
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」20・いやもっと恐ろしいことがあった。時間が流れないのである。工場の中での時間は驚くほどゆっくり流れる。もう1時間はたっただろうと思って時計を見る。でも、実際には10分しかたってはいない。時間は異様に引き延ばされている。

2010-11-08 00:54:30
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」21・毎日が、耐えられぬほど「長い1日」なのに、振り返ると、ほとんどそこには何もない。一瞬のうちに過ぎたように思える。それはちょうど、楽しい時間、充実した経験をする時、時間はあっという間にたってしまうのに、振り返るとひどく長い時間を過ごした気になる。正反対なのだ。

2010-11-08 00:57:26
高橋源一郎 @takagengen

「労働と地獄」22・ぼくは、自動車工場を含めおよそ2年の工場生活を終えて、「土方」を始めた。その時の気分はよく覚えている。「地獄」から「天国」にたどり着いたような気分だった。なにより、考えることができることようになったことが嬉しかった。肉体的な苦痛は問題にもならなかったのだ。

2010-11-08 01:01:42