Source criticism

なんか最近、軍オタも史料批判の技法を学ぶべきだみたいな話題があったので。
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酔鏡仙@ @suikyosen

湯船に浸かりながら私なりの戦記史料論あれこれ考えたのでちょっとまとめてみる

2014-05-24 21:16:34
酔鏡仙@ @suikyosen

まず、そもそも「戦記」とは何ぞや?という定義の問題。これは色々あると思うけど、ここでつまづいてちゃ話が進まないから、とりあえず“戦争に関する実録”、特に「実際に戦場ないし戦場に準ずる環境を体験した者が自らの見聞に基づいて物語った個人的体験談を文書化したもの」とお茶濁しておく。

2014-05-24 21:23:35
酔鏡仙@ @suikyosen

で、この「戦記」を歴史学的資料(史料)として扱う場合、どんなことに注意しなければならないか?という史料論的な問題。これはどんな文献史料にも言える事だが、その文献は、いつ、誰が、どこで、何について叙述し、どのような形で発表したか、という書誌情報を可能な限り集める必要がある。

2014-05-24 21:30:16
酔鏡仙@ @suikyosen

つまり文献の出自・素性を改める作業だが何故これが必要かと言えば、出自や素性のはっきりしない文献は史料として使えない、という歴史学上のルールがあるためだ。何故そんなルールがあるかと言えば、平たく言えば偽書、即ちニセモノやデタラメを掴まないようにするための防衛策である。

2014-05-24 21:35:44
酔鏡仙@ @suikyosen

これはある文献を史料として取り上げる時に最も神経使う部分で、如何にもそれらしいブツが実は誰かが何らかの目的ででっち上げた如何にもそれらしく見せかけたニセモノだった、という事例は今でも後を絶たない。特に「通説を覆す新しい史料だ!」なんて魅力的な宣伝文句には、まず要注意である。

2014-05-24 21:42:26
酔鏡仙@ @suikyosen

話を進めると、こういう慎重な作業をクリアしてめでたく氏素性がはっきりした文献にも次なる関門が待っている。文献の記述内容の真偽を明らかにし、その文献が真実史料として信用できるかどうか?という試験である。今回の主役である「戦記」の場合、ここで引っかかる事が非常に多い。

2014-05-24 21:47:26
酔鏡仙@ @suikyosen

というのは、先に定義したように「戦記」とは「個人的体験談」を語るもので、ゆえにその記述はおおむね筆者の“主観”によって書かれる場合が大抵であるからだ。身も蓋もなく言ってしまえば、筆者の個人的体験が主体である以上、その記述を客観的に“事実”として証明する手段が存在しないのである。

2014-05-24 21:52:51
酔鏡仙@ @suikyosen

では、個人の主観で書かれているから「戦記」は全く信用できないのか?と言えば、勿論そうではない。文献aの記述内容が、全く別の人物によって書かれた文献bやcの記述と合致しており、いずれも矛盾がないと判断されたならそれは大抵“事実”として扱われる。めでたしめでたし…… とはならない。

2014-05-24 21:57:52
酔鏡仙@ @suikyosen

めでたしめでたしとなるのは、文献a/b/cが互いを参照し合って口裏合わせて矛盾無きよう叙述されたものではない、と証明された場合に限っての事である。aが先行し、bやcはaの記述を参照・利用して書かれたものであったなら、それは残念ながら信頼性の一段低い記述として扱われる事になる。

2014-05-24 22:04:19
酔鏡仙@ @suikyosen

繰り返すが「戦記」そのものを全く信用の置けない文献群だと言っているわけではない。要するに「戦記」とは筆者の主観的な視点で書かれた文献であるから、中には客観的な事実証明が出来ない記述も多々存在している、という事である。それを充分留意した上でなら「戦記」を史料として扱えるのだ。

2014-05-24 22:09:51
酔鏡仙@ @suikyosen

※注釈 先に述べた、文献の氏素性を明らかにする作業を、歴史学用語では史料の「外的批判」という。対して、次に述べた、史料の記述内容の真偽を明らかにする作業を、史料の「内的批判」という。ここでいう「批判」とは英語の“critique”の翻訳で、一般的な意味での批判とはやや異なる。

2014-05-24 22:16:21
酔鏡仙@ @suikyosen

ここまでの流れで「戦記」を史料として扱う場合の注意点を、私が依拠する歴史学、特に“実証史学”と呼ばれる歴史学の一分野の視点から述べてきた。で、次は歴史学から少し離れて、民俗学、或いは文化人類学の視点から「戦記」について考えてみる。

2014-05-24 22:20:50
酔鏡仙@ @suikyosen

今更言うまでもなく日本の近代民俗学は柳田國男の研究以来、既に100年以上が経つわけだが、その長い年月の間に色々な方法論が生み出されて今日に至る。その全貌を語っていたら切りがないから、ここでは柳田以来の最も根幹的な部分に依拠しながら述べる。

2014-05-24 22:25:43
酔鏡仙@ @suikyosen

柳田國男の代表作と言えば、東方でも元ネタの一つとしてよく挙がる『遠野物語』がある。岩手県遠野地方に分布する伝承や民話、伝説を採集し文章化した文献だが、これには「戦記」と通じる要素が幾つか含まれている。即ち、柳田が遠野で採集した伝承とは、個人により語られた“証言”だという点である。

2014-05-24 22:34:44
酔鏡仙@ @suikyosen

伝承とは勿論人間を介在して伝えられた物語である。ゆえに、伝えられる過程で話の一部ないし全部が改変されたり、或いは時代の移ろいに合わせてその時代に即した、元の原型とは異なる結末や解釈が加えられる事もまま見られる。「桃太郎」や「浦島太郎」などの昔話を思い浮かべて頂ければよいだろう。

2014-05-24 22:44:54
酔鏡仙@ @suikyosen

柳田が遠野で採集した伝承とは、あくまでも柳田が採集した時点で伝えられた形の伝承である。その伝承が『遠野物語』以前の、100年前や200年前に語られた形そのままを留めているとは限らないし、その証明は著しく困難である。ここに民俗学的な伝承研究の難しさがある。

2014-05-24 22:50:23
酔鏡仙@ @suikyosen

民俗学が直面した伝承研究の難しさは、個人の主観で構成された「戦記」にも通じる問題である。戦記を叙述した筆者が人間であり、彼の個人的体験、即ち“記憶”に基づく以上は勘違いや記憶違い、更には意図的な改竄や脚色、虚構などが含まれる可能性を否定しきれないのだ。

2014-05-24 22:57:30
酔鏡仙@ @suikyosen

だからこそ複数人による文献、或いは証言を突き合わせての内的批判が必要になるわけだが、何度も述べるように「戦記」の主たる部分が個人的体験に依拠する以上、その事実証明は困難である事が多い。柳田も伝承研究において同様の問題に突き当たり、彼は生涯これを完全に解決できないまま世を去った。

2014-05-24 23:04:59
酔鏡仙@ @suikyosen

あれこれと述べてきてヤッパリムズカシイネという身も蓋もない結論に至ってしまったが、これ以上の展望がないわけでもない。そもそも「戦記」の歴史学的、民俗学的研究はアカデミズムで殆ど手がつけられていないフロンティアであり、今後より洗練された方法論が生み出される余地は幾らでもある。

2014-05-24 23:09:04
酔鏡仙@ @suikyosen

先立って出来ることは、殆ど読み物として消費され埋没するばかりの「戦記」を掘り起こし、批判的整理を加えた上でこれを歴史研究の現場で活用するための環境作りであろう。最近の艦これの流行がきっかけで大井篤の『海上護衛戦』が再版されるなど、気運の高まりは明らかである。

2014-05-24 23:13:53
酔鏡仙@ @suikyosen

それから、今日のTLを賑わせていたように、まだまだ日本人(特に中高年層)の軍事アレルギーとも言うべき拒否反応の多さは否定し難いものがある。しかし戦後70年近くが経ち、時代も世代も移ろいつつある現代で、あの戦争やその時代への関心や興味が拡がることは一歴史家として心底より歓迎したい。

2014-05-24 23:19:25
酔鏡仙@ @suikyosen

まあそういうわけで、私がお風呂でつらつら考えたことをざっくばらんに並べ立てた。今かの「戦記」と格闘繰り広げておられる高坂流氏はじめ、これから「戦記」を読まれるTLの方々に何らかの参考となれば幸いである。以上、お目汚し失礼いたしました…

2014-05-24 23:24:27