緋色の珈琲#2

旅人のイスルは、緋色の珈琲という不思議な飲み物を探してはるばる旅をしてきました。しかし見つけた店は少し変わっていて……。小説アカウント @decay_world で公開したファンタジー小説です。この話は#4まで続きます
減衰世界
rikumo 748view 1コメント
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  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 17:12:52
    (前回までのあらすじ:旅人のイスルは珍しい珈琲、緋色の珈琲を求めてミス市の旧市街地へと足を運んだ。そこにあったのは、新装開店したという店と店長のレミウェ。彼女は珈琲を入れている間、新作のパイを食べないかと言ってきた)
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 17:19:55
    「夕陽のパイというのですよ」 レミウェはにこりと笑ってそのお菓子の名前を告げた。夕陽のパイ……不思議な名前だ。イスルは夕陽には深い思い入れがあった。だからこそ、そのパイの名前が気になってしょうがなかった。値段も普通のパイと変わらない。 33
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 17:24:24
    「どんなパイなんです?」「とても甘いパイなんです。シロップが溶けたような、それでいてかぼちゃのパイのような食べ応えがあります。是非注文してみてくださいね」 「ああ、じゃあ頼もうかな」 「30分ほどで焼き上がりますよ」 34
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 17:28:51
     そう言ってレミウェは厨房の奥へ引っ込んでしまった。また店内に静寂が戻り、静かな音楽だけが流れている。イスルはルーレットのおもちゃを再び回し始めた。特に意味は無いが、変わらない店内を見ているよりはいいだろう。 35
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 17:31:58
     窓の外はすでに夕暮れになりつつあった。夕陽が窓の向こうに見える。イスルは夕陽を見ると思い出すことがある。昔好きだった娘と夕暮れまで遊んでいた記憶。あの日もこんな真っ赤な夕陽だった。あの日若いイスルと娘は夕陽の中二人でいた。 36
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 17:36:14
     二人は些細なことで喧嘩してしまった。あの日の娘はどこか変だった。その理由を知ったのは休日が明けてからの学校でのことだった。娘は遠くの地へと引っ越してしまったことを知った。彼女は頭がよく、都会のもっと優秀な学校へ転校したらしい。 37
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 17:42:17
     イスルは落第生に近いような成績で、そんな学校など縁もなかった。そうして、彼はそのまま学校を卒業し、もう彼女と会うことはなかった。そんなことを、いつも夕陽を見るたび思い出すのだ。日はいつか必ず沈む。その短い時間だけ日が差したような記憶だった。 38
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 17:48:24
     もう一度彼女と会っても、自分には合わす顔など無いだろう。自分はぶらぶら旅をしているだけで、何にも偉くもなく、凄いことなど何もしてこなかった。彼女は優秀だ。きっといい仕事について、幸せで誇らしい人生を歩んでいることだろう。 39
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 17:53:00
     イスルは、日が沈んだまま朝日の昇らない夜を生きていた。あの娘は新しい土地で新しい太陽を迎えただろう。自分はいつまでも暗い夜の中、最後に見た夕陽だけを思っている……そんなことを考えていたら、イスルは少ししんみりとしてしまった。 40
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 17:57:05
     考え事に耽っているうちに、いつの間にか30分過ぎていたようだ。店内にはかぼちゃのような、それでいてリンゴのような甘い香りが漂い始めた。どうやらパイが焼き上がったらしい。イスルは期待に胸を膨らませそわそわし始めた。 41
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 18:02:32
    「お待たせしましたー」 皿に乗った大きなパイを持ってレミウェがやってきた! イスルの口に唾液が滲む。おいしそうなパイだ。 42
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-23 18:06:25
     レミウェは鎌のような鋭い笑みを浮かべてパイをイスルの目の前に置いたのだった。 43
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-26 17:38:30
     そのパイは一見普通のパイと変わらなかった。狐色に焼けたパイ生地は凝った装飾がなされているが普通のものである。高さは5センチほど。少し分厚いが変わっているというほどではない。香りはかぼちゃのような、リンゴのような香りだ。 44
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-26 17:44:00
     隙間なくぴっちりと閉じたパイだ。どうやって食べればいいか躊躇しているとレミウェがナイフとフォークを差し出してきた。「あなたの手で切り裂いて食べてみてください」 45
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-26 17:53:02
     言われたとおりにイスルはゆっくりとパイにナイフを入れる。すると、パイの切り口から光が漏れだしたのだ。それはまさに夕陽のように赤く、温かい光だった。その現象に驚くことなく、イスルは魅せられていった。 46
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-26 17:57:52
     光は噴水のように噴き出し、冷たい電気の灯りで満たされた店内を包み込んでいった。イスルはもっとこの光を見つめていたかった。自分の思い続けていた夕陽が、ここに閉じ込められているのだ。さらにナイフを入れると、切り口の向こうに風景が現れた。 47
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-26 18:17:44
     その風景は、夕陽の沈む荒野だった。荒れ果てた石ころだらけの大地には枯れた草がまばらに生えていた。木が一本だけ何もない場所に生えて夕陽の影を作っていた。美しい光景にイスルはだんだん自分がそこにいるような錯覚を覚えた。 48
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-26 18:23:13
     イスルはその光景に向かって歩いていった。さっきまで喫茶店の椅子に腰かけていたはずなのに、彼はいつの間にか荒野に向かって歩き出していた。光の中、彼は自分の居場所をそこに見つけた気がした。 49
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-26 18:30:10
     荒野には一本の線路が地平線の向こうから夕陽の沈む所に向かってどこまでも伸びていた。イスルはその線路のわきを夕陽に向かって歩き出した。なんて静かで温かい世界だろう。冷たい朝を迎えるより、こうしていつまでも温かい夕陽に抱かれていたい。 50
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-26 18:34:47
     一本だけ立っているアカシアの木の根元に、彼は座り込んだ。そして膝を抱き、夕陽の温かさを存分に感じた。太陽は地平線にかかった所から一向に沈む気配を見せず、いつまでもそこにあるようだった。 51
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-26 18:39:48
     ふと、彼は顔を上げた。地平線の向こうに何か煙が立ち上っている。それは、ゆっくりとこちらへ近寄ってきたのだった。 52
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-27 17:07:54
     ボォーッと汽笛が鳴った。ああ、汽車が来るのか。イスルはぼんやりと夕陽を浴びたまままどろんでいた。魂が溶けていくような陽気。甘く、温かい光だった。やがてレールから振動が伝わり、イスルはだんだん覚醒してくる。 53
  • 減衰世界 @decay_world 2014-05-27 17:12:03
     地平線の向こうから現れた影は、巨大な機械だった。太い金属パイプが脳のように絡まった恐ろしい金属の塊だ。背後にある煙突からもくもくと黒煙を上げ、機体のあちこちから白い蒸気を噴出させている。その恐ろしい威圧感に、イスルは思わず立ち上がった。 54

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